第86章 原罪の構図
深夜一時、霞が関の合同庁舎を見下ろす外堀通りの歩道橋。
氷室はトレンチコートのポケットに両手を突っ込み、街灯の白い光に照らし出された無機質なアスファルトを見つめていた。頭上を走り抜ける首都高速の重い走行音が夜の静寂を震わせ、眼下に広がる官庁街のビル群は、見渡す限りの窓に整然とした光を灯していた。その一つひとつの明かりの奥で、無数の官僚や技術者たちが、いまこの瞬間も膨大なデータと書類に向き合い、システムの「正常維持」という名の駆動を続けている。
彼らは誰一人として悪意を持っていない。それどころか、己の義務に誠実であり、組織の論理に忠実な、きわめて優秀で真面目な人間たちだ。
しかし、氷室の網膜に映るその光景は、巨大な自動人形が自らの肉体をすり潰しながら回り続ける、静かな地獄の構図そのものだった。
――なぜ人間は、自ら作り上げた構造の中でこれほど息苦しく喘いでいるのか。
「やはり此処に繋がる」
思考を巡らせながら、氷室は確信していた。
――「原罪」。
蛇の誘惑によって「善悪を知る実」を食べたことは、人間が「自分と他者」「有用と不要」「内側と外側」という二元論的な境界線――すなわち二元論的な世界観を獲得したことを意味する。これが「原罪」と呼ばれるのは、神という大いなる全体からの分離を意味するものであり、世界を都合よく裁断するフレームを手に入れたということだ。
そして、原罪の本質は、知性の獲得などではない。
それは、世界を切り分ける『分別』という名の生存戦略を手に入れたということだ。――『分別』はシステムや社会を円滑に機能させるための、極めて論理的で不可欠な手段だったはずだ。
または生存戦略として生きるために、世界を切り分けること、これ自体は罪ではない。
決定的なバグは、その引き算の基準に、人間が保身のために「嘘」を滑り込ませた瞬間に発生する。
「大正十年の例外規定」のような微小な嘘。不都合なエラーを隠すために「異常なし」の判を押す欺瞞。境界線から零れ落ちる生身の人間を「許容されるべき誤差」として処理する怠惰。
己の立ち位置を守るための歪んだ基準のまま、システムが巨大化し、駆動を続けた結果――。
かつて内側を守るための盾であったはずの『分別』の境界線は、いつしか人間自身を閉じ込め、身動きを狂わせる『分断』の檻へと反転する。本来は世界を切り分ける知恵であったはずの『分別』が、世界を切り裂く『分断』の呪縛へと変質しているのだ。
数の力でノイズを切り捨てる民主主義から、人間の価値を効率性に還元する資本主義、共産主義の計画経済から、小さな教室のスクールカースト。そして現代の全土規模のデータ一元化アルゴリズムに至るまで。行政が推進するデータ一元化の波の中で情報の統合が進んでも、法的責任や処分権限は分散したまま取り残されているように、あらゆるイデオロギーやシステムは、例外なくこの「分別から分断への反転」という原罪を反復している。
「……誰も悪くない、という言葉ほど、罪深い帰結はない」
氷室は低く呟き、眼鏡のレンズに映り込む街灯の光を静かに拭った。
それは、システムが凶暴化したからでも、悪意ある支配者によって世界から追放されたからでもない。ただ、人間が己の「立ち位置」を守るという保身と引き換えに、自ら世界の「見方」を歪めてしまった結果だった。
その瞬間、人は世界と直結していたはずの身体性を失い、イデオロギーという記号の檻の中に閉じこもる。世界が壊れたのではない。人間が自らの立ち位置に固執するあまり、この世界での「在り方」を見失ったのだ。
そして原罪の最終形態としてのイデオロギーは、今もなお当然のように機能し続けている。彼らが「システムという不可抗力の被害者」を装い続ける限り、その罪は深まり続ける。行政が推進するデータ一元化も、市場を支配するアルゴリズムも、過去の原罪を「正常」と言い張るための思考停止装置に過ぎない。
「……作用は巡る。人間は巡らないかーー」
氷室は暗い眼差しをビル群の明かりへ向けた。
責任を「構造」という虚像に全賭け(オールイン)し、原罪を忘却した瞬間、人間は思考を停止する。
「やれやれ、とんだ茶番だ」
「人類の業が自らを守る盾になっている」
今人類が向き合うべきは、権力者への復讐でも、システムの完全破壊でもない。原罪を直視し、その歪んだ構造が「己の心の投影」だと受け入れたとき、人間は初めて、システムを内側から突き動かす真の主体へと回帰するだろう。
この世界のどこにも、傍観者など存在し得ない。欺瞞に満ちた構造と、そこに加担し続ける人間の業。その両方を「我がこと」として引き受け、直視した眼差しだけが、凍りついた世界を穿つ真の切っ先となる。
風が吹き抜け、トレンチコートの裾を冷たく揺らした。
氷室は歩道橋の階段をゆっくりと下り、霞が関の静かな闇の中へと足を踏み出していった。




