第4章 その24 マクシミリアンの初恋(修正)
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気がついたのは、見知らぬ部屋だった。
ベッドも机も備わっているようだ。
マクシミリアンは仰向けに横たえられていた。
身体には軽くて温かい、黒い布が掛けられていた。
掛けられていた布を手に取ったマクシミリアンは、それが最高級のカシミア山羊の毛で織られたものだとわかった。父、ダンテの商会で扱っているので知っている。きわめて高価な品物だ。
「あれ……カシミア? なんで?」
それだけを呟いたとき。
「おや、気がついたね」
優しい声が降ってきた。
マクシミリアンのすぐ傍らに、その人物は、いたらしい。
「気分はどうかな?」
さらりと、マクシミリアンの頬に、冷たい感触があった。
黒い髪だ。長い黒髪の、美しい女性が、彼を上から覗き込んでいる。
マクシミリアンの八年間の人生で、今まで見たこともないような、神々しいほどの美貌。微笑むだけで、そこに花が咲いたような。上品で清楚な女性。
歳はいくつなんだろう。
「だ、だいじょうぶです!」
勢いよく起き上がろうとして、激しい頭痛と吐き気に襲われた。
「うぐう。おえ~」
「まだだめ。じっとして」
吐き気と戦うマクシミリアンを、黒髪の美女は優しくなだめ、背中をさすってくれた。
なぜか、そうしてもらっていると吐き気もおさまり、頭が冴えていくようだった。
(きもちいい……このひとは、だれなんだろう?)
「きみは急性アルコール中毒で倒れたんだから、すぐには起きられないよ」
「……きゅうせい……あるこーる?」
「気にしないで。ゆっくりしていきなさい」
淡い青。水精石色の瞳が、マクシミリアンを射貫く。
この色は、絵本に出てきた精霊さまと同じだ。
(もっと……このひとの声を聞いていたい)
「放っておけばいいんですよ師匠」
若い男性の声がした。
「子供のくせに勝手に酒をのんで倒れたんですから」
マクシミリアンは、声のしたほうを見やる。
背の高い青年がいた。
レンガ色の髪、白い亜麻の衣は、魔法使いだ。
怒っているのか、いらついた声で。
「まあまあ、怒るな。我々が関わる催しで、子供が急性アルコール中毒で死んだりしたら困るじゃないか」
優しい声は頭上から聞こえる。
膝枕されているのだ、と、突然、気がついた。
そしてわかったのだが、マクシミリアンに掛けられていた黒いカシミヤは、この美女の纏っていたローブだった。
「すみません」
「いいんだ。これには魔法を織り込んであるから。回復も早くなったはずだ」
はっと目を開けて周囲を見やる。
居心地の良い小さな部屋だ。
自分が膝を借りている、黒髪の美女と。
少し怒っている、レンガ色の髪の青年と。
「酒を出してはいなかったのですが、彼の父親が持ち込んだものと判明しました。まさか息子が飲んで倒れるとは思わなかったでしょうね」
てきぱきとした声がした方を見ると、裾の広がった黒い膝丈のスカートに真っ白なエプロンをした、マクシミリアンより七、八歳くらい上と思われる少女がいた。
プラチナブロンドの真っ直ぐな長い髪。色の白い肌。儚げなのに意志の強そうな、はっきりした目鼻立ちだ。
(あれ? この制服、メイドさん?)
「父親は商人のダンテ・エドモント。調べましたがなかなか良心的な商いをしています。妻子との関係も良好。不審な点はありませんでした」
もう一人、メイドさんがいた。彼女のスカートは長い。二十歳くらいか、うら若い美人である。
黒髪に黒い目、肌色はミルクティーみたいな。綺麗な若い女性。
「巧妙に隠しているのでなければね」
それに異議を唱えたのは、さっきの、怒っていた青年だ。
「そんなに突っかかるなんて、おかしいわ。あなたはいつも、もっと穏やかなのに」
小さな女の子の声がした。
「だめだ、こっちへ来ては」
青年が手を広げて遮る。
「だいじょうぶよ。無害だってリドラが言ってるもの」
その腕をすり抜けて、現れたのは。
まるで光の精霊そのもののような。
絹糸のつややかさを持つ黄金の長い髪と、きれいな明るい緑の目をした、華奢な女の子だった。
マクシミリアンよりも幼い。
細かな三つ編みをいくつか作って編み込まれた髪には白銀の小さなティアラが飾られ、白い絹のドレスのスカートは花のように広がっていた。
くすっ、と、少女は笑った。
(妖精の王女さま?)
妖精のような少女は、青年に抱き留められながら、興味深そうにマクシミリアンのほうに身を乗り出した。
「気分はどう? カルナックさまが診てくださったから大丈夫だと思ってたけど。あなたは、だぁれ?」
名前を尋ねられているとマクシミリアンはわかっていたが、緊張のあまり、声が出てこなかった。
かわいすぎる。きれいすぎる。儚すぎる!
