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 7月4日、真夜中12時。


 公園に沙夜子の姿はもうなっかた。


 青井夏美は誰もいなくなった公園のベンチに座っていた。


 夜空を見上げ、満月が雲に飲み込まれていくのを眺めている。

 同時に走って来た闇に、公園は侵食され街灯の周りだけ世界が残った。


 その光の中に、夏美の姿もあった。


 ボロボロに傷付いた夏美は、楽しかった「あの夜」を……、

 初めて夢見石を使って、幼い勇太に会い、

 一緒に蛍を見に行った「夢」を思い返していた。



 その時……、

 後ろから誰かの足音が近づいて来る。


 夏美は、ゆっくりと顔を向けた。


 そこには、勇太の姿があった。


「勇太……、どうしてここにいるの?」


 服や体が泥で汚れ、顔や手足にはアザが見える。

 勇太は隣に座り、軽い口調で返した。

「お前こそ、こんなとこで何やってんだ?」


 夏美は照れ笑いを浮かべ、うつむいたまま、

「ちょっと話し合いに来たんだけど……ダメだった。

フフ、私って考えが甘いね。

でもね勇太、前の私からしたらすごい進歩なんだよ。

絶対屈しなかったんだから」


 夏美は、自分の姿を見ながら、

「あ〜あ、こんな格好じゃ、家にも帰れないよ。

お母さんが心配しちゃうね」


「今日は、俺のとこに泊まればいい」


 夏美はかわいい笑顔を作って、勇太の胸元に顔をくっ付けた。

「どうしたの?今日の勇太はやさしいね」


 その言葉が震えていた。夏美が泣いているのが分かった。





 夏美は、勇太のアパートでお風呂を借りると勇太の服を着て出てきた。


 台所で濡れた髪をドライヤーで乾かし終え、

居間と仕切っている襖を開けた。


「勇太、お風呂上がったよ。ありがとう」


 勇太は一組しかない布団を敷いているとこだった。

夏美がそれを見て、

「あ〜、私を襲う気だなぁ〜」

「しねぇよ。もう電気消すぞ!」


 部屋の明かりが消え、たったひとつの布団に二人は横になった。


 夏美は勇太がネックレスを外しているのに気付いていた。


 深夜、勇太が目を覚まし、夏美が熟睡しているのを確かめた。


 そして、ネックレスを首にかけ、また眠りに付いた。


 夏美がそっと目を開け、これでお別れなんだと理解した。


 ただ、今この瞬間だけは、

自分の傍にいる勇太を愛しく見詰めながら、涙を流した。





 勇太の夢の中……。


 朝川の鶴見橋はいかにもナンパ待ちという若者で賑わっていた。


 派手な衣装を着た桑原理沙は、

瀬川誠二の誘いをもったい付けながら聞いていた。


 その時、誠二は後ろから声をかけられる。


「ねぇ君、瀬川誠二君?」


「そうだけど……」

「よかった、間に合った。

この橋を捜すのにかなり時間が掛かったからさぁ、

見つけられないかもって心配したのよ。

いや〜、会えてよかった、よかった」


「はぁ?……誰や?」


「じゃ、改めて。……探したぜ、バカ親一号!」

 と叫んだ勇太が、誠二を殴り倒した。


 誠二は叫び声を上げ、理沙の足元へ転げた。


 ニヤ付く理沙が、腰を振りながら横たわる誠二を跨いで、勇太に近寄る。


「イケてんじゃん。あんただったら付いて行ってもいいわよ」


「出・た・な、バカ親二号。おめーのような母親なんか誰が相手するか、ボケ!」

 と言って、理沙を持ち上げ橋から川へ投げ落とした。


「きゃああ……」


「おい貴様。何をやってんだ!」

 そこへ通りかかった警察官が、勇太に向かって走って来る。


「ヤベッ!ちょっと退いて。はい、ごめんよ」

 勇太は人込みを掻き分けて、急いで逃げた。


「ジリリリリ……」


「お、ナイスタイミング」

 警察官が勇太の後を追って店の角を曲がると、

もう勇太の姿はどこにもなかった。





 朝になり部屋で目を覚ました勇太。


 横にはもう夏美の姿はなかった。


 勇太が瀬川誠二と桑原理沙の出会いを邪魔したことにより、

二人の結婚はなくなった。


 当然、沙夜子は生まれず、

夏美もイジメられることもない。


 どこかで中学を卒業し、普通の高校生になっていることだろう。


