帰路
「ーーそして、あの前線基地まで飛んできたんです」
ディニーがこの説明をするのは三回目だった。最初は、リヌティア前線基地に辿り着いた直後の事情聴取。二回目は、目を覚ましたシヨという名の少女に。
「驚いたな。向こう側の街からここまで飛行できる程の魔力を持っているとは······」
その老紳士は大きく息を吸いながら、腕を組んで体重を背もたれにかけた。窓からの光が眼鏡から外れ、瞳の赤がディニーを覗く。
「単純な燃費なら、君をも上回るかもしれないねぇ、メティ」
隣に立っている女性に対し、からかうように言った。メティは不機嫌そうに目を背け、曖昧に返事をした。
「お、俺の魔力じゃありません。全部この剣の力です」
「······破滅の剣アダマント、か」
机上に横たわる剣を見つめる。
しばし沈黙が続いた。考え込んでいる様子の相手に対し、ディニーもただ緊張しながらそれを見つめることしかできなかった。
「······団長。まさかこんな話、信じてるんじゃありませんよね」
沈黙を破ったのはメティだった。
「ディニーとか言ったね。赤眼一人助けただけであたしらの機嫌が取れると思ったら大間違いだよ」
「そ、そんなっ。俺は本当に」
「あんた、自分で考えられないのかい? 妙な剣引っさげて、敵陣からいきなり猛スピードで飛んできて。得体が知れない」
その目はディニーをとにかく威圧した。女性にしては屈強な体格から見下ろされ、十四の男にしては細身な少年は、頭一つ分縮こまった。
「こらこら。やめないかメティ······。まあでも、一理ないわけじゃない。膨大な魔力を秘め、持ち主の目的に合わせて勝手に姿を変える魔導器。聞いただけじゃ突拍子もない話だ」
言い終わって、コーヒーを啜る。
「······まあ、それは······」
老紳士のコーヒーはもうほぼなくなっていた。対して、ディニーのカップから消えていたのは湯気のみであった。
「けどね、その力は我々にとって魅力的でもある」
「魅力的?」
「知っての通り、赤眼は今大きな危機に陥っている。ラフィカルの横暴を止めない限り、もはや赤眼の絶滅は時間の問題だ。今は山脈地帯を隔てて互いに小競り合いをしているだけの状態だが、いずれ崩れるだろう」
「······そうですね」
「だがそこに、君が現れた。敵陣から飛んできたなんて話は流石に簡単には信じられんが、飛んできた君を敵だと思い込んだ精鋭達が簡単に退けられたという報告もある」
そこまで聞いて、メティが割り込んだ。
「団長! まさかこいつを反乱軍に入れるつもりですか!?」
「なにも今すぐじゃないさ。普通に訓練は受けてもらうし、本人の意思も尊重するよ」
「そうじゃなくってーー!」
そこでノックの音が響いた。その堅苦しい雰囲気には似つかわしくない、柔らかな雰囲気の老婦人が部屋に入って来る。
「そんな怒らなくてもいいじゃないの。ほら、クッキー焼きましたようー」
「クレシナさん······、ただの客人じゃないんですから」
メティは呆れ顔で頭を掻いた。
「まあいいじゃないですかぁ。メティちゃんも座ってゆっくりすればいいのに」
「できません。彼がどんな人間か、まだ判りませんから。警戒しないと」
「堅いわねぇ。この子も恐がってるじゃない」
「えっ、いや、俺は大丈夫ですから」
ディニーは慌てて首を横に振り、はにかんで見せた。しかしながら本心では、その言葉に激しく同意する。
「メティ。そんなんじゃ君も疲れるだろう。ここはほら、団長アグルの妻に免じてさ、座った座った」
「く······」
一瞬だけどこか負けたような表情を見せた。
だがはっと何かに気づくと、一気に口角を上げてディニーの方を向く。
「······な、なんです?」
「いい方法を思いついたんだよ。あんたが信用できるか確かめる、いや、信用できないって証明する方法をなぁ」
