第9話 フレイア
その場にいる全員が唖然としていた。
「吸血鬼……? 本当に……⁉」
目の前の踊り子の主張に、ルヴィスは目を見開いた。ユナやグラニも戸惑いを隠せないようだ。とても信じられない――だがフレイアと名乗った踊り子は、どこまでも無邪気だった。
「はい、です~~」
「し、証拠はあるのか⁉」
ユナの語気が荒くなる。フレイアは小さな顎に人差し指を当てて、小首を傾げた。
「証拠、ですか~。吸血鬼専用の身分証でもあればいいんですけど……」
「お前が本当に吸血鬼だったとして、聞きたいことがある。この書置きはお前の仕業なのか?」
ルヴィスの鋭い質問に、フレイアは逆に目を光らせる。
「それよりあなたのお名前を教えてください~」
「………。俺はルヴィス=レギンレイヴだ」
しかしその答えに、フレイアはゆっくりと両目を細めた。
「……嘘。それは前代の吸血鬼王の名前です。私が聞きたいのは、今のあなたのお名前ですよ~」
ルヴィスは内心でぎくりとする。フレイアのこちらを探るような視線。何の話か分からないのだろう、ユナとグラニは不思議そうな顔をしている。
ルヴィスはフレイアを睨みつけた。
「……俺の質問に答えろ‼」
「そうですね~。あなたが私の質問に答えてくれたら答えてもいいですよ~~。まずは、テストをさせて頂きます~~」
フレイアは優雅に微笑むと、その周辺に魔術式を浮かび上がらせる。
「……‼ あれは……!」
「血戒魔術‼」
ユナとグラニが驚愕の声を上げた。吸血鬼というのは本当だったのか――ルヴィスも驚きを隠せなかったが、次の瞬間即座に対応していた。真紅の瞳が光り、魔術式が浮かび上がる。
強大な力と力がぶつかり合うのは一瞬だった。フレイアが放った冷気の塊とルヴィスの火炎の障壁が激突し、轟音と蒸気が周囲を包む。公園内で撤収作業に入っていた王都軍の兵士たちが、驚いて作業の手を止めこちらに視線を向けた。
「ほ……本物……⁉」
ユナの後ろにいた兵士の一人が尻餅をつき、怯えたような声を上げる。
『主様、気をつけてください! 強敵ですの‼』
レーヴァテインの声はいつになく緊迫していた。ルヴィスの頬にも冷や汗が伝う。
フレイアが展開した血戒魔術は規模こそ小さかったが、その展開速度や術式の緻密さ、が、彼女が間違いなく本物の吸血鬼であることを証明していた。それも、かなり高位クラスの吸血鬼だ。――市場や公園で倒した吸血鬼が下等生物に思えてくるほどの。
ルヴィスは剣を構え、フレイアと対峙したままユナとグラニに向かって大声で叫ぶ。
「ユナ、兵を退け!」
「ルヴィス……⁉」
「――……《五十年前》を繰り返すことになるぞ‼」
ユナの表情が凍りつく。フレイアはそれを聞いて苦笑し、ふわりと髪を掻き上げた。
「それはあなた次第ですよ~。言ったでしょう?私はあなたの事が知りたくてたまらないのです」
「……。肉食系女子は敬遠されるぞ」
ルヴィスは挑発するようにフレイアを睨み、頬を吊り上げる。
「そうですか~? ……これでもかなり抑えてはいるのですが」
フレイアは優美に微笑むと、再び魔術式を浮かべた。先程より高面積の、密度の高い魔術式。
ルヴィスはそれを読み取り、血相を変えた。あまりにも破壊的な内容だったからだ。それはハーナル公園全体を一遍に叩き潰すほどの、大型魔術だった。
「ふっ……ざけんなよ‼」
ルヴィスは吐き捨てると共に真紅の瞳を明滅させる。間に合ってくれ――瞬きするほどの一瞬。願うような気持ちで、ありったけの魔術式を構成、展開させた。
しかし、フレイアの魔術を全て防ぐには魔術式の情報量が圧倒的に足りない。
間に合わない―――――――
その刹那。フレイアによる大型の血戒魔術が発動した。
氷霧の嵐が巻き起こり大気を薙いだかと思うと、次の瞬間一気に凝縮していく。
何トンものガラスの塊が砕け散るような凄まじい音。
ハーナル公園は瞬く間に氷に浸食されていった。地表は氷漬けになり、天を突かんばかりの無数の氷の柱に覆われる。
