これが私の執事です?
(あ゛~疲れた。)
ジジむさいため息をついたのは私です。誠一さんが言いたいことを言って、あっさり去って行ってからが大変だった。捕縛されていたお父様が逃げ出して、誠一さんと私がいい雰囲気であろう中を裂くために、世界一くさいと言われるシュールストレミングを左手に、あけ口を右手に準備万端の状態で襲ってきたのだ。ちょっ、それ私にも噴きかかりますよね?!貴方の大事な娘が一週間くらい、ずっと臭くなりますよ?日課のハグとほっぺにちゅーも、出来なくなりますよ??むしろ鷲ノ宮家に訴えられますよ?!私を婚約させたいのか、破談にさせたいのか、どっちなの??!と混乱していると、さっきまで心の中でジャイを笑っていたとき出た涙を、持っていた缶をしまい、いつの間にか目の前にいたお父様に拭われた。
「どうしたんだい?桜子ちゃん。君が涙を流すなんて、めずらしい。」
「あの、目にゴミが入ってしまって。」
(まさかリアルジャイ○○で笑ってたなんて言えない!)
「…誠一君の姿が見えないようだが?」
「誠一さんなら、残してきた仕事があるとかで、先に帰られました。」
「なるほど………………あの小僧ッ!!」
「えっ?」
「桜子ちゃん。たった今、お父様は何が何でもヤらなきゃいけない仕事が入ったよ。
恭司に桜子ちゃんを車で送らせるよう手配しておくから、君はゆっくり着替えてから先に戻っ ていなさい。」
じゃあね♪と弾んだ声を出してお父様まで颯爽と去って行った。…誠一さんの無事を祈る。
一人取り残された私は、お父様が去って行ったすぐ後に現れた恭司に促されるまま着替え、今家に戻る最中の車内にいる。
「お嬢様、本日はお疲れ様でございました。少し、疲れていらっしゃるようですね」
ミラー越しに優しく微笑みながらそう言ったのは、佐々木恭司。彼は私の執事?のようなもの?なのだ。なぜ?が2個付いているかと言うと、恭司は正式に、執事の役職についているわけではないからだ。どうやらお父様の秘書を務めているらしいのだが、私のそばにいる時間の方が圧倒的に長い。男子禁制、特別に認められた執事だけが学園の中に入ることが許されるのだが、そこでも恭司はそばにいて何かとフォローしてくれる。家に戻っても、食事の給仕、犬の散歩、家の掃除、などなどやっていたりする。でも肩書きは、お父様の秘書。お父様が、恭司が私の周りにいることを許しているのだからいいのだろう。
「ため息をついていらっしゃったようですので。………鷲ノ宮様と何かあったのですか?」
先ほどの優しげな雰囲気をガラッと変え、目元に怒りを滲ませた。声を低くしながら尋ねてくる。その姿に過保護だなぁ、と思ってしまう。本来恭司は、今日は休暇だったのだ。休日を返上しても、私のために時間を使ってくれることが、度々、というかかなりの頻度である。恭司は、30代半ばでお父様の秘書をする出世街道まっしぐらの、今が旬の男性だ。容姿も清潔な黒髪、理知的なふちのないメガネをかけた切れ長の目、いつも体にびしっと決まっているスーツ、身長も185cmと高く、すらっとした体系。こんな高物件世の女性はほっておきません!!と、うちのメイドも言っていた。恭司だって、彼女(いるのかな?)との時間を過ごしたり、プライベートな時間は必要だと思う。
「いいえ何もないわ。ただ今日、恭司はお休みだったはずでしょう?せっかくのお休みに、 私のせいでこうやって仕事をしなければならないのが申し訳なくて。ごめんなさい」
眦を下げ、意識して瞳をウルウルとさせる。今の私は、チワワよ。○フルの宣伝の、思わず撫で繰りまわしたくなるチワワ!これに陥落しない老若男女はない。百戦錬磨の桜子だ。恭司はそれをバックミラー越しに見ると、ため息をついた。
「………そういうことにしておきましょう。
それにお嬢様。いつも申し上げておりますが、私がお嬢様のお世話をさせていただくのは私 の仕事だからではありません。」