田舎の実家で元気に走り回っている、マクシミリアンの妹たちとは、まるで、存在自体が違う。
本当に実在している女の子なんだろうか?
この子の名前は、なんていうんだろう。
いろいろな考えが同時に頭の中をぐるぐる回る。
「だめだ。危険は極力排除しなければ。きみはまだ、誰に狙われているかもわからないんだぞ。急病人だからって受け入れるんじゃなかった!」
「どうしたのアウル。ここにはカルナックさまもいるし、アウルもティーレもリドラもいるのに、危険なことなんかあるものですか」
アウルと呼ばれた青年が、息を呑む。
「……同年代の男の子に、興味があるのか? 初めて見るんだよな」
「なに言ってるの。同年代なんて。てんでお子様じゃない。ねえアウル。……もしかして、やきもちなの?」
「きみが大人になる頃には、わたしはすっかり、おじさんだからな」
「あら、『覚者』になれば、その後は外見の年齢はあまり変化しなくなるんでしょ。だったら構わないわ。そのままで、わたしを待っててくれるでしょ?」
(あれ? 何だろう、おれと関係なくない? なんか仲良いよね?)
驚きのあまり自称も無理をしてきた「わたし」から、いつもの「おれ」に戻ってしまうマクシミリアンだった。
初恋と失恋を同時に経験しそうなことに、彼はまだ気づいていない。
「不安なんだ。今日、やっと、きみと一緒にいていいということになったんだから。また、引き離されたら、もう耐えられない」
「やっぱりお母さまに何か言われたの? それで、近頃は、あまり話しかけてくれなかったの?」
「……きみには同年代の子のほうが、伴侶としては相応しいだろうと思ったから。近づかなかった」
「わたしはそんなこと望んでないわよ。誰も何も文句なんか言わないわ。ばかねアウル。……我慢ばかりしていたの?」
少女の言葉の何かが、アウルを刺激した。
「もう我慢はしない。きみは、わたしのものだ。今までも、これからも、誰にも渡さない」
アウルと呼ばれていた青年は、急に少女を引き寄せ、強く抱きしめた。そのままベッドに押し倒す。
「なにするのアウル!」
たちまち、まだ八歳のマクシミリアンには非常に目の毒な、激しい抱擁と口づけが展開された。
少女は細い手足をばたばたさせて、懸命に抗っているように見えた。
(何してるんだ、あの人は? あの子、いやがってるのに!)
マクシミリアンの頭は、真っ白になった。
「やめろ! その子から離れろ! あんた大人なのに何やってるんだっ!」
マクシミリアンは、生まれて初めてというくらい必死になっていた。
まだ思うようにならない身体で起き上がる。
体格的にも年齢的にも差がありすぎて、どうにもなるわけがないのに。
「その子を離せ!」
叫んで、マクシミリアンは青年に飛びかかった。
その瞬間、目の前に銀の光が弾けた。
視界が大きく回転した。
身体がひっくり返って、床に強く叩きつけられたのだ。
さらに身体は跳躍した。
叩きつけられた上に、はね飛ばされている。
「ひどいわアウル! こんなことしないで!」
助けたかった少女が、自分のために叫ぶのを、聞いた。
(なんて情けないんだ、おれは)
自分の無力さに打ちひしがれているマクシミリアンを、空中で受け止めたものがいた。
「ふうん。何にせよ、その距離まで近づけたんだ? 防壁を展開しているアウルに。きみは知らないだろうけど、アウルは防御魔法においては魔導師協会の第一人者なんだよ。面白い……きみには魔力はさほど感じないけど、強い魔法耐性がある」
マクシミリアンを治療してくれていた、カルナックという人だった。
(やっぱりこの人は、なんてきれいなんだろう)
そう思ったのを最後に、再びマクシミリアンは意識を失った。
その後、アイリスの守護精霊たちがアウルにキツいお仕置きをするところまでは、残念ながらマクシミリアンは見ることができなかった。
※
「アウルのバカ! もう知らないっ」
「ごめんアイリス。すみません、許してください。もうしないから」
ぷんぷん怒っているアイリスに、ぺこぺこ土下座するアウルだった。
「これはさすがにないよ。ベッドはだめだ。何をしないのかな後輩? 先輩は怒ってないから言ってごらん」
「わたしたちの顔を潰すなら容赦しないわよ。魔導師協会が何のために婚約の後ろ盾になると思ってるの。コマラパ老師まで呼んでるんだから!」
「まあアウルも、ティーレとリドラも、落ち着きなさい。この子、使えるよ。魔力はさほど多くは無いが魔法耐性が優れている。たとえば学校に通うことになったら、アイリスには護衛がいたほうがいい。できれば同じ学院の中に、とかね……鍛え甲斐がありそうだな」
一番悪い笑みを浮かべているのはカルナック師だったが、幸いなことにマクシミリアンは気絶しているので、憧れの美女(とマクシミリアンは思っている)の、理想が崩れ去ることはなかった。