ユナ達がいる場所はルヴィスの血戒魔術によって辛うじて守られたが、後方に待機していた王都軍はフレイアの血戒魔術によって、四分の一近くが氷漬けとなってしまう。
自身は空中に浮かび上がる事で氷の血戒魔術の範囲から退避していたルヴィス。兵士の中に多大な犠牲が出たのを見て、腹の底から怒りが湧き上がった。
「てめえ……!」
同じように空中に浮遊してきたフレイアを睨みつける。フレイアの口元は相変わらず笑みを形作っていたが、目は先程までとは違い、不気味な冷たさを放っていた。
「何を怒っているのですか?私にはさっぱり理解できません。あれはただの人間、でしょう?」
「……何だと⁉」
フレイアとは逆にルヴィスの瞳は激しい熱を帯びた。それに構わず、フレイアは淡々と続ける。
「人間は、人間です。私たちの『餌』にすぎません」
「黙れ‼」
怒声と共にルヴィスの真紅の瞳が閃く。魔術式が浮かぶと同時に血戒魔術が発動。無数の火が矢の様にフレイアに向かった。
フレイアも魔術を発動させて難なくそれらを相殺させてしまう。しかし、そうなる事は織り込み済みだ。ルヴィスは相手が魔術を発動させる僅かな間隙を狙い、一気に距離を詰めると、空中で斬りかかった。
フレイアはそれをひらりと躱す。動きに合わせて踊り子の美しい衣装が翻った。
「意外と短気なんですね。折角ですから……私も何か武器を用意しましょう」
フレイアは悪戯っぽい仕草でウインクをした。同時に周囲に魔術式が浮かぶ。
現れたのは一振りの槍だった。
蛇の装飾が施されたハルベルト。複雑な形状をした、万能型の斧槍だ。フレイアはそれを手に取り、優雅に振り回した。
「――これはギンヌンガガプの槍と言います。《ギンヌンガガプ》が何かご存知ですか?」
その口調はあくまで世間話のように、にこやかだった。
「知るか! 御託はいらねえんだよ‼」
ルヴィスはフレイアに向けてレーヴァテインを振りぬく。フレイアはギンヌンガガプを巧みに操ってそれを弾いた。
金属と金属のぶつかり合う重厚な音が響き渡る。
フレイアはその反発力をうまく利用し、柄を使ってルヴィスの体を後方へ吹き飛ばした。
ルヴィスは一回転すると空中で制止するが、その隙に今度はフレイアがそれを追撃し、ハルベルトの切っ先を目にもとまらぬ速さで無数に突き出してくる。
ルヴィスはそれを避けつつ、剣で反撃。
同時に魔術式を発動させて、炎を呼び出した。
紅蓮の奔流。フレイアはすぐさま後方に飛び退いて距離をとる。その隙にルヴィスは彼女の斜め上段から斬りかかるが、フレイアはギンヌンガガプを高速で回転させ、防御する。
「面白い人ですね。……吸血鬼と戦うのに慣れている」
ルヴィスの戦い方は基本的に相手の吸血鬼が魔術を発動する時に発生する僅かな隙を狙うというものだ。
その僅か一、二秒の間が生死を分けることを、経験から学んでいた。
しかしそれは、他の吸血鬼には見られない戦い方でもあった。何故なら大抵の吸血鬼の獲物は魔術を扱えない人間だからだ。
吸血鬼と吸血鬼が戦う事は、自然界ではまず有り得ない。
フレイアは斧槍を回転させたまま魔術式を浮かべる。次の瞬間、回転した槍を中心にしてその周囲に無数の氷の刃が出現。一斉にルヴィスに向かって放たれた。
「ちっ……‼」
弾丸の様な勢いで氷塊が迫り来る。ルヴィスは素早く後退し、それを避けた。しかしいくつかは着弾し、皮膚や服が引き裂かれる。ルヴィスはそれには構わず、体勢を整えるや否や再びフレイアに斬りかかっていく。
眼にもとまらぬ空中戦の応酬。時折魔術を交えながら、縦横無尽に、剣と斧槍が激しくぶつかり合う。
ルヴィスとフレイアは互いに一歩も引かない。
その間も二人の吸血鬼の放った魔術が地上にも波及し、どんどん公園が破壊されていった。
目の前で繰り広げられる異次元の戦いをユナは半ば茫然として見上げていた。地上からでは、二人の吸血鬼の動きは目で追うのすらやっとだ。あまりにもレベルが違いすぎる。
「く……!グラニ、兵を撤退させるぞ!」