恭司がミラー越しに視線を投げかけてくる。焼けついてしまうような熱い、絡み付く様な視線を受けて、一瞬体が強張る。しかし次の瞬間には、視線を反らし何事もなかったかのように車を運転することに専念している。
「恭司?」
「はい、お嬢様。」
「怒ったの?ごめんなさい。いつも感謝している、って伝えたかっただけなの。」
「分かっております。…お嬢様、今日はお疲れになったでしょう。少しお眠りください。
お家に着きましたら、お呼びしますので。」
恭司は最近こんな眼で私を見るようになった。もしかしたら、もっと前からそうだったのかもしれないけど、私が気がついたのは最近。恭司の休みが少なすぎるのをそれとな~く促すと、お嬢様のお世話をするのは私の趣味です、とか、もはやライフワークです、とか、もう空気と同じくらい大切で当たり前ですね、とか、お嬢様は私がお嫌いですかそうですか死にます、とか話をはぐらかされるので最近はもう諦めていた。そしてその話をすると、いつの頃からかこんな眼で私を見ていることに気がついたのだ。恭司はどうして……?と思わなくもないけど、これを深く考えると藪蛇になりそうなので考えない!私第一(私が言うのもなんだけど)の恭司のことだから私にマイナスになるようなことはしないだろう。
(それにしてもな~、誠一さんもかなり分厚い猫被ってたし、その点で言えば猫被り同士仲良くで きたんじゃないかな?婚約者っていう形で出会わなければ、友達になれたかもしれないのに。残 念だな~、猫被り同盟!)
そんなことを考えているうちにうつらうつらして、いつの間にか眠ってしまった。自分が思っていたよりカメラの前で緊張していたようだ。
恭司は桜子の寝顔を愛おしそうに見つめている。そして、桜子が鷲ノ宮に罵倒されていたことを思い出す。そう、恭司はあの場にいたのだ。桜子達からは見えない死角に立っていた。高村から、桜子に万が一なにかあったらすぐに対処するよう言いつけられていたのだ。
(でも、)
恭司は思う。でも高村の命令がなくても恭司は桜子の傍にいただろう。死角などよりも、桜子のすぐ隣に控えていたかった。そうすれば、あんな風に桜子が怒鳴られることのなかったのに。
(お嬢様、お嬢様は高村の人間としてこの婚約を受け入れていらっしゃいますね。それはご立派 な覚悟です。高村の人間としては、上流階級の家の者としては正しいことでしょう。)
桜子はあのあと気丈に振る舞っていたが、その心は傷付いたに違いない。
(でも、私はお嬢様の婚約に、納得など、してはいないのですよ、)
桜子は、金持ちの鼻持ちならない連中と比べ物にならない程綺麗だ。様々な人の思惑の中にあって、それでも桜子は誰の意見に流されるわけでもなく、自分をしっかり持ち大人と対等に渡り合っている。その他有象無象を比べるなんて神を冒涜するのと同じ行為だ。
(お嬢様、どうか私を遠ざけないでください。)
自分の中に巣食う獣は、桜子が大人に近づくにつれて制御が難しくなるほど暴れまわっている。それは、桜子が婚約を承諾してさらに恭司を追い詰めた。
最近桜子は、自分が休みを潰して執事のまねごとをしていることを気にしている。しきりに休みを取ったら?恭司の休みを私の都合で潰してごめんなさい、と可愛らしい顔を申し訳なさそうにして謝る。それだけで恭司の心は満たされた。桜子の心は、今自分のことだけを考えている。桜子の心は私のものだ。
(私の中の獣は、お嬢様が近くにいて下されば犬の様に従順になるでしょう。ですからお嬢様、 どうか私を近くにおいてください。
……そして、お嬢様を罵倒したあの男を婚約者として認めません。あの男が貴女に近づかない のなら、私は何もしない。だけどもし、お嬢様にまた危害を加えようとするのなら私は……)
こんな恐怖のヤンデレ執事が近くにいることに気づかず、私は、う~んジャイむにゃむにゃと言いながら幸せな惰眠を貪っているのだった。
桜子の地雷その一。