第4章 その22 特別に親密な(修正)
22
アイリス六歳の誕生日を祝うお披露目会が催される、その正式な始まりとなる、午後の茶会が始まる。
昼時に押しかけていた人たちは、昼食に用意したサンドイッチをお持ち帰りできるようにして渡されて、引き上げていった。またやってくるかもしれないけど。
玄関には執事のバルドルさん、メイド長のトリアさんをはじめ、メイドたちから選抜された十人がずらりと並んで、お客さまを出迎えている。
あたし、アイリスは、お客さまにご挨拶に出なくていいのかな?
「とんでもない。お嬢さまは奥の部屋に控えていなさい」
カルナック師が、そばにいてくれる。
「主役は最後に登場するものさ」
いたずらっぽく笑う。すごく楽しそう。
エルレーン公国の魔法使い、随一の実力者である、カルナック師。
五百歳以上だって、ティーレさんが言ってた。誰もはっきりと年齢を知らないくらい長く生きている、魔法使いの長。
けれどカルナック師は、とてもそうは見えないくらい若々しい人。
見た目は二十代前半くらい? 年齢不詳の、美女とも美青年とも思えるような。
腰まで届く、艶やかな長い黒髪。
色の白い肌に、切れ長の瞳は、水精石のような淡い青。
……水精石っていうのは、アクアマリンみたいな宝石。
あふれ出る魔力に染まった色の瞳は、常に強い魔力を放っているということ。
しなやかな長身に、魔法使いの、黒いローブをまとう。
魔法使いたちのローブはいろいろな色と素材をしていて、カルナック師のは質の良いカシミアに似た柔らかい素材で、真っ黒。この色をまとうのはエルレーン公国の魔法使いの中で、カルナック師だけ。
たとえばエルナトさんは、白。もう一人前の魔法使い『覚者』なのだ。
白でも絹とか木綿とか亜麻とか羊毛とかいろいろ素材でも階級が分かれていて、段階があるらしい。あたしには、よくわからない。
学院に入ってすぐの学生達に与えられるのは、麻のローブ。亜麻より少し織りが粗くて固い生地でできている。
エステリオ・アウル叔父様は、大学院というところにいるので、ローブの色は、灰色がかった生成りの亜麻なのだって。
リドラとティーレは、学院を卒業して、魔導師組合特別技能部門……別名、賞金稼ぎになっているので、ローブは纏わないといけないけれど色は自由に決めていいんだって。
二人組と印象づけるためにおそろいの明るい青をまとっている。
今は、あたし、アイリスの護衛のために二人はラゼル家のメイドの制服を着て潜入してくれている。
「ご招待したお客さまが全員いらしたので、お茶会は予定通り始まります。お嬢さまは、みなさんの歓談が一通り落ち着く頃合いまで、お待ちください」
トリアさんにはこう指示を受けている。
というわけなので、あたしは控え室にいます。
前世の記憶に例えると、シェルターみたいなところ。机やソファやベッドがあるし子供部屋と同じようなつくり。でも、今まで一度も見たことのないお部屋。
あたしの子供部屋は危険だと言われて、ここに移ってきたの。
ローサとティーレ、リドラ。それにエステリオ叔父様とカルナック師も、なぜか居てくれる。もっとも、カルナック師は、『影』かもしれない。本体はどこかにいて、『目』や『耳』を飛ばして情報を探り、自分の姿を遠隔地に投影することができる。
「いま集まっているのは、どんなひとたちなの」
「主に商人。父上の取引相手だ。それと、銀行。まあ金貸しだね」
「お父さまは、お金を借りているの?」
「商人は、みなそうだよ。むしろ金を借りられない人間は社会的信用がないと言われ蔑視される。多く借りられることは、むしろステータスだね」
「ステータスじゃわかりませんよ、師匠」
「ふむ。社会的地位の高さ、といった意味合いかな」
あたしとお話ししてくれているのはカルナック師だ。
ときたまティーレがツッコミを入れてるけど。
他の魔法使いさんたちや、ティーレとリドラ、叔父様も、ここに居ながらにして外の仲間の魔法使いたちと連絡を取り合っていて、忙しそう。
ローサは、みんなにお茶を入れてくれる。
この部屋には茶器や小さい湯沸かしが備えてあり、お茶が入れられるのです。
「そろそろかな……」
カルナック師は、ふふふ、と笑った。
なんだか、穏やかでない予感が、ふつふつと、します。
どうしよう。
なんで、こんな時に頼りになるイリス・マクギリス嬢は、出てきてくれないのかしら。せっかくの婚約披露なんだから、あんたが出なくちゃって。
なんのことなのかな?