そう言いながら、テーブルの側面に回る。アダマントソードの柄が向いている方向だった。アグルは小さくため息をした後、クッキーをつまみ始めた。
「この剣、あんたにしか扱えないんだよね?」
「······はい」
「あんた以外が触れたら、泡吹いて倒れたと」
「はい」
「いやぁー、余計な設定付けちまったねぇ」
「はい?」
「つまりな······、あたしが試してみればいいのさぁっ!」
「えっ······? あっ、ちょっと待っ!」
ディニーの制止をよそに、彼女は剣を掴み取った。
「······ほうら、何にもならないじゃない、か、はうあぁっ!?」
直後アダマントから魔力が迸る。ディニーが使う時とは違う様子で、バチバチと音を立てながらメティを襲った。
「ぐおおおおぅああああああ!!?」
その赤かった瞳は白く染まっている。しかしなお剣は容赦なく彼女を虐げ続けた。
慌ててクレシナが駆け寄る。
「ちょっと!? メティちゃんしっかり、あ痛っ!?」
「お、置いて! その剣、アダマント離して下さい! 早く!」
それでもメティは意地を張った。ディニーはすぐ説得を諦め、無理矢理剣を奪い返そうとした。
「離して······、下さいってばぁ!」
万力のような握力でかなり苦戦したが、なんとか手を離させた。
「っハァ、ハァ······。なんてことするんですか」
「······どうだ」
「はい?」
「どうだよ! あ、たしは、倒れて······、ない。立ってるぞぉ!」
「いや大差無いわよ!」
その叫びでプツンと糸が切れたように、メティは机に突っ伏した。窓からの光に照らされ、枯れるように気を失った。
「······結局倒れてるし」
アグルはただただ呆れていた。皿の上からはクッキーが消えている。
「ごめんなディニー君。彼女がこの性格だから、僕達の軍がやっていけてるところもあるんだよ。許してやってくれ」
「は、はあ······」
◆
「ーーそんなことがあったんだ」
ディニーとセリウスは、いつものようにその帰り道を歩いていた。いつものようにカラスが鳴いている。
「あの剣、そんな凄いものだったんだね」
「俺も信じられないよ。またあの剣を持って同じことしろって言われても、出来る気がしない」
一ついつもと違うのは、ディニーがセリウスに対して若干の警戒心を持っていたことであった。歩く二人の距離は僅かに開いていた。
ディニーは迷っていた。ラフィカルが襲撃したあの夜、なぜお前はあそこにいたんだ、と尋ねようとして、踏み留まっていた。
何度も話を変えるタイミングはあったが、ディニーはその勇気を持てなかった。それを聞いてしまうと、自分が唯一の友人を疑っていると認めてしまうことになると思ったからだ。
「······あのさ」
遂に聞こうとする。心臓が騒ぎ出す。
「ん?」
ーーなんであの夜、あそこにいたんだ?
とは言わなかった。言えなかった。
「ーー俺、ツバキに入るよ」
「ディニーも?」
「向こうに行ってさ、奴らの酷いやり方を見た。このままにしておけないって、思ったんだ」
「そうなんだ······」
三叉路に着いた。いつも通り足を止め、話し続ける。
「心強いな。ディニーも一緒に入ってくれるって思うと、結構気が楽だよ」
「そうなのか? まあ、よろしく頼むよ」
「うん!」
それだけで話は終わった。互いに別れの挨拶をして、セリウスは自分の家へ。ディニーはかつての家の少し先、トルアの親戚の方へ歩いた。
大丈夫だ。セリウスは信用できる。ディニーは自分に言い聞かせた。
あの夜あそこにいたのも大した理由じゃない、きっと野暮用があったとか、家の距離は近いから音を聞きつけたとか、そんなものだろう、と。
カラスは鳴いた。何匹も何匹も、ディニーの頭上で喚き続け、聞こえる音を全て遮った。
だが本人に聞こえないだけで、その音は確かに存在していた。ずっと騒ぎ続けていた、ディニーの心臓の音は。
第一章はこれにて終了となります。