8
7月4日、真夜中12時。
公園に沙夜子の姿はもうなっかた。
青井夏美は誰もいなくなった公園のベンチに座っていた。
夜空を見上げ、満月が雲に飲み込まれていくのを眺めている。
同時に走って来た闇に、公園は侵食され街灯の周りだけ世界が残った。
その光の中に、夏美の姿もあった。
ボロボロに傷付いた夏美は、楽しかった「あの夜」を……、
初めて夢見石を使って、幼い勇太に会い、
一緒に蛍を見に行った「夢」を思い返していた。
その時……、
後ろから誰かの足音が近づいて来る。
夏美は、ゆっくりと顔を向けた。
そこには、勇太の姿があった。
「勇太……、どうしてここにいるの?」
服や体が泥で汚れ、顔や手足にはアザが見える。
勇太は隣に座り、軽い口調で返した。
「お前こそ、こんなとこで何やってんだ?」
夏美は照れ笑いを浮かべ、うつむいたまま、
「ちょっと話し合いに来たんだけど……ダメだった。
フフ、私って考えが甘いね。
でもね勇太、前の私からしたらすごい進歩なんだよ。
絶対屈しなかったんだから」
夏美は、自分の姿を見ながら、
「あ〜あ、こんな格好じゃ、家にも帰れないよ。
お母さんが心配しちゃうね」
「今日は、俺のとこに泊まればいい」
夏美はかわいい笑顔を作って、勇太の胸元に顔をくっ付けた。
「どうしたの?今日の勇太はやさしいね」
その言葉が震えていた。夏美が泣いているのが分かった。
夏美は、勇太のアパートでお風呂を借りると勇太の服を着て出てきた。
台所で濡れた髪をドライヤーで乾かし終え、
居間と仕切っている襖を開けた。
「勇太、お風呂上がったよ。ありがとう」
勇太は一組しかない布団を敷いているとこだった。
夏美がそれを見て、
「あ〜、私を襲う気だなぁ〜」
「しねぇよ。もう電気消すぞ!」
部屋の明かりが消え、たったひとつの布団に二人は横になった。
夏美は勇太がネックレスを外しているのに気付いていた。
深夜、勇太が目を覚まし、夏美が熟睡しているのを確かめた。
そして、ネックレスを首にかけ、また眠りに付いた。
夏美がそっと目を開け、これでお別れなんだと理解した。
ただ、今この瞬間だけは、
自分の傍にいる勇太を愛しく見詰めながら、涙を流した。
勇太の夢の中……。
朝川の鶴見橋はいかにもナンパ待ちという若者で賑わっていた。
派手な衣装を着た桑原理沙は、
瀬川誠二の誘いをもったい付けながら聞いていた。
その時、誠二は後ろから声をかけられる。
「ねぇ君、瀬川誠二君?」
「そうだけど……」
「よかった、間に合った。
この橋を捜すのにかなり時間が掛かったからさぁ、
見つけられないかもって心配したのよ。
いや〜、会えてよかった、よかった」
「はぁ?……誰や?」
「じゃ、改めて。……探したぜ、バカ親一号!」
と叫んだ勇太が、誠二を殴り倒した。
誠二は叫び声を上げ、理沙の足元へ転げた。
ニヤ付く理沙が、腰を振りながら横たわる誠二を跨いで、勇太に近寄る。
「イケてんじゃん。あんただったら付いて行ってもいいわよ」
「出・た・な、バカ親二号。おめーのような母親なんか誰が相手するか、ボケ!」
と言って、理沙を持ち上げ橋から川へ投げ落とした。
「きゃああ……」
「おい貴様。何をやってんだ!」
そこへ通りかかった警察官が、勇太に向かって走って来る。
「ヤベッ!ちょっと退いて。はい、ごめんよ」
勇太は人込みを掻き分けて、急いで逃げた。
「ジリリリリ……」
「お、ナイスタイミング」
警察官が勇太の後を追って店の角を曲がると、
もう勇太の姿はどこにもなかった。
朝になり部屋で目を覚ました勇太。
横にはもう夏美の姿はなかった。
勇太が瀬川誠二と桑原理沙の出会いを邪魔したことにより、
二人の結婚はなくなった。
当然、沙夜子は生まれず、
夏美もイジメられることもない。
どこかで中学を卒業し、普通の高校生になっていることだろう。
