第4章 その25 マクシミリアンは運命の貴婦人に出会う(修正)
25
カルナック師は、茶会の会場で倒れてシェルターに運び込まれた、エドモント商会の息子、マクシミリアンに、保有する魔力は多くないものの、強い魔法耐性の素質を見いだし、この子は使えるよ、と、笑った。
「鍛え甲斐がありそうだな」
すごく黒い笑みである。
「鍛え甲斐って、なんか悪い予感しかしませんけど師匠」
「笑顔が怖いです」
ティーレとリドラは、師匠の笑顔に怯える。
「ふふふ。後は彼が目覚めるのを待つとしよう」
「ティーレ、リドラ。カルナック様」
アイリスの雰囲気が、目に見えて変わった。
顔が変わるわけではないが幼さではなく、大人びた表情があらわれている。アイリスの、もう一つの前世。21世紀のニューヨークに住んでいたイリス・マクギリス嬢の意識である。
「おや何かな、イリス・マクギリス嬢?」
「ローサはトリアのお使いに出たから遠慮しないで話せるわ。カルナック様。わざとここに患者を運ばせたでしょ。急性アルコール中毒? どこでだって治療できるはず。アイリスと歳の近い男の子だなんて。アウルを刺激するため? かわいそうなことしないで!」
「かわいそう? アウルのこと? へえ。きみ、ずいぶんエステリオ・アウルの肩を持つんだね? すぐに迫られて、迷惑してるんじゃないのかな? さっきだって襲われてたんじゃない?」
カルナックは明らかに面白がっていた。
そいつは興味をそそられるね、と今にも言い出しそうだ。
「だって最初にアウルにキスしたのは、わたしの方だから」
彼は前世でも彼女はいなかったし、この世界でも、近づいて来る女性はいても彼がお付き合いをしたことはなかったのだ。
「心臓に形成されていた魔力栓を溶かすために彼の魔力が欲しくて、無意識に『魅了』してたんだって、エルナトさんから聞いたわ。わたしがアウルを利用したのよ。でも、彼はぜんぜん怒らなかった。逆にアイリスの心配ばかりしていたの」
正座したアウルの頬に、手をのばして、そっと触れる。
「ごめんね。エステリオ・アウル。あなたはずっとストイックにアイリスを見守ってきたのにね。その頃は、キスしようとか思ってなかったでしょ?」
「わたしは……ただ。アイリスを助けたくて……」
「一度キスしちゃったら、二十歳の青年に自重できるわけないわ。あなたは前世から有栖に片思いをこじらせてたんだし。カルナック様やティーレやリドラは、いい年した老人だから、若者のことはわからないでしょうけど」
「老人言うな! 傷つくわ! まだピチピチだっつーの」
「永遠の十八歳なのに~!」
すぐさまティーレとリドラは抗議した。
「確かに、恋愛感情なんて、遙か昔すぎて思い出せないなあ」
カルナックはしみじみと我が身を振り返った。
「だから。カルナック様。アウルにあまりひどいことしないで。言っとくけど、わたしはまだ、本気出してないんだからね?」
「六歳児の言うことかね。恐ろしい幼児だな、きみは」
カルナックは、嬉しそうに笑う。
「せっかく大好きなエステリオ・アウル叔父様と許婚になって、みんなに認めてもらえるんだもの。有栖に体験させてあげたいって思ったの。でも、もしこれ以上、アウルで遊ぶつもりなら……覚悟して?」
「わかった、もうしないよ。アウルではね」
(アウルでは?)
(え?)