 勇太は、兎志也が伝えたもう一つの選択肢を選んだのだった。


 これで良かったんだと、勇太は自分に言い聞かせた。


 全ての泡が消えて役目を果たした夢見石は、

力尽きたように真っ白になっていた。


 それからの勇太の生活は、いつもと変わらない忙しい日々が続いた。


 ただ、夏美がいないというだけ……。


 夜間学校でも夏美のことは誰も覚えていなかった。


 家にも行ってみたが、別の家族が暮らしていた。


 夏美が居たという事実が消えていた。

 受け入れるしかなかったが、勇太の視線はいつも夏美の姿を探していた。


 彼女の存在が残っている最後の証拠があったからだ。


 そう、勇太自身は夏美のことを覚えているのだ。


 弱い人間は楽しかった過去にすがり付いてしまう。


 自分の傍からいなくなって、初めてその大切さを知る。

 変わらない生活も、

夏美がいないだけでまったく別の世界に感じた。


 勇太は自分も最初から夏美のことが好きだったと、

やっと気付いたのだった。





 世の中が夏休みに入り、大龍軒もお盆休みを迎えた。


 朝、リュックを持って部屋を出る勇太は、

朝日に向かって大きく深呼吸をした……。


 初めて乗る新幹線の窓から、

流れる風景を楽しそうに見ている勇太……。


 到着した駅を歩いている勇太にアナウンスが博多だと知らせる……。


 勇太は駅員に乗り換えの場所を聞くと、

腕時計を見て慌てて走り出した……。


 電車のベルが鳴り響き、閉まりかけのドアに飛び込む勇太。

席に付きホッとする……。


 バスに乗り換えた勇太は後部座席に座ると、

疲れに襲われそのまま眠ってしまった……。





 勇太を乗せた堀山バスは、

街を抜けて山の中を走っている。


 バスが揺れ、勇太がふと目を覚ます。


「んん……、随分寝ていたな。どの辺りだ?」

 と、辺りを見回す。


 その時……、

「ヤメてください!」

 前の方から女性の声がした。


 勇太は少し緊張しながら、視線を向けた。

「もしかして、この状況は……」


 席を立った女性は手荷物を持って、

勇太のいる後部座席へと向かって来る。


「あ!」


 驚く勇太の前に立っているその女性は、


……夏美だった。


 以前の派手な風貌は全くなく、

清楚でおとなしいお嬢さんという雰囲気だった。


 夏美が声をかけてくる。

「隣よろしいですか?」

「は、はい」


 勇太には気付いてないというより、初めて見るといった感じだった。


 勇太は引き寄せられるように懐かしく夏美を見ている。


 そして、夏美と目が合った。

「あの、何か?」

「あ……いや。さっき叫んでいたから、

彼氏と喧嘩でもしたのかなって」


「いえ、違うんです。

隣の人が言い寄って来るものですから、つい……」

 夏美の言葉使いも変わってしまっていた。


「ほら、あの人……」

 夏美が指差すその男は、


……兎志也だった。


 ニヤ付きながら勇太にウインクをする。


 勇太は「あ!」っと、叫びそうになった口を両手で押さえた。


 夏美は困った表情で、

「ヤダ、まだ見てるわ。

あの人、男のくせにイヤリングなんかしてるんですよ。

それも私とまったく同じイヤリング。

なんだか気持ち悪くなって……」


 髪を掻きあげたその耳には、

香織と同じイヤリングがしてあった。



 バスが星野村の停留所で止まる。


 夏美は勇太に挨拶をして、バスを降りて行った。


 勇太は夏美のいた席を見て微笑む。


 席を立ち、ゆっくりと通路を歩いた。

 手には夏美が忘れた土産の袋を持っている。


 兎志也の横で立ち止まり、

「お前、何やってんだよ?」


「夏美さんとの約束ですから。

どんなことをしても、あなたたちをくっ付けるってね」


「相変わらず暇な奴だな」

「あなたたちの娘さんと結婚したいもので……」


「ふっ、ありがとな兎志也」


 運転手が迷惑そうに勇太へ声をかける。

「お客さん、降りるの?降りないの?」

「あ、すいません。降ります。ここで降ります」

 と、勇太はバスを降りて夏美を追いかけた。


 振り返る夏美。

