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『……見下げ果てた奴らだ。そのような行いが神のお心に沿わないものだと知っているだろうに』
その時、私の位置からはイマードの顔は分からなかった。それがイマードだという事も知らなかった。固い地面に仰向けにされて手足は男達によって押さえ付けられ、自由になるのは耳だけだった。
けれど聞こえてくる彼の口調から、第四の男――イマードだ――が男達を心底軽蔑しているのだと、言葉の分からない私にも容易に察せられた。
この人は、目の前の男達の行為を否定してくれている。性根の腐った男達の仲間、ではないようだ。
切望していた"助け"――なの、かも。
予想もしていなかった暴力と狂った欲望に打ちのめされかけていた私の心に、ほんのわずかな光明が差した。
『恥ずべき心根、そして唾棄すべき行為だ』
ざらん、と硬質な音が響いた。イマードが腰に佩いた剣を鞘から抜いたのだ。
私の上に乗り上げて好き勝手していた男の身体に動揺が走る。その隙に少しだけ仰ぎ見ることが出来た。
太陽の光を鈍く撥ね返しているのは、包丁より少し長いくらいの小振りな剣。私が時代劇で目にしていた日本刀とは異なり、その刀身は三日月を思わせて僅かに湾曲している。
『退け。――聞かぬなら、斬る』
イマードの静かな怒りの言葉に、男達は気圧されたようだった。しぶしぶと私から離れて後ずさる。
拘束されていた手足は解放されたものの、恐怖に縮こまった私の身体は思うように動かない。かろうじて胎児のように身体を丸めた私は、地面に横たわったまま、涙に霞む目で彼らの動きを追うことしか出来なかった。
私に覆い被さって身体を弄っていた男。私の手足を押さえつけていた男。それに、私が携帯で殴打して昏倒させた男がいつの間にか川向うから合流して、三人になっていた。
そのまま立ち去るのかと思われたが、男達は三人、対するイマードは一人だ。数を頼みに考え直したのだろう。
「****!」
下卑た表情で叫ぶと、三人は一斉にイマードに跳びかかった。
――そこからはあまりよく覚えていない。
私が悲鳴を上げる暇もなく、男達はイマードによってあっという間に倒されていた。
イマードは苦虫を噛み潰したような顔で男達を後ろ手に縛って纏め、駱駝に積んでいた荷物で何か通信のような事をしてから、私の方に近付いてきた。
『……怪我はないか』
言葉の意味は分からない。けれどそこに確かに含まれた労わりを感じて、私は小さく肯いた。
埃まみれで横たわる私に手を貸そうとして、イマードが近寄る。その動きに怯えてびくりと跳ね起きると、私は無意識に自分の身をかき抱いた。それを見てイマードは私に触れるのをやめた。自分が頭から被っていた布を外すと、マント代わりにそっと私の肩へ回し掛けてくれる。私は震える指で生地を寄せ、全身を包み隠した。
黒い髪、黒い眉。丁寧に整えられた黒い髭。イマードの容貌が日の光の中に曝け出されていた。
固く結ばれた唇が、彼のかたくななまでの生真面目さを表しているかのようだった。
……どこかで見た顔のような気がする。
おかしいな。こちらの世界に私の知り合いなどいないはずだけど。
訝しげに見つめる私の視線を誤解したのだろう。イマードは、縛って放置している3人組の方をちらりと見てから、私に対して説明をしてくれた。
『気絶させただけだ。街に連絡したから、追って迎えが来る。こいつらは自らの犯した卑しい行いに相応しい報いを受けることになるだろう』
話す内容は相変わらずさっぱり理解できなかったのだけど。
躊躇いながら子供相手にも誠実に向かい合おうとする、その話し方に覚えがあった。
彼がイマードだと――ううん、この時の私はまだ彼の名前は知らないんだけど――、数ヶ月前にお菓子と水を私に恵んでくれた人物だと、ようやく気が付いたのはその時だ。
……ああ、この人はいい人だ。
信用していい。
この世界は私には厳しいけど、悪い人ばかりがいる訳じゃない。ちゃんと優しい、正しい人もいる。
そう思った瞬間、気持ちの箍が外れた。
「あ……っあ……ああ……!」
嗚咽交じりに零れる私の涙に、イマードはぎょっとしたようだった。宥めようとして、不用意に触れない方が良いと考え直す。イマードは、泣きじゃくる私から優に3歩分は離れた所で、私の目線に合わせて座り込んだ。そして何をするでもなくただ、私の号泣に付き合ってくれた。
後から考えるに、『辛かったな』とか、『もう大丈夫だから』とか、多分そんなような意味の言葉を彼は呟いていたように思う。
違うのに。
――お礼を。
私は、彼にお礼を言いたかった。
先日言いそびれていた分も込めて。
だけど壊れた蛇口のように漏れてくる嗚咽に阻まれて、"ありがとう"というたった5文字の言葉さえ満足に発せない。
イマードにどうやって私があの時の子供だと説明すればよいのかも分からない。
あの時貰った水嚢は靴やマントと一緒に水場に置いてきてしまっていた。
言葉もいまだ不自由なままだ。
身振り手振りで説明しようにも私の体形は以前のものとはだいぶ異なっている。見た目ではきっと気が付いてもらえないだろう。
私は慌ててジーンズのポケットからハンカチを出した。お菓子を包んであったそのハンカチは、繊細な刺繍の施された上質な布だった。恋人か家族からの贈り物なのかもしれない、もしもいつかまた会えることがあったら返そう。そう思って大事に持っていたのだ。正直、何回か自分の顔を拭くのに使ってしまったりもしたのだけど。そのたびにきちんと洗っておいたからそこまで汚くはない筈だ。
『あの時の少年か……!』
ハンカチを受け取ったイマードは、数ヶ月前の出来事にすぐに思い至ったようだった。
してみると、やはり大事な品だったのだろう。2度も危うい所を救ってもらった私としては、ほんの少しでも彼に借りを返せたような気がしてほっとした。
だからイマードが盛大な勘違いをしていた事に気が付かなかったのだ。
『同性に手を出すとは――こいつらの処分は更に厳罰を願わなければならん……!』
この世界の戒律は同性愛を固く禁じている―――と後々になって知ったものの、私は特に男達の為に弁明はしなかった。あいつらは私が女性だと知ってて襲った。だから確実に同性愛に関しては濡れ衣だ。現代日本で育った私個人としては、性的対象が異性であろうとも同性であろうとも、その点だけで偏見を持つつもりはないんだけど。
時間が経ちすぎていてとっくに処罰は済んでいるだろうとイマードに言われたのも一因だったけど、それだけではない。
相手の意思を無視して無理矢理コトに及ぼうとする手合いは、重罪になればいいと思うからね!
あんな奴ら、禿げて捥げて爛れてしまえ。
いまだに私にはトラウマなんだぞ、こんちくしょう!!
『……痩せたな、少年。その上こんな場所を彷徨っているという事は、いまだ安住の地も見つけられていない、という事か』
イマードは痛ましげな表情で私を見た。
それから街の方を見る。私の手渡したハンカチに目線を下げて、そのままぎゅっと握りつぶした。
『……俺が不幸を呼んだのかもしれんな』
それから、イマードは顔を上げて私を見つめ、私の命運を変えたあの一言を放ったのだ。
『一緒に来るか、少年』
右も左も分からないこの異世界で。私は、イマードと旅に出ることになった。
第1章 迷子 ;END
→第2章 旅の仲間