第52章 差し戻しの午後
午後の冷たい光が霞が関の石畳を斜めに切り裂く頃、本省の一室では、直人が再び手元のディスプレイに向き合っていた。
先ほど戻ってきた移管申請書のデータは、統括部門へ回付される前に、別のセクションから「過去の引き継ぎ台帳における数字の不整合」を理由にした差し戻しを受けていた。
「また、これか……」
直人はマウスを握る手に力を込めた。数兆円という規模の資産でありながら、その実体は誰の目にも触れず、ただ過去の担当者が残した曖昧な注釈と、膨大な電子のログの山に埋もれている。誰も全体像を掴めないまま、ただ「前例の確認」と「責任の所在の切り分け」だけが無限にループしていた。
その頃、都内の古い住宅街に囲まれた区立図書館の薄暗い閲覧室で、氷室は窓際の席に座り、手元のノートパソコンに広げられた地方自治体の財政白書とインフラ維持管理計画のデジタルデータを冷徹な視線で見つめていた。
画面に並ぶのは、人口減少と高齢化の波によって維持費が限界を超えた地方自治体が、次々と公共施設の統廃合や水道管の更新見送りを選択しているという乾いた数字の羅列だった。
かつて国主導の広域開発計画に基づいて整備されたものの、利用者が激減したことで現在は「ただそこに存在し続けるだけの負債」となった橋梁や道路の数々。それらは撤去するための予算すらつかず、かといって補修されることもないまま、ただ管理放棄のレッテルを貼られて地図の片隅に放置されている。
氷室は黒い表紙のメモ帳を開き、万年筆のペン先を滑らせて静かに文字を刻み込んだ。
――『維持不可能なインフラの放置。撤去という選択肢すら失われたまま、地図の空白として形骸化していく地方の骨組み』
中央のオフィスで官僚たちが過去の規程と責任の所在を巡って書類の往復に命を削る一方で、そのシステムの網の目からこぼれ落ちた地方の現場では、目に見えない骨組みが音もなく風化し、静かな崩壊の澱が着実に積み重なっていた。




