三回目
5月20日
これは実際に私が見た夢の記録。
見覚えのない場所を歩いていた時、突如。スマホの不協和音が鳴り響いた。画面に表示された緊急地震速報は、本州のあちこちで「震度八」という現実にはあり得ない規模の地震が発生していることを示していた。
それと同時に、私に強烈な激震が襲いかかった。とても立っていられるような揺れではなく、私はただその場に蹲り、収まるのを待つことしかできなかった。
やがて揺れが引き、周囲を見回すと、橋の入り口付近で凄惨な光景が広がっていた。車は激しく渋滞し、混乱に乗じて食べ物を異常な値段で売る者や、食料を持つ人間に暴行を加える者が現れていた。
なかなか通らない跳ね橋に対し、人々の苛立ちは限界に達していた。「さっさと開けろ」という怒号が飛び交い、集団が無理やり道を切り開いた。しかし、その先にあったのは道ではなく、ただ濁流が激しく渦巻く荒れた水面だけだった。
次に目が覚めた時、私は船の中にいた。構造はひどく歪だったが、内装はまるで高級タワーマンションのような場違いな煌びやかさだった。
私はなぜか、隣にいた幼馴染と共に船の深部へと降りていった。辿り着いたのは、死体焼却場だった。なぜそこに置かれているのか分からない戦車を避けて中へ入ると、思ったよりも焼却されている死体の数は少なかった。
その時、ある数字が目に留まった。並べられた死体には、それぞれ①から③の番号が振り分けられていた。
近くの者に尋ねると、それは死因の分類なのだという。①は暴行や他殺によって命を落とした者。②の理由は霧がかかったようにあやふやで、どうしても思い出せない。③は地震の際、上からの落下物に直撃して亡くなった者。
その説明を聴いている最中、唐突に狂おしいほどの予感が肌を刺した。
「また、地震が来る」
私は幼馴染の腕を引き、急いで死体焼却場から飛び出した。その瞬間に、再び世界が激しく揺れ動いた。スマホから一斉に鳴り響く警告音に意識が掻き乱されそうになるが、私は必死に正気を保ち続けた。画面を凝視すると、韓国、青森、東京、北海道、そして三重の辺りに「震度八」の文字が冷酷に浮かび上がっていた。
揺れが収まった時、周囲には私一人しか残っていなかった。
上層のタワーマンションのようなエリアへ向かうと、そこには上流階級らしき人間たちが集まっていた。彼らは、下界で慌てふためく人々を「愚かだ」と冷笑するように見下ろしていた。
私が一つ、瞬きをした瞬間、景色は長閑な田舎町へと切り替わっていた。
記憶はここから徐々に朧気になっていくが、そこは先ほどまでの地獄が嘘のように食料に溢れた場所だった。暮らす老人や若い人々も、私にとても優しく、丁寧に接してくれた。しかし、私の心には「帰らなければならない」という強い衝動があり、引き止められる声を後ろにその郷を後にした。
気がつくと、私は自分の家の付近まで戻ってきていた。
玄関を潜っても親の姿はなく、少し待っていると帰宅してきた。親は私に「散歩にでも行かないか」と声をかけ、私はそれに頷いた。
見慣れた我が家の周辺のはずだった。だが、進むごとにどこか道筋がおかしくなっている。それでも歩き続けていると、土手の向こうから鮮烈な朝日が差し込んできた。私は土手を駆け上がり、スマホを向けて、その美しい朝焼けの光景を写真に収めた。
そのままふと、眼下に広がる街を見渡した。
そこにあったのは、もはや街とは呼べないほどに、無残に崩壊し果てたボロボロの廃墟だった。
そこで、私は目を覚ました。
酷く長い夢だった。目が覚めてからも、あの地震の恐怖と崩壊した景色のリアルさが身体にへばりついて離れず、もし現実に巨大地震が来たら、私は到底生き残れるはずがないという無力感だけが、冷たく胸に残った。