勇太は、兎志也が伝えたもう一つの選択肢を選んだのだった。
これで良かったんだと、勇太は自分に言い聞かせた。
全ての泡が消えて役目を果たした夢見石は、
力尽きたように真っ白になっていた。
それからの勇太の生活は、いつもと変わらない忙しい日々が続いた。
ただ、夏美がいないというだけ……。
夜間学校でも夏美のことは誰も覚えていなかった。
家にも行ってみたが、別の家族が暮らしていた。
夏美が居たという事実が消えていた。
受け入れるしかなかったが、勇太の視線はいつも夏美の姿を探していた。
彼女の存在が残っている最後の証拠があったからだ。
そう、勇太自身は夏美のことを覚えているのだ。
弱い人間は楽しかった過去にすがり付いてしまう。
自分の傍からいなくなって、初めてその大切さを知る。
変わらない生活も、
夏美がいないだけでまったく別の世界に感じた。
勇太は自分も最初から夏美のことが好きだったと、
やっと気付いたのだった。
世の中が夏休みに入り、大龍軒もお盆休みを迎えた。
朝、リュックを持って部屋を出る勇太は、
朝日に向かって大きく深呼吸をした……。
初めて乗る新幹線の窓から、
流れる風景を楽しそうに見ている勇太……。
到着した駅を歩いている勇太にアナウンスが博多だと知らせる……。
勇太は駅員に乗り換えの場所を聞くと、
腕時計を見て慌てて走り出した……。
電車のベルが鳴り響き、閉まりかけのドアに飛び込む勇太。
席に付きホッとする……。
バスに乗り換えた勇太は後部座席に座ると、
疲れに襲われそのまま眠ってしまった……。
勇太を乗せた堀山バスは、
街を抜けて山の中を走っている。
バスが揺れ、勇太がふと目を覚ます。
「んん……、随分寝ていたな。どの辺りだ?」
と、辺りを見回す。
その時……、
「ヤメてください!」
前の方から女性の声がした。
勇太は少し緊張しながら、視線を向けた。
「もしかして、この状況は……」
席を立った女性は手荷物を持って、
勇太のいる後部座席へと向かって来る。
「あ!」
驚く勇太の前に立っているその女性は、
……夏美だった。
以前の派手な風貌は全くなく、
清楚でおとなしいお嬢さんという雰囲気だった。
夏美が声をかけてくる。
「隣よろしいですか?」
「は、はい」
勇太には気付いてないというより、初めて見るといった感じだった。
勇太は引き寄せられるように懐かしく夏美を見ている。
そして、夏美と目が合った。
「あの、何か?」
「あ……いや。さっき叫んでいたから、
彼氏と喧嘩でもしたのかなって」
「いえ、違うんです。
隣の人が言い寄って来るものですから、つい……」
夏美の言葉使いも変わってしまっていた。
「ほら、あの人……」
夏美が指差すその男は、
……兎志也だった。
ニヤ付きながら勇太にウインクをする。
勇太は「あ!」っと、叫びそうになった口を両手で押さえた。
夏美は困った表情で、
「ヤダ、まだ見てるわ。
あの人、男のくせにイヤリングなんかしてるんですよ。
それも私とまったく同じイヤリング。
なんだか気持ち悪くなって……」
髪を掻きあげたその耳には、
香織と同じイヤリングがしてあった。
バスが星野村の停留所で止まる。
夏美は勇太に挨拶をして、バスを降りて行った。
勇太は夏美のいた席を見て微笑む。
席を立ち、ゆっくりと通路を歩いた。
手には夏美が忘れた土産の袋を持っている。
兎志也の横で立ち止まり、
「お前、何やってんだよ?」
「夏美さんとの約束ですから。
どんなことをしても、あなたたちをくっ付けるってね」
「相変わらず暇な奴だな」
「あなたたちの娘さんと結婚したいもので……」
「ふっ、ありがとな兎志也」
運転手が迷惑そうに勇太へ声をかける。
「お客さん、降りるの?降りないの?」
「あ、すいません。降ります。ここで降ります」
と、勇太はバスを降りて夏美を追いかけた。