ユナは絞り出すようにしてグラニに告げた。グラニは目を見開く。
「騎士団長……!」
「このままここに王都軍や聖騎士が留まっていても被害が拡大するだけだ! 悔しいがここはルヴィスに任せるしかない……!」
「り……了解‼」
グラニは背後の部下に素早く撤収号令をかけた。腰を抜かしていた若い兵士達も何とか体を起こし、グラニに続こうとする。そしてはたと足を止めた。ユナがその場を動こうとしない。
「騎士団長はどうするのですか⁉」
「私はここに残る!」
「しかし……!」
「せめて……せめて見届けなければ……‼」
自分がここにいたところで何ができる訳でもない。それは痛いほどよく分かっていた。それでも王都を守護する聖騎士ヴァルキリーの団長として逃げるわけにはいかない、と思ったのだ。
ユナは厳しい表情でルヴィスとフレイアの戦いを見上げる。
上空では二人の吸血鬼が相変わらず熾烈な争いを繰り広げていた。
ルヴィスは上段・中段・下段からフレイアに斬りかかる。太刀筋が閃光となって迸った。
フレイアはそれを槍斧槍で受け止め、魔術式を発動。フレイアの後方に一メートルもある鋭利な氷柱がいくつも出現し、一斉にルヴィスに向かって放たれる。
「くっ……!」
ルヴィスは飛び回ってそれを避けた。しかし氷柱は空を裂き、執拗に追尾してくる。ルヴィスはフレイアと距離をとりつつ、それらをレーヴァテインで砕き落としていった。空中で一回転すると、最後の氷柱をかわし、素早く態勢を整える。
ルヴィスとフレイアとの距離は十メートルほどだった。遠すぎず、近すぎずと言った距離だ。偶然ぽっかりと空いた、空隙。
――今だ。
ルヴィスはそれを逃さなかった。鋭く息を吐き出すと、深紅の瞳孔が強い光を帯びる。そして一際多くの情報量を含んだ魔術式を練り上げた。ルヴィスの周囲が緻密な計算式によって覆われていく。その間、三秒ほど。
完成。――即座に発動。
火炎を含んだ巨大な旋風が巻き起こった。
旋風はそのまま周囲の酸素を取り込みながら巨大化し、竜巻となって大気を揺るがした。そして、そのまま凄まじい勢いでフレイアの元へと蛇行していく。
フレイアは困ったような表情を見せた。
巨大すぎる。避けようにも、避けられない。
「これは困りましたね………」
そう呟きつつもフレイアは魔術式を発動し、魔術で障壁を作り上げた。紅蓮の炎を吹き散らす巨大竜巻と最大硬度の魔術障壁が激突する。エレルギーの摩擦熱が強烈な電磁波を生み、天が崩れ落ちるかのような轟音が王都の上空を支配した。
アースガルドの大気が荒れ狂う。
「何という事だ……‼」
熱波と静電気の奔流が地上にいるユナを容赦なく薙いだ。
「これが……これが吸血鬼、なのか……⁉」
ユナはまざまざと思い知らされていた。これが人型の吸血鬼の力なのか、と。
それは絶望感に似ていた。
彼らの力の前では人間など最早大海に弄ばれる小舟の様なものだった。現に自分は己の身を守るだけで精一杯ではないか。平時から行っている厳しい訓練も、二つの魔導武器も彼らの前では何ら価値を成さないもののように思えた。
しかし、ふと一人の男の事が頭をよぎる。ヴィルヘルム=シグムント将軍。かの英雄は、この様な化け物じみた吸血鬼とたった一人でまみえたのだ。同じ聖騎士ヴァルキリーとして、自分が臆するわけにはいかない。
足が震え、今にもその場にへたり込んでしまいそうなユナを支えているのは、英雄に対する絶対の信頼と彼の名を汚してはならないという使命感だった。
竜巻と障壁は互いに一歩も譲らず、喰らいあい、揉み合っていた。しかし大量のエネルギーをありったけ放出すると、共に力尽きたように消えていく。
ルヴィスとフレイア実力は今のところ拮抗していると言って良い状態だった。こちらのダメージも少ないが、相手にも致命的な痛手を与えるまでには至っていない。
だが、ルヴィスは奇妙な感覚に陥っていた。自分がまるで相手の掌で踊らされているかのような気味の悪さ。
しかも。
(あの女、笑ってやがる……。余裕なのか、それとも演技か……?)
