第5話 迫り来る崩壊と、覚醒する聖域の力
王都からの使者を追い返してから数日、辺境の地には不穏な静寂が満ちていた。
王都からの報復は時間の問題であったが、アウレリアの心は驚くほど凪いでいた。
かつて石牢で死を待っていた時のような諦念ではない。これから始まる激動の時代に対する、静かなる確信。彼女はカスピアンと共に、領内各地に点在する「古代の調整弁」を再起動させる作業を続けていた。
アウレリアがこの地の調整弁を一つ開くたびに、大地は震え、荒れ果てていた土壌から新芽が芽吹き始めるような生命の息吹が満ちていく。
星の見えない曇り空のある夜。二人は領地の最北端に位置する、氷に閉ざされた聖域の塔の頂上に立っていた。
塔の周辺は、領軍の精鋭部隊が取り巻き、かがり火をたいて警戒している。
凍てつく風がアウレリアの長い髪を激しく揺らすが、彼女はそれを気にする様子もなく、塔上の中央に刻まれた複雑な幾何学模様の魔法陣に手をかざしていた。
その指先からは、王都で搾取されていたものとは比較にならないほど純粋で、大地と深く結びついた力強い魔力が溢れ出して、その魔力に呼応して魔法陣からも魔力が漏れ始めた。
カスピアンはアウレリアの背中を守るようにして立ち、塔の外側に集まり始めた魔物たちの咆哮を睨みつけていた。
魔物たちの咆哮が大きくなっていく。それに呼応しているわけでもないのだろうが、塔上の魔法陣から漏れ出る魔力が増大し、毅然として立つアウレリアを巻き込んで渦を巻き始めた。
「アウレリア、魔力の奔流が塔の許容量を超えそうだ。強すぎる……この地は、我々が思っている以上に飢えていたのかもしれない」
カスピアンの声には、大地に対する畏怖と、それを制御しようとする聖女への深い信頼が混ざっていた。
彼は剣を抜き放ち、塔の入り口を固める。周囲には、王都が仕向けた魔の気配が濃くなっていた。
彼らは結界が一時的に弱まった辺境を蹂躙しようと、飢えた獣のように集まってきているのだ。
「何が来ようと大丈夫です、カスピアン様。この地はただの魔力の器ではありません。……かつて、この地は文明のゆりかごだったのです。王族たちが忘れてしまった、大地の優しさと厳しさ。それを取り戻すのです」
アウレリアの瞳が青白く輝く。彼女の全身を包む魔力のオーラは魔法陣の魔力と溶け合い、もはや彼女個人のものではない。何千年も前から眠り続けていた、この大地の記憶そのものだった。
彼女の脳裏には、かつての聖域が栄華を極め、その後、傲慢な支配者たちによって資源を吸い上げられ、砂漠のように枯らされていく光景が走馬灯のように駆け巡る。
王都にいた頃の果てしない無力感は消え去り、今、彼女は「大地と契約する者」としての誇りを取り戻していた。
カスピアンの鋼の剣が青い火花を散らすと、領軍の守りを破って塔の階段を駆け上がってきた魔物が両断されて消えていく。アウレリアの魔力と融合した塔の魔力によってカスビアンの剣技は冴えわたり、彼の背中は、かつてないほど頼もしい。
王都で「呪われた辺境伯」と蔑まれていた男が、今やこの大地の守護者として、かつてないほど強固な輝きを放っている。二人の周囲を渦巻く魔力は、もはや誰にも止めることのできない猛嵐となっていた。
「アウレリア! 大気が歪んでいる。来るぞ、王都の軍勢か、それとも――」
カスピアンの言葉を遮るように、空の裂け目から巨大な黒い影が姿を現した。それは王都の宮廷魔術師たちが総力を挙げて送り込んだ、辺境を焼き払うための「浄化の炎」を纏った災厄の龍であった。
かつて彼女が守り続けた王都の象徴的な魔力制御技術が、今や彼女の住まうこの地を焼き尽くすために使われている。その残酷な事実に、アウレリアは冷笑した。
「皮肉なものですわね。自分たちが捨てた土地を、自分たちの手で破壊するなんて。ですが、もう二度と、私を『道具』として使うことはさせません」
アウレリアは両手を広げ、雲間からのぞいた月光を全身に浴びた。彼女の魔力と、覚醒した大地の力が完全に融合する。魔法陣だけでなく塔そのものも光り輝き、辺境全体を覆う巨大な光の盾が形成されていく。それは、王都の偽りの聖域とは比較にならない、物理的にも霊的にも強固な、真の防壁であった。
龍の吐く業火が盾に衝突し、轟音が周囲の岩山を震わせる。しかし、盾は微塵も揺るがない。
アウレリアの傍らに立つカスピアンは、その盾を支える彼女の肩を強く抱きしめた。
「共に戦おう、アウレリア。この地で、我らの新しい物語を刻むために」
「ええ、どこまでもご一緒しますわ、カスピアン様」
激闘の夜はまだ終わらない。だが、二人の間には、もはや恐怖も迷いもなかった。王都という名の虚飾の檻を打ち破る、決定的な瞬間が、すぐそこまで迫っていた。




