一巡狙い
「ふーっ……」
8回表。大鳥はベンチに腰掛けて、ドリンクで水分と栄養補給。
試合の疲労がたまり、ここらが大鳥の正念場というところ。球数はまだ100球に到達していない。
「次の回が勝負。行けるな」
「もちろんです」
いつも通りの言葉である。
監督の言葉に、即座に応える大鳥。
「このまま、完投」
「やる」
全部言い切れなくても、エースたる受け答えをする、大鳥。
美談じゃなく、大鳥しかいない現実だ。負けていいものじゃないんだ。
これ以上、話そうとしても無理だろう。監督としては
「任せる」
名神にも伝えた言葉だ。
「完投。やろうな!」
「あったりまえだ!」
関西学院、慶応大学。いずれも、全国レベルの頂点ともされる、打線と戦った大鳥。
ここでの試合は、スカウト達の注目も集める事だろう。夢持って、名神は。大鳥のサポートに尽くす。
難所は、やはり猪瀬。
唯一、今日の大鳥がまったく抑えきれていない相手。サイクルヒットのリーチまで掛けられる。
「猪瀬と同じチームだったけど」
「ああ?」
「あいつはサイクルヒットなんて、記念的な記録は狙わない」
打者の性格を熟知しているような言い方に、ちょっと大鳥は怒っていた。
「甘い球投げたら、ホームランを打たれる!ツーベースにはしてくれないからな!」
「……締めていくさ。失投なんてぜってーしねぇ」
「宗司の全てに信頼をしているからな」
「俺を信じる和の信頼に応えてやるさ。抑えてやる、今度こそ」
◇ ◇
慶応大学は2点を追いかける場面。
ただ1人で投げ抜いていく、大鳥の姿。
打たれたヒットは5本。しかし、1~3番まで。均一ではない。
打線と呼ぶには、あまりにも力の差が浮き彫りとなった現状。
必死にやっても、勝ち目のない事だ。その今日で終わる野球人生もある。空振り三振でも良いだろう、しかたない。
けれど、
「0、じゃあない」
渡辺レイも知っている。
打率1割だろうが、それを切ろうが。出塁する確率は、打率よりも高いものだ。
意地を見せるのは猪瀬ではなく、その周りの方であろう。コテンパンに大鳥に抑え込まれても、このイニングまで対峙している。
カーーーーンッ
慶応大学、9番の打撃は偶然というレベルで片付く、その差まで近づいたスイングだった。
もう上がり目のないスイングであったが、大鳥の縦スライダーを捉え、セカンドの頭上を越えるセンター前。
「打ったーーーー!」
「猪瀬の前に走者を置いたーーー!」
「一発が出れば、同点だぞ!!」
「慶応大学の意地だーー!!」
最後の最後の抵抗であり、その記念が。反撃の口火を切るきっかけのヒット。
「1番、ショート、猪瀬」
あの6回裏を上回る、大熱狂の状況。たった1人の走者で、球場の雰囲気を変える。猪瀬の打席で走者を置けたことはそれほどに大きいのだ。
「猪瀬くーーーん!ホームラン!ホームラン!」
「サイクルヒットはツーベースだぞーー!」
「ぶちかませーーー!!」
予想したくはない場面。しかし、覚悟はできている。
猪瀬と対峙する時、走者がいようがいないが。こいつを抑えるという、覚悟はずっとずっとしてきた。
「おー、面白ねー」
「なになに!?猪瀬、ここまでサイクルヒットのリーチなの!?すごーい!」
球場の異様な盛り上がりに驚く、レイと寺。
とはいえ、そんな盛り上がり。レイの眼から見ても、猪瀬は気負っておらず、大鳥と名神のバッテリーも気後れしていない。
両方、大学レベルという枠に入れてはいけない。熱い存在だった。
「その次が海堂、八木かぁ」
どちらもそのステージを超えた打者が続く。目がイッてしまう、展開だ。
「大鳥の疲労がきたか。出しちゃいけない、走者じゃないか」
「かもしれないなぁ。しかし、投手が問われる場面だ」
「猪瀬を敬遠するか?」
「同点の走者は出したくないだろう。併殺の可能性も、……わずかにある」
スカウト達も固唾をのんで見守る。
「……………」
バクンバクン。来る緊張が、強い力みを生んでいく。ミットが震えていちゃ、宗司が狙えない。
いつも目の前にいるその投手は打者を含めた、全ての相手と対峙している。
ありえないだろう。って、誇れるものだ。
名神のミットは外側に構える。そして、大鳥のクイックと同時に。さらに外へスルッと、動く。
「ボール!」
その初球。俊足の走者なら盗塁を警戒してのことか。
だが、打者はここまで猛打賞の猪瀬だ。確実に敬遠を思わせる。
「逃げるか!?」
「いや、そりゃそうだろ!!猪瀬だぞ!四球でも勝ちだろ!」
これに猪瀬はどんな表情になるだろうか。逃げるのか、って。悔しい気持ちか?