振り返る夏美。
「これ君のだろ?」
「あ、すいません。ありがとうございます」
「僕、黒木勇太。初めまして」
「初めまして。私、青井夏美といいます」
走り出すバスの窓から、兎志也は景色を見ながらつぶやいた。
「確かなことはひとつだけ。
夢見石は必ず未来の結婚相手を見せてくれるということ」
兎志也のしているイヤリングが光り出し、
兎志也の体は元の世界へと戻っていった。
龍昇の滝で浅瀬に入る香織の姿が、
夏美の姿へと変わっていく。
祭りの夜、浴衣を照れくさそうに回って見せる香織の姿が、
夏美の姿へと変わっていく。
神社で天女の舞を踊る夏美。
それを見ている勇太。
石段を夏美と勇太が降りて行く。
花火が上がり、それを二人で見上げる。
勇太が夏美の手を握る。
それに気付き夏美が勇太の顔をチラッと見て微笑む。
「青井さん、僕が東京に帰っても、また会ってください」
その言葉に、夏美は照れくさそうにうなずいた。
そして、目を閉じて顎を上げる。
勇太の顔が夏美に近付いていく。
夜空に花火が輝きながら、二人の唇が重なっていった。
その時……。
夏美の身体に衝撃が走る。
その場にうずくまってしまった。
「はああ、あああ……」
身体を縮め、震え始めた。
何かが頭の中で浮かんでくる。
失っていたものが甦ってくる。
激流のように流れ込んで来て、次々と再生されていく。
大切な勇太との思い出が……、解き放たれていった。
全ての記憶を取り戻した時、夏美はゆっくりと我に返った。
動揺している夏美が顔を上げると、自分の目の前には勇太がいる。
自然とあふれ出す涙が止まらない。
困惑した勇太が夏美に声をかける。
「大丈夫?青井さん……、わっ!」
勇太に抱きつく夏美が泣き叫ぶ。
「わあああああ……勇太!勇太!勇太!勇太!」
「お、おい……」
勇太は照れくさそうに、夏美を少し引き離す。
そして、やさしく微笑んだ。
「久しぶり、夏美」
夏美は、涙をぬぐいながら、
「……うん」
と、微笑んだ。
……今、夢の続きが始まった。
20年後……。
勇太の家のチャイムが鳴ると、
台所で夕食を作っている夏美が、
「あなた、手が離せないからちょっと出て」
勇太は読んでいた新聞を畳むと、玄関へ向かった。
ドアを開けて、娘の未由が入って来る。
「さぁ、遠慮しないで入ってよ」
と言った未由の後ろから、若い男性も入って来た。
そこへ勇太が未由を出迎えにやって来た。
「おかえり、未由」
「ただいま、お父さん。
彼ね、今付き合っている佐々木兎志也君」
「初めまして。佐々木兎志也です」
頭を下げる兎志也を見て、勇太は微笑んだ。
「初めまして、兎志也君。……20年ぶりかな?」
「僕にとっては、1ヶ月ぶりなんですけどね」
「二人とも、何、馬鹿な挨拶してんの!
兎志也はいつもだけどね。
この前なんか私のイヤリングを貸してくれって騒いだじゃない。
まさか、変な趣味とか持ってんじゃないの?
それに何でイヤリングの色が白色に変わってんのよ!」
勇太が未由の話を止めるように割り込む。
「未由、もういいからお母さんを手伝ってあげなさい。
さあ、兎志也君もどうぞ上がって……」
「はい、お邪魔します」
台所に向かう未由の後姿を見ながら兎志也に話しかけた。
「未由の性格は扱いにくいだろ?」
「夏美さんにそっくりですね」
勇太は思い返すように微笑んだ。
「……そうだな。昔の夏美によく似ている」
未由の声が響く。
「お母さん、約束通り兎志也を連れて来たよ」
「ふふ、そう。じゃあ未由、このお鍋見ててちょうだい。
お母さんも兎志也君に挨拶して来るから。
だって未来の結婚相手だもんね」
「まだ分かんないよ……」
照れる未由の耳には、
白くなった夢見石のイヤリングが揺れていた。
… 終 …
読んでくださってありがとうございました。