ティーレとリドラは、おそろしく悪い予感がした。
そしてこの手の予感は、ほぼ間違いなく当たるのだ。
「じゃあ、あとはよろしく。お披露目はまだ、これから始まるんだから。それにアウル。アイリスが怒ってるのは、ドレスのことよ?」
そう言うと、アイリスは目を伏せた。
とたんに力が抜けたように倒れかかってくるのを、アウルは慌てて抱き留めた。
※
マクシミリアンが目を開けて見たのは、黒髪の美女の、優しげな微笑みだった。
恥ずかしいことに、また美女の膝に頭を乗せていた。
「うわぁ!」
彼女が安堵したように笑った。(そんな気がした)
「よかった気がついた。どこも苦しくない? 痛くない? 吐き気は?」
ああ、女神さまがいる。
こんな美しい人が。とても心配してくれている。
八歳のマクシミリアンの胸が高鳴る。
「はい、痛くないです。吐き気もしないです」
「そう。よかった」
「あなたが、わ、わたしを治療してくださったんですか」
懸命に丁寧に話す。すると、黒髪の美女は、くす、と、小さく笑った。
「そんなに固くならないでいいのに。さっき正義感で立ち向かったときみたいに。素敵だったよ」
「えっ」
急に、顔がほてるのを感じた。
「きみの名前は、マクシミリアン。エドモント商会の息子だね。将来は、お父さんの跡を継いで商会の主になるのかな?」
「いえ! わた、わたしは、まだ将来なんて決めてない、ので」
「ふむ。そうか、まだ八歳だったねえ」
美女は、悩むときも絵になるものだと、マクシミリアンは思った。
「あの。あなたのお名前は」
「ん? 私はカルナック・プーマ。魔導師協会の長で、エルレーン公国立学院……魔導師養成学科の講師をしている」
美女の口から、さらっと凄い経歴が語られたのだが、八歳で、しかも地方出身で首都シ・イル・リリヤにある公国立学院のことを何も知らないマクシミリアンには、よくわからないことだった。
覚えられたのは目の前にいる、黒髪の美女の名前だけだ。
「カルナックさん」
名前を口にしたら胸がドキドキして。
「あ! そういえば、さっきの、女の子は! たたた、たすかったんですよね! あなたが助けてくれたんですよね! きっと!」
「ああ。彼女なら……あそこだよ。もちろん無事さ」
美女が示した方には、マクシミリアンが気絶する前に見た、あの黄金の髪をした幼い少女と、レンガ色の髪をした青年が、いた。
(あれ? 一緒にいる? 襲われてたんじゃ…?)
「あの子はアイリス。そして、あの青年はアウル。彼女の許婚だよ」
「え!? え。えええええええええ~!」
※
「アウルのバカ! お披露目会のドレスが皺だらけになっちゃったわ! わたし、こんなきれいなドレス初めて着せてもらったのに」
「ごめん」
「もういいわ。叔父様こそ、髪をちゃんと梳かして! きちんとしていれば、ちょっとは、ましに見えるんだから」
「ごめん」
「まったくしょうがないわねえ。顔を見せて。あ、さっきひっぱたいたあとが顔に」
「いいよこれは。わたしが悪かった」
アイリスに世話を焼かれて、小言をくらっているアウル。
だが幸せそうだ。
狐につままれたような気がした。
「でもちょっと、うらやましいような……」
正直な感想がこぼれた。
そんなマクシミリアンの肩に、手が置かれた。
「マクシミリアン・エドモント」
「はいっ!?」
黒髪の美女が、マクシミリアンの顔を間近に覗き込む。
「きみには魔法に対する耐性がある。希有な才能だ。魔法学校に入ったら、わたしの講座を受講しなさい」
「え。でもおれ、いやわたしは、魔力はあまり多くないんです」
「ふぅん。魔力さえあれば? 学校に入るのも、やぶさかじゃないというわけ?」
「は、はい……そうすれば、」
あなたと、カルナックさんと。また会える?
「それは問題ない。なんとかなる。じゃあ、約束だよ」
カルナックは、満面の笑みを浮かべた。
「きみは将来、魔法学校に入学する。そして私の講座に所属する。この私、魔法使いの長カルナック・プーマの。そして」
黒髪の美女の目は、ごく淡い青に、輝いた。
「師匠! それ反則です!」
「一般市民に強制呪文で約束させたりしたら、無茶やばいっス!」
プラチナブロンドと黒髪のメイド二人が駆け寄ってきて、ものすごく焦ったように叫んだのだった。
「将来、きみを私の、専属の騎士に任命しよう」
「ええええええ! んな! 師匠っそれ犯罪です!」
「なに幼児をたぶらかしてるんですか~っ」
「ああ。ティーレにリドラ。だいじょうぶだ。私が女性をたぶらかすより、この方がさまになるだろう?」
「騎士になります。将来、あなたの」
マクシミリアンの目に、涙がにじんだ。
嬉しかった。
「おれの、黒髪の、貴婦人」




