第2章 その2 夜明け前の客人
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カタリ、と、背後でした物音に、振り返る。
部屋の入り口のドアが開いて、ぱたりと閉じた。
ドアから、1人の人物が入ってきた。
長身の人影、ぼさぼさのレンガ色の髪をした青年だ。
「イーリス。君は、やっぱり起きていたのか」
人の良さそうな優しい顔に、困ったような表情を浮かべた、エステリオ叔父さん。
「しょうがないな。服まで着替えてしまって、もう眠らないつもりなのかい?」
「おじさまこそ、はやおきね」
「ずっと起きていたんだ、眠れなくてね」
「むりはよくないわ。寝ないと」
エステリオ叔父さんは、前はずっと家庭教師についていたり、うちに同居して近所の学校に通っていたから、よくあたしの面倒をみてくれていた。
けれど、先月から少し離れた街の中心部にある公国立学院に進学して、この館から通っているのだから、朝の睡眠時間は貴重なはず。
「おや、イーリスこそ、大事な眠る時間を削って、早起きなんかして」
叔父さんはドアを静かに閉じて、こちらへやってくる。
暗い部屋を照らすのは叔父さんの頭上、進行方向に浮かぶ光の球。
魔法のあかりだ。
それに負けないくらい、あたしの妖精の光も輝きだして、部屋を照らす。
「イーリスの守護妖精は、強いなあ」
感嘆の声を上げる叔父さん。こどもみたい。
「エステリオおじさま」
「良い子はまだ寝ている時間だよ」
おじさんはあたしをなだめて寝かしつける気だ。
「もう一度ベッドに入りなさい。よく寝ない子は大きくなれないよ」
「おおきくなれなくてもいいもん!」
あたしは唇を尖らせた。
「じかんがもったいないの。せいれいの火がみたいの、とってもふしぎできれいだって、おじさまが読んでくれた、きれいなさしえのついた、ご本にあったの!」
けんめいにうったえる。
「もっともっといろんなことが見たいし知りたいの。じりじりするの」
あたしが死ぬまでに、せいぜい長くて百年?
いったいどれだけのことができる?
やっと得たこの身体もいつまで保つのかわからないし。
あたしが生まれ変わったこの世界だって絶対に安泰かどうかわからない。滅びへの道をたどっていたりしないだろうか? 前世の地球のように、いつのまにか誰も気がつきもしないうちに。
……なんて、叔父さんには言わなかったけれど。
三歳児が言ったら、おかしいもの。
それぐらいは自覚してる。
「本当にイーリスは変わった子だ」
叔父さんの顔は、もう困惑してはいなかった。
「こちらへおいでイーリス。眠れとは言わないから。話をしよう」
部屋の窓際に近いテーブルに、あたしを誘って椅子に座らせる。クッションも叩いて、ふかふかにしてくれて、その上に、ちょこんと乗る、あたし。
足は、床に届かない。
「覚えているかい? きみはもう少し幼い頃、世界が滅亡する夢を毎晩のように見ていたんだ。そのたびに泣きながら起きてきて、わたしに言った」
「……そんなことが、あったの?」
よく思い出せないわ。そんなことがあったのかもしれない。なかったかもしれない、と、ぼんやり感じる程度。
なんだか頭にもやがかかってるみたいに、ときどき、記憶があいまいなことがある。
「覚えているかい? そのたびに、わたしが、この世界は滅びたりしないと答えたことを。おじさんが守ると言ったことを」
落ち着いた焦げ茶色の優しい目が、あたしを覗き込む。
そしてあたしは、気づく。
「おじさま、三歳児に話してるつもりじゃないでしょ。誰が、こんな難しい内容を幼児にまともに話すっていうの?」
「君なら理解できると思っているからだよ、イーリス」
イリス・アイリス。誰かがあたしに、そう呼びかけた、ことがある。
あれは誰の声だったろう?
『待って待って! アイリス!』
『いくら血縁でも、用心しなくちゃダメ! この世界は厳しいんだからっ』
シルルとイルミナが慌てて叫んでいる。心配してくれているのだ。
「だいじょうぶよシルル、イルミナ。少なくとも叔父さんは敵じゃないわ」
敵なら話し合うなんて、まだるっこしいことはしない。
「そうだよ、わたしは敵じゃない」
テーブルの上で叔父さんは手を差しのばしてきた。
「イーリス、手を取って。きみは、もうとっくに魔力が発動し、誰に教わらなくても魔法が使えていいはずだ。なのに、その兆しも見せないでいる。何かが邪魔をしているんだ」
「手を握ると、わかるの?」
「何でもじゃないけどね」
叔父さんがくすっと笑う。
少しばかり、いたずらっぽい表情に見えた。
いつも、二十歳という年齢のわりに、とても冷静沈着で、どちらかと言えば物静かで、おとなっぽい好青年なんだけど。
「さあ、わたしの手を取って。イーリス。君の魂の根源までたどろう。以前に学院のコマラパ老師もおっしゃっておられたが、君の魔力は十二分にある。大魔法使いになれる筈の器なんだ」
あたしにはさっぱり、よくわからないけど。
おじさんが真面目だということは確かなのだ。
あたしは手をのばして、おじさんの手を握った。
「一緒に降りていこうイーリス。魂の底の底まで」
エステリオ叔父さんが身を乗り出して、あたしの耳元で囁いた。
「……」
ぞくっとした。
脊椎をつたって下へ降りていく感覚があった。
自分の意識が、魂のありかをたどり、生命の底へと堕ちていく。
底の、うんと底のほうに、小さな銀色の光があった。
「おじさま、これ……」
「魂の光だよ」
叔父さんのきれいな声がささやく.。
「あるいは……DNAの」