ますます困惑する、あたし、アイリス。
この頃、有栖の意識とアイリスは溶け合ってきたみたいなの。
前世の知識なら知っていたはずのことが、ふっと、わからなくなる。
不安になるけど……でも、叔父様がいてくれる。
※
「エステリオ・アウル。もうじき呼ばれるから、準備をしておきなさい」
「え? 準備って何か」
「親密さを高めること。客の中には、魔力の流れや質を見る者がいる。実質的に仲良くなっておかないと、見せかけの婚約、偽の許婚だと言い出して異議を唱える輩がいるだろうということだ」
「えっと?」
「師匠、指示がそれじゃあ、わかりづらいです」
「そうですよ~。相手は奥手のアウルですよ? もっとはっきり! 具体的に!」
ティーレとリドラがすかさず突っ込む。
エステリオ・アウルとアイリスは、きょとんとしていた。
「そうだな。わかっていないようだ」
カルナック師は、くすくす笑う。
「アウル。アイリス嬢と、もっと抱擁し合って、その、許婚らしく、特別に親密な接触をしておきなさい。今言った理由で、わかるだろう?」
「………」
アウルは耳まで真っ赤になった。
今朝から何度も、ゆでられでもしたように赤くなっているのだが、未だに慣れないようだった。やがて思い切ったように、今にも触れそうなほど近くに座っていたアイリスの手を、ぎゅっと握りしめ、勢いよく、引き寄せた。
「どうしたの? おじさ」
アイリスが驚いたように言いかけた声は、アウルの唇で塞がれた。
「きゃ…!」
小さな悲鳴がもれたが、アウルは構わず、更に強く唇を重ね、ようやく許婚となった少女を抱きしめた。
「ふむ。若い者は大胆だねえ」
「師匠がけしかけたんじゃないですか!」
「いいわねぇ。うらやましいわ~。わたしも渋いおじさまとか、いないかしら」
「あの。あの。カルナック様。これは、お披露目のときのお嬢さまの安全のために必要なことなんですよね?」
ローサは、ぶるぶる震えていた。
「お嬢さまのことが好きすぎて、お坊ちゃまが暴走してるんじゃ、ないですよね?」
お嬢さま思いのローサを困らせるのは気の毒だなと、カルナック師は、アウルに声をかけておくことにした。
「言っとくけどアウル。まだ結婚はしてないんだから、それ以上の行為は許可しないよ。魔導師教会の社会的信用の上でも、まずいからね」
「大丈夫っす師匠。ヤバいことになりそうだったら、あたしとリドラがきっちり止めますから!」
中間管理職のようなティーレ。
「たぶん、止めないと、あたしたちも巻き添えでアイリスちゃんの守護精霊に瞬殺される気がするわ~」
呑気に構えているようでいて、危機感をしっかり抱いているリドラ。
机の上に置かれたベルが鳴ったのは、そんなときだった。
「はい!」
緊張した面持ちで、ローサが連絡用の魔法道具、『ベル』に返答する。
「そろそろ出番でございます。付き添いの係と、わたくしがお迎えに参じますわ」
トリアの落ち着いた声が、ベルに付属した小さな箱から響いてきた。
「お茶会は大盛況でございます!」




