カエル頭の先生
朝の会議が正式に終了した。
その後、クジラ班の班長である鷲尾黒夜は、蓮司たち黒芽を連れて、施設内の見学に案内した。
案内中、彼らは内部で働くスタッフたちと出会った——その中には、クロモノ病に対する免疫は持っているものの、能力を発現できない人々もいた。そういった人たちは、戦闘現場には出ずに、清掃や食事の準備、事務作業など、裏方の業務を自ら志願して担っていた。
その理由の多くは、年齢を重ねたこと、あるいは……もうこれ以上「死」に近づきたくないという想いだった。
そして、黒夜は皆を寮へと案内した。
男子寮と女子寮は明確に分かれており、それぞれはアパートのような階層構造になっていた。もちろん、クロモノ病の抗体薬は毎日すべての部屋に届けられる。休みはない。
さらに、黒夜は各人に配布資料と、初年度に必要な教科書類を渡していった。
その日の昼食は、クジラ班の全員が食堂で集まり、一緒に食べる形となった。そして午後になると——
黒芽たちは、それぞれ自分の配属された訓練チームへと移動する時間がやってきた。
彼らは皆、それぞれ異なる本部隊から来ているため、当然、配属チームも異なっていた。
……そのため、蓮司は一人、訓練棟の「546号室」を探して歩いていた。
「はあ……美姫ちゃんと雄平くんと一緒のチームだったらよかったのになあ……」
そう呟きながら、蓮司は546号室のドアを押して中に入った。
その瞬間——
心臓がドクンと鳴った。
目に飛び込んできたのは、まさかの二人だった。
「美姫ちゃん! 雄平くん!」
蓮司は驚きながらも、すぐに二人の名前を呼んだ。
部屋の中では、美姫と雄平が、一人の男の周囲に座っていた。
その男は、黒のレザースーツにネクタイを締めた、整った出で立ちの人物——
だが、なぜか彼の頭には「巨大なカエルのマスコット」が乗っていた。
左胸とネクタイには、ミッドナイトの象徴であるツバメのエンブレムがはっきりと輝いている。
蓮司はその奇妙な姿に一瞬呆気に取られたが、すぐに笑顔を浮かべて二人に駆け寄った。
「やった! 同じチームになれたんだ!」
美姫が明るく言った。
彼女は黒芽の女子用ユニフォームを着ていた——黒の長袖レザージャケットに、蛍光グリーンのライン。中には白のシャツを着用。左胸には、緑の蛇のシンボルが丸く描かれたワッペンが貼られている。
黒のプリーツスカートに、同色のタイツ、ショートブーツ、レザーベルト。そして黒のネクタイの先には、蛇の紋章入りピンがついていた。
「また一人で静かに座る羽目になるかと思ったよ……」
と、雄平がため息混じりに呟く。
彼の制服は蓮司とほぼ同じだったが、ラインの色が黄色で、それが“バイソン”班の証だった。
「また君たちに会えて、本当に嬉しいよ」
蓮司は心からの笑みを浮かべた。
そしてその時——
チームの四人目が姿を現した。
「は? お前らかよ? てっきり部屋間違えたかと思ったぜ……」
現れたのは、赤のラインが入った黒芽の制服を着た少年だった。エンブレムは“イーグル”班。
彼は露骨に不機嫌な顔をしており、部屋のナンバーをもう一度確認しに戻った。
「それにしても……あのカエル頭は誰だよ……
よりによってこんなクソガキ共と同じチームとか、ありえねえ……」
その時、不機嫌な彼に向かって、カエル頭の男が静かに声をかけた。
「入ってきなさい。あと二人まだ来てないよ。どうせ待つんだから、扉を塞がないでくれるかな?」
「まあまあ、そんなに私たちのこと嫌がらないでよ」
と、ミキが肩をすくめながら軽く笑った。
「この人が私たちの担当教官だよ。名前は——黒瀬 隼人先生」
「はじめまして。藤原蓮司です。黒瀬先生、これからよろしくお願いします」
「うん、よろしくね。……そんなに見つめて、僕の頭に興味あるのかな?」
「い、いえっ……別に……」
「大丈夫だよ。みんな最初はそうだからね、蓮司くん」
