16 二時
ジュールの言葉に、医師は様々な可能性を考えたようだが、何も言わなかった。
代わりに、まっすぐジュールの目を見て、数回小さく頷くと、
「よし」
と立ち上がった。
「決して無理はするなよ。あと、絶対に血を手で直接触るな。死にたくなけりゃな。そこの皮の手袋を使え」
「分かった。あと、どうやら俺は魔法が使えるようだ。水を出すことができるし、炎も出せそうだ」
手に集中して力を込めると、一度もやったことがないにもかかわらず、ジュールの手のひらは小さな噴水のように水が出て、次第にオレンジ色に変わり、
片手にのるくらいの火がメラメラと燃え上がった。
不思議と熱さ冷たさを感じない。
ジュールは指先に力を移動させてみた。
水は中指の先に流れ、隣の薬指から糸のような火がろうそくのように燃え上がった。
医師は驚いてジュールに言った。
「たまげたな。よっぽどうまい使い手じゃないと、そんなに小さく制御できない。初めてだと? 信じられないな。
きっと記憶が抜け落ちてるだけで、さぞかし立派な魔力の使い手だったんだろうよ。あんた、名前は?」
ジュールはベッドから身体を起こした。
「……ジュール・メルヴェネク」
「そうか、ジュール。ここじゃあ薬も水も足りん。頼むぞ」
そうして、陥落寸前だった野戦病院はたった一日で蘇った。
死を待つのみだった医療所には、一人ずつが飲んで余るだけの水が補給された。
そればかりか、異様によく効く薬が配られた。
膿や蛆は炎で適切に焼かれ、見るも哀れな骨折は正しい位置に固定された。
「奇跡だよ。奇跡が起こった」
と、後に兵士たちは言った。
「でかい天使がやってきて、汚れることも構わずに手を突っ込んで俺の折れた足を元通りにしてくれたんだ」
「火傷も、流血も、潰れた足も」
「どれだけ酷い怪我を見ても動じない。並みの精神じゃない」
「もうだめだと思ったのに助けてくれた」
「捨て置け、と言われた俺に、水を出してくれた」
「信じられないことが起こった」
それが、ジュール・メルヴェナク将校が、末端の下士官たちの心さえ掴むことのできる根本の理由だった。
シェルビッツの奇跡と語り継がれるその戦は、多大な犠牲を出しながらも、戦線復帰は絶望的だと称されたベルチェという参謀が戻ったことで戦況を逆転させた。
火傷によって酷い高熱に耐えていたベルチェこそ、野戦病院でジュールに手当てされなければどうなっていたか分からない患者だった。
それを契機に、野戦病院には必ず医学的に訓練された魔力のある者が数人配置されるようになった。
*
「おい、レイク」
「はいはいー!」
ジュールの側近であるこのレイクという男も、元は戦場の野戦病院で死にかけていた男だった。
敵の一撃を受けて折れた腕はあらぬ方向に曲がり、戦況復帰どころかその先のことも分からない状況だった。
ジュールがいなければ、レイクの腕は無かっただろう。
その恩義からか、自ら右腕になりたいと志願したのだ。
右腕を治したからといって、右腕になりたがらなくてもいいとジュールは言ったが、レイクの押しに負けて今に至る。
「もう二時だな」
「いいえ、あと3分ほどあります。遅れていかなくては、マナーに欠けます。というか、時間になったらお知らせしますってさっきも伝えましたよね?」
「嫌なことは早く終わらせたいんだ」
「ええ、アスタリヤ嬢と会うの、嫌なんですか?」
「やらねばならないことというのは気が重いものだろう」
「そんなもんですかねえ。というか、シェルビッツの大天使ともあろうお方が、それにしてはソワソワソワソワされてますけど……痛ッ! 叩かないでください。自分が大柄だって自覚してくださいよ、ジュール様」
「レイク。お前は何か勘違いをしているかもしれないが、俺は断じてアスタリヤ嬢に会えるのでワクワクしているわけではない。あの古城で何が行われており、何が企まれているのかを知りたいがためだ」
「だからぁ、何も無いと思いますけどね」
レイクの後ろには、軍の生え抜きの者たちが三十名ほど控えている。護衛と称しているが、何か有事の際にはすぐに取り押さえ、拘束できるようにだ。
元傭兵や元軍隊あがり、または元王城関係者など、あの家に雇われた者たちはずいぶんきな臭い。
戦場では一瞬の油断や楽観が命取りになる。
そして、革命前の処刑で沙汰を出す側だった王が、今度は処刑される側になったように、たった数ヶ月で権力は転覆するのだ。
「お前はまだ甘いんだよ、小僧」
ジュールはレイクの鼻をつまんでやった。
むぎゅっと変な声を出したレイクが、時間ですと鼻声で言った。
ジュールは合図をして、護衛という名の兵たちを城へ向かって進めた。
勇壮な隊服の面々が、古城に繋がる跳ね橋を歩いていく。
門には、門番が一人だけ立っていた。
大柄なジュールよりも、さらに大きな体躯をしている。
「あれは……!?」
レイクが目を輝かせた。




