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 ジーメンス殺しの真犯人が事切れたその日のうちに、アールとモニカは地下牢獄を訪ねた。

 実際に牢が並んでいる空間より上部、入り口に近いところに、取調室がある。取り調べとは名ばかりで、実際には拷問部屋、あるいは折檻部屋として用いられている。壁はおろか壁面まで赤い飛沫が飛び散っていて、机や椅子の折れた箇所には、汚れの上から補強がなされていた。

 その部屋に、拘束を解かれた状態で年老いた老人が現れた。収監からまだ一日も経っていないのに、全身に生傷ができている。包帯すら巻かずに傷口は露出し、片目は大きな瘤のせいで潰れていた。

 看守は部屋にハーシュを蹴り入れると、扉を閉じて去っていった。部外者との面会の際、本来ならひとり以上の看守が見張っているところだが、メルシンから当事者だけで話をさせろとのお達しがきていた。上司と繋がっている客人に、規則を振りかざすのでは失礼にあたる。

 拷問中そうさせられたのかもしれない。はじめハーシュは床に座ろうとしたが、アールたちが椅子に掛けさせた。

「馭者が罪を認め、死んだ」

 一番に、伝えるべきことを伝えた。

 ハーシュは肩を落とした。魔煙草の裏取引のせいで拷問の憂き目に遭っている彼だが、殺人に関しては無実だ。かつての弟子を裏切った負い目から、自分が罪を着せられるなら彼のせいだと直感していたに違いない。

「そうですか、あいつが……」

 醜く腫れた顔面では、表情の変化もよく見えない。

「それで、最後に何か言い残そうとしていた。どうやら、師の氷像について言おうとしていたらしい。氷像が王都に運ばれたあとの話をしようとしていたと推測するが、何かわかるか?」

 馭者が運ぶ氷像とは、魔煙草のことでもある。

 王都に運ばれたのち、売られていく先のことを話していたのかもしれない。魔煙草の王都での流通に関する情報は、保安隊も喉から手が出るほど欲しがっている。それを当人たちに訊かせると、拷問をはじめて途中で殺してしまいかねないので、メルシンはアールに話を引き出させようと考えていた。

 ジーメンスの裏にいた組織の話が出る可能性もある――アールとモニカは身構えた。当然、ハーシュが口を割ると決まったわけではないが、その場合には交渉や取引の責任を負うかもわからない。

 ところが、ハーシュは笑った。屈託なく、自身の犯罪とは関係のないことをのたまった。どんなにぼろぼろの顔面でも、笑った顔は識別できるものだ。

「私の氷像が王都ではいくらで売られるか知っているかな?」

 取り調べする側は拍子抜けしてしまう。罪人のほうは、構わず話を続けた。

「小さなものだと、せいぜい、蝋燭の一本と変わらない値段かもしれない。王都では、まるで価値がないのだよ」

 アールとモニカは耳を疑った。王都に暮らした経験もあるふたりだが、彼の氷像が売られているところは見たことがない。キトノスの店で見た作品は、確かに見惚れてしまうほどの芸術品だった。

 ふたりが驚いているのを見て、老人は心底喜んだ。

「驚いてくれるということは、芸術と認めてくれるのだな。王都の人間たちは、私の氷像を見ても、何も感動しない。それなのにカネを出して氷像を買い、何に使うか知っているか?」


 ――生の肉や魚を冷やして保存するために使っているのさ。


 アールは合点がいった。

 王都の近辺は一年中比較的温暖なので、氷を切りだせる場所がない。口にするものは加熱調理が前提で、生食は王宮でも珍しいほどだ。大きさがあり、一週間以上も形状を保つハーシュの氷は、実用品として需要が集まる。

 需要はあっても、消耗品に高いカネは払われない。

 ハーシュの工房はそれなりに繁盛していたのだろう。しかし、本来頼りにしたい王都からの収入はわずか。魔族向けに売れれば芸術品としても見られたかもしれないが、キトノスの有象無象たちにそういった造詣はないし、経済的余裕もない。

「食うために働いているのか、働くために食っているのか……」

 老いた魔法使いがぼやいた。

 身の上話を聞いてくれないか、と乞うた。すでに監獄を訪れた目的を失ったアールとモニカだったが、彼の願いを聞き入れることにする。生きて牢から出られないことは、本人でなくても明らかだった。

 老人は礼を言ってから、言葉を詰まらせながら語りだす。


「魔界にいたころは、まだ見習いの職人だった。もうすぐ一人前と認められるというときに、ギルドの仲間が叛逆の疑いをかけられ、殺された。私は決して反体制ではなかったが、皇帝の配下たちはギルドに所属した工場をひとつひとつ潰していった。

 私はたまらずこちらの世界に逃げてきた。二二年前になるかな? 人間界に来てすぐのころは、皇帝に虐げられた記憶が色濃かった。怒りのままに、魔族討伐のため傭兵となった。典型的な、この世界でいうところの『白魔族』だな。

 戦争はひどいものだった。ついこの間まで魔界にいたというのに、魔界から授かった魔力で以て人を殺さなければならなかった。しかも、人間の王も皇帝に負けず劣らず疑心暗鬼なものだよ。魔族を心の底では信用しておらず、大半を激戦地に送り込む。停戦までの七年間を戦士として過ごしたが、戦地で死なずに済んだのは何かの奇跡に違いない。