その揺さぶりはさらに続く。大鳥は1塁走者を警戒するように牽制を入れる。
クイックの早さに、名神の送球を頭に入れてれば、盗塁は博打にすらならない。打者に集中できるメリットであっても、あえて使わない。
「いや、使っている」
「ほよ?レイさん?」
八木を抑えた時のように、走者を警戒した素振りをみせて、打者の集中力を乱している。
問題はそんな状況で自分の集中と投球を切らないかどうか。
全てを使ってやろうとする、大鳥と名神のバッテリー。観戦するレイは、ここからどうやって猪瀬が対応するのかが、注目した。
猪瀬をただ歩かせる事は、結果。抑えているとも言える。
カウントの不利はハッキリ言ってないに等しく、大鳥と名神は承知で戦っているのだ。
「ボール!」
今度は外のスライダー。バットをピクリとも動かさない、ボールの要求だ。
カウント0-2。猪瀬は定石通り、基本通りに行くだろう。
「!!」
名神和が思う、大鳥宗司。最大の長所。
狙っている打者の読みを外れさせる。タフな精神力で投げ込める、制球力だ。
ズパァァッ
猪瀬の反応がわずかに感じられるほど、”手を出さない”。その一つ。アウトローいっぱいのスライダー。
「ストライク!!」
たった一つのストライクであったが。
「おおおお!!」
「勝負か!やっぱり!」
猪瀬が無理にいかないのも当然だった。打ち損じで、自分の最終打席を終わらせたくない。
ヤマが当たっていれば、ホームランにできた。それ以前にアウトローにスライダーを見た感じ、飄々と投げてくるのはさすがだった。
2ストライクは追い込まれ、フルカウントは四球を含めて、対処が必要になる。
猪瀬はきっとコースを決めずに、決めに来る。
ストライクと判断すれば、打つ。
カウント2-2でも、カウント1-3でも。差はない。どっちの判断をとる?
大鳥の投じる球は、名神が要求した球は。猪瀬の打撃は、
「!!」
低めのボールの軌道!
縦スライダーやシンカーで落としに来たか!?それともストレートで差し込みか!?
そして、猪瀬は明らかに打ちに来ていた。それが猪瀬が知れた、初めて味わった”とある敗北”だった。
「…………」
実力や強さのみが、活躍できるものだと思って来た。
しかし、あなた方2人は信頼というモノまで詰め込んで。俺を超えて来た。
だから、俺は。あなた方が信頼をしているという事を、信頼して打った。
そして、2人を超えられずとも勝つ。
ありがとうございます。2人以上に強くなって、恩返しをする。
カーーーーーーーンッ
猪瀬のスイングは、”最初からアウトローのスライダー”を狙っていたとしか、言わざるおえない読み打ちであった。
落として外しても良かった。力で抑えても良かった。
なぜ、名神がスライダーを要求し、大鳥も迷いなく投げ込んだか?
信頼というものがあるからだ。
3球目の球が、大鳥と名神に込められた、熱いものであったことが猪瀬に敗北を伝えた。
ガシャアアァァ
「フェンス直撃!猪瀬、ツーベース!!」
「サイクルヒット達成!!」
「1アウト3塁2塁の、一打同点の場面だーーー!」
この試合。猪瀬宇佐満、4打数4安打。サイクルヒットという、偉業達成。
”輝星”に相応しい活躍。この試合の最中で進化を遂げる、大鳥と名神を上から叩きのめしてみせた。
「あれれ~」
「試合は終わってねーよ。負けたまま」
名誉挽回か。
「八木、決勝打はあげるよ」
「旨いところ、ゴチになるぜ。海堂」
再びの、海堂と八木。
全力勝負に敗れた大鳥。そして、名神はどーする?




