第四話「二度目の終わり」
色白でふっくらとした愛らしいその女性は、特に美人というほどの顔立ちではなかったが、どこか浮き世離れした雰囲気が今は亡き皇后陛下によく似ていた。
少年王に頼まれ、ふわふわと雲の上を歩くような足取りで王城を案内する彼女を、幼い頃から仕えている私でも見た事がないような眼差しで皇帝陛下がじっと見つめるのに、友二人は勿論、狼犬のザードでさえ主が恋に落ちたのだと気がついた。
北の島国の第二王女、セラフィーナ。
大陸を統一した帝国皇帝を虜にした、これまでで唯一の女性。
国は小さいが王族だから身分は釣り合う、その他の問題はどうにでもなるから何とかして口説け、と大喜びの友人たちに応援され、様々な口説き文句を吹き込まれ、「うるさい黙れ」と言いつつも皇帝陛下は彼女に好かれるよう努力した。
が、皇帝陛下は普通の生活というものに恵まれていない。
少年期は数多の家庭教師を自信喪失させながら奇人変人と遊び、思春期には軍を指揮して両親の仇を討つついでに大陸を統一し、戦後、遊ぶ間など欠片も無く執務に追われながら青年となり、国がある程度落ち着くと今度は多彩な美女たちに夜毎迫られる、という生活を日常としてきたお方である。
戦乱とは無縁の北の島国で、穏やかに慎ましく暮らしてきた王女殿下を口説くのに、彼ほど不適切な人物もいなかっただろう。
皇帝陛下は見物人が拍手したくなるほど見事に色々な手順を間違え、言葉選びや行動の選択を誤り、当たり前のように王女殿下に逃げられかけたが、周りの人々の手を借りてなんとか捕まえ結婚の承諾を得た。
あまりに必死な皇帝に同情した天然気味な王女が、「この気持ちは恋だわ」と勘違いして承諾しただけではないか、という説もあるが。
その真偽は王女殿下にしかわからない。
ともかく周囲は皇帝が権力を振りかざして第二王女を奪い去る、という結末にならずに済んだ事に深く安堵し、帝国と連絡を取ってどのように婚儀を進めるかという話に入った。
◆×◆×◆×◆
帝国皇帝とセラフィーナ王女の華燭の典が行われると、大陸中がお祭り騒ぎになった。
大陸を統一させて長きに渡る戦乱を終わらせた偉大な皇帝の幸福と、その平和を維持する後継者の誕生を願い、多くの民が二人を祝福した。
城では最初、浮き世離れした田舎国の第二王女が超大国の皇后としてやっていけるのかと心配する者達もいたが、彼女はその天然ぶりを遺憾なく発揮して見事に高位貴族たちの慇懃無礼な挨拶を受け流し、目を白黒させている彼らを独特の思考から紡ぎ出す言葉で煙に巻き、皇帝陛下より上手に扱いにくい彼らをあしらった。
しかし、自身ではどれほど上手くそれをこなしたのかまったく理解しておらず、その無邪気さが皇帝陛下を笑わせた。
それは若くして皇帝の座についた彼が、初めて公式の場で見せた本物の笑顔。
妻を得た皇帝が公式の場で笑えるほどに落ち着くと、不思議と帝都が落ち着いた。
その空気はやがて大陸全土へ広がり、着実に復興の進む各地で、亡国の元権力者たちを旗頭に叛乱を起こそうという不穏な気配も、ゆるやかにとかされ消えていった。
そして、一年後。
皇后陛下、ご懐妊の報。
皇帝陛下は誰よりもそれを喜んだが、母親が自分のお産で身体を悪くしたという事情のせいか、同時にひどく心配した。
初めての子だというのに、皇后陛下の方がどっしりと落ち着いており、自分が少々気分を悪くしただけでおろおろと右往左往する夫を「大丈夫ですよ、あなた」と、のんびりなだめていた。
そんなある日。
皇帝陛下が新しく造られる学舎などの視察の為に数日城を離れる事になり、私は皇后陛下の護衛に残された。
皇后陛下は午後の暖かな陽射しを浴びながら、他愛のない雑談の中で私に訊ねた。
「ねぇ、猫さん。私の国では子供と同じ日に生まれた動物を探して、子供と一緒に育てる風習があるの。前に陛下にお聞きしたら飼っても良いと仰って下さったから、今から探しているのだけれど。
その子の名前は何が良いかしら?」
問われてぽろりと口からこぼれたのは、前世で飼いたかった猫。
「アビシニアン」
「アビシニアン? とても可愛らしい、不思議な響きの名前ね」
皇后陛下はその言葉の響きが気に入ったようだったが、現物を見ずに名を決めるのはまったく似合わないものになる可能性が高い、という危険があるので、あくまで候補の一つという事でお願いしておいた。
後年、何故こんな似合わない名前にしたのだと、皇子か皇女からお叱りを受けるのは遠慮したい。
皇后陛下はそんな事は気にしなくて良いだろうと笑ったが、普段何も言わない私がお願いするのを珍しがって、わかりましたと頷いた。
「では、候補のひとつとして覚えておきましょう」
◆×◆×◆×◆
のんびりした母親に似たのか、皇帝陛下の御子は十月十日をだいぶ過ぎるのに周囲を青ざめさせておいて、何の問題もなく健康に生まれた。
健やかな赤ん坊の泣き声が響きわたるのに、まるで自分がお産をしたかのように疲れきって土気色の顔になった皇帝陛下は、面会を許されるとふらふらと今にも倒れそうな様子で綺麗に整えられた寝台へ行き、妻の細い手を握ってその無事を神に感謝した。