そう言って笑ったのは、頭にカエルのマスコットを載せた不思議な教師だった。
五人はそのまま静かにチームメンバーを待っていた。
そしてしばらくして、残りの二人が部屋に入ってくる。
当然ながら――彼らも蓮司と同じように「目が点」になっていた。
「やっほー、初めまして! 藤崎りん(ふじさき・りん)っていいます。よろしくねっ!」
明るく響いた声の主は、鮮やかな緑色の瞳をした少女だった。
ふわふわのライトブラウンの髪には虹色のハイライトが入り、光を受けてキラキラと輝いていた。
後ろ髪には黒とピンクのリボンを結んでいて、制服は美姫とほぼ同じデザイン。
ただしストッキングは黒とピンクのボーダー柄だった。
彼女の所属は狼隊で、ユニフォームのラインとネクタイのシンボルはピンクだった。
彼女の隣に立っていたのは、背の高い眼鏡の青年だった。
その佇まいは寡黙で理知的、表情は硬い。
彼の名は、中村裕樹。
背丈は黒瀬先生に迫るほどで、目つきからしても辰也とは正反対の性格に見えた。
彼の制服のラインはオレンジ――つまり彼は、獅子隊の出身というわけだ。
「じゃあ、そろそろ本題に入りましょうか」
カエル頭の教師――黒瀬隼人が声を上げた。
その口調には、どこか飄々とした雰囲気が混じっている。
「改めまして、僕の名前は黒瀬隼人。これから四年間、君たちのチームの指導を担当します。……まあ、誰も死ななければの話だけどね」
彼は冗談のように、けれどもどこか真実味のある笑みを浮かべながら言った。
「ちなみに、僕も元々は蛇隊の出身です。美姫くんと一緒だね。卒業後、昼間勤務を志願すると、僕みたいに燕隊へ異動になります」
「えっ、あの頭カエルが蛇隊だったって、なんか真逆じゃん……」
雄平がぽつりと呟く。
「カエルには毒持ちも無毒もいるからね。蛇隊にいても別に変じゃないよ?」
黒瀬はさらっと返した。
「ってことは、僕たちの選考試験の担当者って、もう卒業した先輩だったんですね?」
裕樹が問いかける。
「その通り。よく気づいたね、裕樹くん」
黒瀬は頷くと、声のトーンを改めた。
「さて、これから君たちにはチームの構造や役割について簡単に説明するね。もうお互いに自己紹介は済んだから、できればもっと仲良くしていってほしい」
「――なにしろ、これが君たちの『チーム』なんだから」
「僕たちはチームで動きます」
「バッファロー隊は“前線突破”」
「ライオン隊は“知略担当”」
「イーグル隊とウルフ隊は“近接戦闘要員”」
「スネーク隊は“支援・サポート”」
「そして、ホエール隊――つまり君たち――は“奇襲・潜入任務担当”」
黒瀬は真剣な表情で続けた。
「この構成は、お互いの役割が噛み合うように設計されているんだ。なぜかって? それは――僕たちの敵は、君たちが想像している以上に、手強い存在だからさ」
「ふあぁぁ……」
辰也があからさまに欠伸をした。話の途中からすでに退屈そうな顔をしていたが、ついに口にまで出してしまったようだ。
「……座学はお好きじゃないようですね?」
黒瀬が目を細めて辰也を一瞥する。
「でも安心していいですよ。一年目のカリキュラムは確かに座学が多いけれど、後半からはもっと実践的な課題がたくさんあります。きっと退屈する暇はないはずです」
彼は一呼吸おいてから、声のトーンを落とした。
「――実は最近、我々の“討伐部隊”では人手が不足しているエリアもあってね」
「場合によっては……コクメの一年生にも、支援要員として出動をお願いする可能性があります」
「ええっ!? どういうことですか!?」
美姫、蓮司、雄平、そしてりんの四人が、ほぼ同時に声を上げた。
「うん、まあ……」
黒瀬は静かにうなずいた。
「最近、とある“感染者”が意図的にクロモノウイルスを拡散しようとしているんです」