「これ君のだろ?」

「あ、すいません。ありがとうございます」


「僕、黒木勇太。初めまして」


「初めまして。私、青井夏美といいます」


 走り出すバスの窓から、兎志也は景色を見ながらつぶやいた。

「確かなことはひとつだけ。

夢見石は必ず未来の結婚相手を見せてくれるということ」


 兎志也のしているイヤリングが光り出し、

兎志也の体は元の世界へと戻っていった。





 龍昇の滝で浅瀬に入る香織の姿が、

夏美の姿へと変わっていく。


 祭りの夜、浴衣を照れくさそうに回って見せる香織の姿が、

夏美の姿へと変わっていく。


 神社で天女の舞を踊る夏美。


 それを見ている勇太。

 石段を夏美と勇太が降りて行く。


 花火が上がり、それを二人で見上げる。


 勇太が夏美の手を握る。

 それに気付き夏美が勇太の顔をチラッと見て微笑む。


「青井さん、僕が東京に帰っても、また会ってください」

 その言葉に、夏美は照れくさそうにうなずいた。


 そして、目を閉じて顎を上げる。


 勇太の顔が夏美に近付いていく。


 夜空に花火が輝きながら、二人の唇が重なっていった。


 その時……。


 夏美の身体に衝撃が走る。


 その場にうずくまってしまった。

「はああ、あああ……」


 身体を縮め、震え始めた。


 何かが頭の中で浮かんでくる。


 失っていたものが甦ってくる。


 激流のように流れ込んで来て、次々と再生されていく。


 大切な勇太との思い出が……、解き放たれていった。


 全ての記憶を取り戻した時、夏美はゆっくりと我に返った。


 動揺している夏美が顔を上げると、自分の目の前には勇太がいる。


 自然とあふれ出す涙が止まらない。


 困惑した勇太が夏美に声をかける。

「大丈夫?青井さん……、わっ!」


 勇太に抱きつく夏美が泣き叫ぶ。

「わあああああ……勇太!勇太!勇太!勇太!」

「お、おい……」


 勇太は照れくさそうに、夏美を少し引き離す。


 そして、やさしく微笑んだ。

「久しぶり、夏美」


 夏美は、涙をぬぐいながら、

「……うん」

 と、微笑んだ。


 ……今、夢の続きが始まった。





 20年後……。


 勇太の家のチャイムが鳴ると、

台所で夕食を作っている夏美が、

「あなた、手が離せないからちょっと出て」


 勇太は読んでいた新聞を畳むと、玄関へ向かった。


 ドアを開けて、娘の未由が入って来る。

「さぁ、遠慮しないで入ってよ」

 と言った未由の後ろから、若い男性も入って来た。


 そこへ勇太が未由を出迎えにやって来た。

「おかえり、未由」


「ただいま、お父さん。

彼ね、今付き合っている佐々木兎志也君」


「初めまして。佐々木兎志也です」


 頭を下げる兎志也を見て、勇太は微笑んだ。

「初めまして、兎志也君。……20年ぶりかな?」


「僕にとっては、1ヶ月ぶりなんですけどね」


「二人とも、何、馬鹿な挨拶してんの!

兎志也はいつもだけどね。

この前なんか私のイヤリングを貸してくれって騒いだじゃない。

まさか、変な趣味とか持ってんじゃないの?

それに何でイヤリングの色が白色に変わってんのよ!」


 勇太が未由の話を止めるように割り込む。

「未由、もういいからお母さんを手伝ってあげなさい。

さあ、兎志也君もどうぞ上がって……」


「はい、お邪魔します」


 台所に向かう未由の後姿を見ながら兎志也に話しかけた。

「未由の性格は扱いにくいだろ?」


「夏美さんにそっくりですね」


 勇太は思い返すように微笑んだ。

「……そうだな。昔の夏美によく似ている」


 未由の声が響く。

「お母さん、約束通り兎志也を連れて来たよ」

「ふふ、そう。じゃあ未由、このお鍋見ててちょうだい。

お母さんも兎志也君に挨拶して来るから。

だって未来の結婚相手だもんね」

「まだ分かんないよ……」


 照れる未由の耳には、

白くなった夢見石のイヤリングが揺れていた。





                   … 終 …








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