戦いの間、ルヴィスは常に本気だった。しかしフレイアは終始、うっすらとした笑みを彫刻のように口元に張り付けたままだ。
まるで、こんなものは子供の遊びだとでも言わんばかりに。
ルヴィスの中で、焦りがじわりと頭をもたげた。それは急速に膨らみ、判断力と行動を狭小なものへと縛り付けていく。冷やりとしたものが胸を撫でていった。
早く決着をつけなければ。自分には時間が無い。
このままでは―――――
その時だった。
体の内側から激しい衝撃が襲った。ルヴィスは左胸に痛みを感じ、思わず右手で掴むように押さえる。強い圧迫感。表情が激痛で歪む。思わず体をくの字に折り曲げていた。
「ルヴィス……⁉」
二人の戦いを地上で見ていたユナはルヴィスの異変に気づく。
「……あら。どうかしましたか?」
フレイアもルヴィスから距離をとってこちらを窺っていた。
「うる……せえ……関係、ね……だろ………」
ルヴィスはフレイアを睨んで吐き捨てるが、その間も心臓の痛みは増していく。呼吸が荒くなり、額には大量の汗が滲んだ。視界も徐々に霞んでいく。
内心で激しく舌打ちした。よりにもよって、このタイミングで――――――
「先ほどから何か妙だと思っていたのですが、その理由が今分かりました」
ルヴィスの様子を観察していたフレイアはにこっと微笑む。その周囲に魔術式が浮かんだ。そして魔術式が発動すると共に、フレイアの姿はその場から忽然と消失していた。
「消えた……⁉」
しかし次の瞬間、フレイアはルヴィスの真後ろに現れていた。
しかも肌と肌が触れ合うほどの至近距離に。
(……何⁉)
完全に、背後を取られた。おまけにルヴィスは驚愕のあまり、反応が大幅に遅れていた。
殺られる―――――――――――
そう思ったが、予想外の事が起きた。
何を考えてか、フレイアはぴったりと体を押し付けて来たのだ。細い片腕がルヴィスの体を抱きしめる様に前面に回り込む。ハーブの様な品のいい香りが鼻を掠めた。
「な………⁉」
彼女の肉体とその温もりを背中は敏感に感じ取った。
柔らかい、二つの大きな果肉。とろけるような快楽。
耳元でまるで脳髄を麻痺させるかのような甘い声が囁いた。
「あなた……心臓はどうしたんですか?」
吐息がルヴィスの耳をくすぐる。いつの間にかフレイアの片手がシャツの中に滑り込んでいた。冷たく華奢な指が腹から心臓――左胸をねっとりと官能的に撫でていく。
逆上した。フレイアはこちらが弱っているのをいいことに、弄んでいる。
「このアマ……‼」
ルヴィスは右腕でフレイアを振り払うが、フレイアは再び魔術で姿を消す。それからすぐに数メートル離れた場所に姿を現した。
「その心臓は、あなたのものではありませんね? 吸血鬼にとって心臓は全ての源……それが欠けているという事は、あなた自身が『不完全』だという事に他ならない」
それは事実だった。
今のルヴィスを端的に言い表すなら、燃料(魔力)切れによるエンストだ。心臓が本来あるべきものではない。作り物の心臓だ。その為、魔術を使用するのに十分な魔力が確保できない。展開できる魔術も限られたものになる。
「だったら……何だ? それが、お前に何か関係あるのか……⁉」
ルヴィスは喘ぎながらも何とかフレイアを睨む。
「勿論です。システムエラーは正さなければなりません。……それがユグドラシルの意思なのですから」
「ユグ……ドラシル……?」
ルヴィスはどこかで聞いたその単語に眉をひそめる。
「ええ。ただでさえあなたの行動はユグドラシルの意思から大きく逸脱してしまっている。五十年前の『エラー補正』……人間が言うところの《五十年前の劫火》を境に」
「何を……言ってやがる……⁉」
「全く……そんな事も理解していないとは……。これは思ったよりも重症ですね……」
フレイアは溜め息をついた。
そして、それまで張り付けていた笑顔を引っ込め、ふと真顔になる。