「そいつを、僕たちはどうしても捕らえなければならない。生きていようが死んでいようが、どちらでも構いません」
「……どれくらい危険なんですか?」
蓮司がすかさず尋ねる。表情は険しい。
「かなり、ね」
黒瀬は身じろぎすると、淡々と続けた。
「そいつは一般人を“第四段階クロモノ”へと変異させようとしている」
「内部情報によると、複数の放火事件にも関与している可能性がある」
「警察署や廃ビルなど、標的はさまざまだ」
「さらに、ミッドナイト隊の隊員を殺害し、その遺体を怪物化させた――という報告すらあるんだ」
「おお……そうこなくっちゃな」
達也は口元をニヤリと歪め、不気味なほど意気込みを見せた。
一方、宏樹は彼を一瞥しただけで、すぐに視線を隼人に戻した。
「もちろんです」
隼人の声はあくまで落ち着いていた。
「一年目の君たちにとっては、まだ危険度の高い任務です。
だから直接、あの犯罪者を相手にさせるつもりはありません」
彼は口元にわずかな笑みを浮かべた。
「君たちには『偵察班』あるいは『支援要員』として動いてもらう形になると思います」
「だから現時点では、さほど心配する必要はありませんよ」
そう付け加えると、彼は教室内の反応をざっと見渡した。
だが、あまりに静まり返っていて活気がない。
そこで隼人は、ふと思いついたように声を弾ませた。
「さて、今日は退屈な話ばかりになってしまいましたので……
ここでひとつ、小さな“ゲーム”を提案したいと思います」
そう言って、蓮司と美姫に視線を向ける。
「蓮司くん──君の能力は、自分の血液を弾丸に変えることでしたね。
これからは、君の腕時計と連動した『特殊拳銃』を使ってもらいます」
「美姫さん──君は血を蜘蛛の糸に変える能力でしたね。
こちらも腕時計を介して発動できるよう、装備はすでに用意してあります」
隼人は肩をすくめながら言った。
「最初はちょっと痛むかもしれませんが……慣れてくれば平気になりますよ」
「はいっ!」
蓮司と美姫は、息を合わせたように元気よく返事をした。
「次は……雄平くん」
隼人は体格のいい彼を見やった。
「君の能力は、身体を石化させること──素晴らしい硬度です。
その力を、ぜひチームのために活かしてくださいね」
「そして──達也くん」
カエル頭の先生は、やや皮肉げに達也へ視線を移した。
「君の『鉄翼の鳥』への変身能力、なかなか興味深いですね。
ただ……まだ完全な変身には程遠いようです。もう少し、精度を上げられるといいですね」
「……なんだと、カエル頭が」
達也が眉をひそめ、ガタンと椅子から立ち上がった。
今にも飛びかかりそうな気配を漂わせる。
だが美姫が慌てて腕をつかみ、制止した。
「ちっ……覚えてろよ。すぐに思い知らせてやるからな」
達也は彼女の手を振り払って、隼人を睨みつけながら低く唸った。
「りんさん──君の風の能力は、かなり強力です。
ただし、制御が難しいのも確か。できるだけ多く訓練してくださいね」
隼人は虹色の髪を持つ少女に微笑みかけ、最後の一人へと視線を移した。
「そして最後は──宏樹くん、チームのブレーンだね」
その瞬間、彼の表情が一変し、真剣な色に染まった。
「君の瞬間跳躍の念動力……非常に危険な力です。
と言っても、他人に対してじゃない。むしろ『君自身』にとって、ね」
「タイミングを誤れば──君自身を殺すことだってある。わかってるよね?」
宏樹は小さくため息を吐いた。
「ええ、先生。常に気をつけてはいるんですけどね……
ただ、もし頭だけとか、体の一部だけが先に飛んで、残りが取り残されたりしたら──
想像するだけでゾッとしますよ」
「本当に気をつけてね」
隼人は心から心配そうに頷いた。
「わかってます、はいはい……」
宏樹もそれに応じて、軽く頷いた。
「よし──それじゃあ……」
隼人は椅子に腰を下ろし、足を軽く開いたまま手を組んで膝の上に乗せた。
「今日のアクティビティ、ゲームを始めようか」