 停戦後、私は兵を辞した。キトノスに工房を持ち、職人として生きることにした。それから一五年、ずっと氷像を作ってきたが、生活が楽になったことはなかった。魔界にいたころのほうがマシだったくらいだ。修行が辛くても、皇帝の横暴に呆れても、故郷で同じ飯を食ってきた仲間と暮らせることが、いかに心を満たしてくれるか。

 似た境遇の魔族と出会って、何人か弟子を取ってみた。せめて生きがいになるように。でも、弟子を養うために生活が苦しくなるだけだった。才能がない者が大半だったとはいえ、ひとりだけでも、育ててやりたかったものだ。ジーメンスを殺った彼だって、独り立ちのチャンスはゼロではなかった。

 魔煙草の取引は、工房を持ったのとほぼ同時期だ。食っていけないなら、食っていけるように稼ぐしかない。危ない橋を渡ってでも。魔界にルートを見つけて煙草を仕入れ、売り払った。商売相手の多くが魔族だったから、やりやすかったよ。

 ジーメンスと知り合ったのは最近のことだ。奴に言わせれば、一五年も魔煙草を密売してきた実績を買ったらしい。人間相手だから抵抗もあった。しかし、奴はやり手だ。カネになるのは間違いない。裏に繋がっている組織を思えば、無理に断って禍根を残すより、一度話に乗って、向こうから手を切るのを待つほうが得策だとも思った。

 まあ、結果としては私の勘は正しかった。私の芸術を解せない人間など、信頼すべきではなかった。ジーメンスは、氷像に紛れさせる方法で販路の拡大を図った。氷像に価値を見出した最初の人間が奴だったなんて、皮肉なものだな。かつての弟子に気づかれて、いまではこのザマだ」


 語り疲れたのか、ハーシュは咽て血を吐いた。

 いまにも崩れ落ちそうだったので、アールは彼の身体を支えようと立ち上がるも、本人から制止される。自力で呼吸を整えると、ぽろぽろと涙を溢した。

「私は何のために人間界に寝返ったのだろう? 何のために同胞たちの命を奪ったのだろう? 何のために罪を犯していたのだろう?

 せめて、王都に行ってみたかった。もちろん叶わない願いだ、王都はよほど優秀な者でなければ魔族を斥けるし、まして罪人を迎え入れたりはしない。

 しかし、王都に行ってひと目見てみたかった。私が命を賭して守ろうとした人間界の王の姿を。いや、王でなくたって構わない。王族のひとりでいい。キトノスでさえ魔族の誇りを持って生きていけないのなら、国王の前で頭を垂れてみたかった」

 泣き崩れようとするハーシュを前に、モニカが大きな息を吐いた。

 憐憫とか、同情とか、そういう類の嘆息ではない。罪人は驚いて顔を上げた。小さな黒髪の娘は、自分に向かって「面倒だ」と吐き捨てたのだ。


「そこまで言うなら見せてやろう」


 瞬間、彼女の黒色の髪が黄金に輝き、風に靡くようにして腰まで伸びる長髪へと変貌した。

 瞳は碧くなり、丸い輪郭が細くなり、顔立ちも見違えるほど美しくなる。

 輝きを放つかのようだ。

「そ、その姿は……」

 ハーシュは涙をこすり、目の錯覚を疑った。

 ところが、黄金の髪をたたえる高貴な女性の姿は、錯覚などではない。

「絵画でしか見たことがありませんが」ハーシュは思わず言葉遣いを丁寧にした。「しかし、間違いありません。あ、あなたは王女さま――」

「違う」

 すげなく首を横に振られて、ハーシュは動揺する。

「で、では、魔法でそう見せているのですか? 幻術ですか?」

「それも違う。私は魔力を持たない。アールならそういう術を使えるが……いま見せているのは素顔だ。嘘ではない」

 言葉を失う。

 王族の肖像は国内各地で出回っている。ハーシュが記憶に留めていた肖像には、モニカと瓜二つの美しい少女がいた。国王の娘だ。

 彼がもう少し冷静で、また心身が健康あれば、わずかばかり顔立ちが異なることに気がついていたかもしれない。

「王女はわたしの異母姉だ。わたしは訳あって王族を離脱し、キトノスに暮らしている」

 モニカの横で、アールは思わず口を尖らせる。「訳あって」キトノスにいるからこそ、普段はアールの魔法で身分を偽っているのだ。いくら最期を悟った老人が乞うたからといって、偽装を解き、出自まで明かすなんて。

 ただ、アールは無粋な忠告を控えた。同じ魔法使いとしてハーシュの思いはわからないでもないし、弁の立つモニカはどうせ「人払いされて誰も見ていないし、ハーシュもすぐに死ぬさ」と屁理屈を垂れるところだ。

 罪人が「王族を見た」と言っても、保安隊は信じまい。もし大事になっても、保安隊の長とは通じている。アールは沈黙を保った。

 ハーシュは言葉を失い、

「あ、ああ――」

 と意味もない声を漏らすことしかできなかった。


 その後も拷問は続いたが、組織に関する情報は出てこなかった。

 アールの訪問から三日、氷像職人は息絶えた。


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