皇后陛下は意外と元気で、「あら、わたくしも頑張りましたのよ」とおっとり微笑み、神にばかり感謝する夫をほがらかにからかった。
二人の第一子は男の子で、よく泣き、よく乳を飲み、よく眠る様子に皆深く安堵した。
そして皇后陛下の郷里の風習に従って探された同日生まれの動物は、金色に黒い斑点の散る美しい毛並みの豹。
雄だったので「アビシニアン」では可愛らしすぎるという事になり、別の名が与えられた。
私の出した名前を使えなかった事を残念がった皇后陛下は、「娘が生まれたらアビシニアンと名付けましょう」と宣言し、皇子のお産を思い出したらしい皇帝陛下に「娘はもう何年か後にしておこう」と言われていた。
一年後。
皇帝陛下は二十六歳になられ、一歳を迎えた御子のお披露目に、帝都を馬車で巡ると決められた。
その報せが出されると、帝都には帝国の後継者たる皇子を一目見ようと人々が押し寄せ、皇帝夫妻の婚儀の時のようなお祭り騒ぎが連日繰り広げられるようになる。
人で溢れたその中を、短い距離とはいえ皇帝一家が一台の馬車に乗ってまわるというので、警護担当者たちは安全確保の為に昼夜問わず走り回る事になった。
そうして慌ただしく人々が動く中、準備は着々と進められ、いよいよ当日。
皇帝陛下は皇子を片腕に抱き、皇后陛下を連れて豪奢な馬車へ乗り込んだ。
私は馬車の後方を、狼犬ザードの背に乗って付いていった。
見た目より重い機械人形の身体には軽量化の魔術がかけられている為、数日かけて私を乗せる訓練をされたザードは背の上の荷をさして気にせず、軽快な足取りで主の乗った馬車を追う。
そうして皇帝一家の馬車に追従しながら、事前に警護担当者から渡された数十枚の要注意人物の似顔絵の中に、元王国近衛騎士団団長、バルファスの顔があった事を思い出していた。
機械人形という私の身体に、ほとんど全ての部品を取り替えなければならないほどの損傷を与えた唯一の人物。
私が左目を潰しながら仕留め損なった男。
各地で破壊活動を扇動しているという情報を掴みながらも、帝国軍は未だ彼を捕らえられないでいる。
最終決戦の場で見た時よりも頬が痩け、狂気的な顔つきになった彼の似顔絵を手にしてからずっと、妙な胸騒ぎがしていた。
どうやらそれは、前触れだったようだ。
民衆の中から皇帝陛下の馬車の前へ飛び出してきた、一人の男。
数年越しの後悔のおかげか、私はおそらく誰よりも早く「彼だ」と気付いた。
考えるより先に身体が動き、ザードの背から飛び降りると全速力で走ってその身を確保。
以前よりだいぶ細くなった男の腕を掴んで捻りあげると、路上に押し倒して拘束する。
当然、反撃を警戒しながら押さえ込んだのだが、彼はまったくと言っていいほど抵抗してこなかったので、違和感を覚えた。
何かおかしい。
騒然となる周囲のざわめきを聞きながら、押し倒された状態で男が奇妙なほど満ち足りた笑みを浮かべるのを見て、身体の奥の歯車が悪寒に震えた気がした。
自分の命を捨てて、皇帝陛下に一矢報いるつもりか。
王国が帝国に敗れて八年。
主君を失い、国を失い、左目を失い、地位や名誉を失っても命までは失わず。
そんな彼がこれまでどうして生きてきたのか私は何ひとつ知らないが、皇帝陛下を害そうというのなら止めさせてもらう。
それが機械人形の身体に組み込まれた命令による判断だったのか、気付いたら金属の身体の中にいた私という魂の望みだったのかは、自分でも解らない。
ただ、何をすればいいのかは解っている。
バルファスを片腕で拘束したまま、もう片方の手で私を追って傍にきた狼犬の首を掴んで離れた所へ放り投げると、誰も来ないうちに一つの言葉を唱えた。
「 籠の鳥は眠る 」
八年前から常に私の手首にあった腕輪型の魔道具が起動し、鉄壁の魔術結界が展開される。
皇帝陛下は小型の結界だと言っていたが、私とバルファスを余すところなく包み込めるだけの大きさがあったので何も問題ない。
私は結界に閉じ込められた事に気付いた彼が驚愕に目を見開くのを眺めおろし、相打ちも悪くないなと思った。
彼が皇帝陛下の命を奪う可能性は、これで消えるのだ。
今生の親である博士の元へ帰れず、彼の研究にほとんど何の協力もできなかったのは残念だが、心配事を一つ無くしてゆけるのだから私にしては上出来な方だろう。
元王国近衛騎士団の、団長どの。
求めた獲物ではなかろうが、皇帝陛下の猫、貴方の左目を奪った私が共に逝くのだから、それで我慢しておいてくれ。
極限まで見開かれた男の目の中で、笑えない筈の機械人形が傲慢な笑みを浮かべたような気がして。
身体の下で凄まじい爆発が起きるのに意識が消し飛ばされる。
それが戦闘型の自律式機械人形へ宿った私という魂の、二度目の終わりだった。
◆×◆×◆×◆
ふわふわと、柔らかい何かで全身を包まれている。
涼やかなそよ風が頬を撫でていくのに、ふぁ、と身体があくびをこぼした。
すぐそばで誰かが笑い、ささやき合っている。
そしてそっと近付いてきたあたたかなものが、どこか懐かしい声で言った。
「はじめまして、アビシニアン。ぼくのかわいい妹」
それが三度目の始まりを告げる声であると、その時の私には知るよしもなかった。
2011年4月30日、完結。ありがとうございました。