彼は口元を吊り上げてニヤリと笑う。
「ゲームの名前は……『黄金の卵争奪戦』です!」
その言葉と同時に、
教室中の視線が──揃って“見てはいけない場所”へと向けられた。
「ちょ、ちょっと! 違いますよ! 違いますから!」
隼人は慌てて脚を閉じ、困り顔を浮かべた。
「“そこ”じゃありませんって!」
そう言うと、彼はシャツの中に手を入れ、何かを取り出した。
掌サイズの金色のボール──まるで本物の“黄金の卵”のようだった。
「こっちです。今日の主役はこの卵」
彼はそれを頭の上にちょこんと乗せた。
「ルールは簡単。制限時間は20分。
その間に、この卵を僕の頭から奪えたら、君たちの勝ちです!」
「……なんか、読んだことある漫画のゲームそっくりですね」
雄平が眉をひそめ、ぽつりとつぶやいた。
「パクってますよね?」
「うっ……そんな言い方しないでよ、恥ずかしいなあ」
隼人はカエル頭のマスコットをかきながら、乾いた笑いを漏らす。
「まあ、そうです。みんなの力を見たくて、ちょっと……アイディアを借りました」
「大丈夫なんですか? カエル先生」
達也が細めた目で挑発するように問いかける。
「僕を本気にさせたら、止まらないですよ?」
「大丈夫かどうかなんて──やってみなきゃわからないでしょう?」
隼人は平然としたまま微笑んだ。
「準備はいいですか、みなさん? それじゃあ……スタートです!」
.........................................................................................................................................................
ミッドナイト部隊のもう一方──
太陽の光すら届かない廃工場の中。
薄暗く、冷たい空気が重くのしかかるその空間は、まるで闇に呑まれたようだった。
そこに立つのは、茶系のロングコートに身を包んだカウボーイ風の男。
コートの内側には、鮮やかな赤の裏地が覗いている。
日焼けした肌、無精髭に覆われた顎、鋭い眼光。
背が高く、がっしりとした体格の男が、ゆっくりと足を運びながら、
部屋の中央で座らされた男の周囲を周っていた。
その男──“獲物”は、透明なビニールで全身を巻かれ、
胴から足先に至るまで完全に固定されている。
身動き一つとれない状態だ。
左胸には、かすかに光る“バッファロー”のエンブレムが──。
「もう三日目か。君、クロモノの抗体薬を飲んでないんだろ?」
男の声は柔らかいが、底冷えするような冷たさを孕んでいた。
首をかしげ、小さく笑う。
「なかなかタフじゃないか。ミッドナイト部隊の兵士──だよね?」
くすくすと楽しげに笑いながら、彼は言葉を続けた。
「じゃあ今日はね、“増量”してあげよう。
君の中にある“それ”を、もっと活性化させてみようか。
何か面白いことが起きるかもしれないし?」
「んんっ! んーっ、んんーっ!」
ぐるぐる巻きにされた兵士が、口を塞がれながら必死に呻く。
だが、もがいても無駄だった。抵抗する余地などどこにもない。
カウボーイは無言で注射器を取り出す。
中には、真っ黒で油のように濃い液体が詰まっていた。
その針が、ゆっくりと男の首元に刺される──。
「……チュッ」
微かに音を立てて、薬液が体内へと注入される。
直後、体がピクンと震え、そして──
兵士は気を失った。
「ふふ……今夜が楽しみだよ、兄さん」
カウボーイはそのまま、男の首に腕を回してハグするように抱き寄せた。
そして──
ぐるりと一回転、誰もいない闇の中で、
一人きりの舞踏会を始めた。
まるで、この世界そのものが
彼のための“舞台”であるかのように。
破滅の足音は、確かにそこまで迫っていた。
静かに──しかし、確実に。