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 7月4日、夕方。


 夏美は学校の支度をして、家から出て来た。


 物陰に隠れていた沙夜子が原チャリを置いて近付いて来る。


 それに気付くと、夏美は足がすくんで動けなくなった。


 沙夜子は、いきなり夏美を殴った。

「テメェ、なに勝手にバイト休んでんだ!先輩の前で恥かいたじゃねぇか。

今日は死んでもバイトに行けよなあ。来なかったらたたじゃすまねぇぞ、ボケ!」


 そう吐き捨てると、沙夜子は原チャリに乗って去って行った。


 夏美は無表情に立ち上がった。


 夏美の心は、深い闇の奥底に隠れてしまった。


 力の弱い人間の防衛本能が出した答えが、全ての感情を切断することだった。

 ズボンの埃を払って、何事も無かったかのように歩き出した。

 この恐怖から逃れる答えは、もう一つしかなかった。





 夜間学校。


 登校して来た勇太が、教室に入って来る。

 夏美の姿を探すが、見当たらない。

「あいつ、今日もかよ」

 と、つぶやく勇太の顔は寂しそうだった。


 同日、夜。


 夏美がビルの屋上の策を越えていく。


 建物の淵に立ち、足がすくむ高さを見ても何も感じない。


 中学時代、沙夜子に受けた嫌な思い出ばかり浮かんでくる。


 生きている間この記憶からは逃げられない。


 たった一歩前に出れば、また始まる沙夜子の地獄から開放される。



 夏美は、柵から手を離した……。



 ゆっくりと傾いていく夏美。

 突然、夏美の体はガクンと止まった。


 自分の右手が握られている感触が伝わってくる。


 振り向くと夏美の右手は無数の小さな光の帯で、柵と繋がっていた。


 次々に浮かぶ光の玉は人の形となり、兎志也が姿を現した。


 必死に夏美の手と柵を掴んでいる。

「夏美さん……ダメ。絶対にダメだ!」


「兎志也、離して!」


「この世界には、

将来あなたと結婚するために生まれてきた人がいるんですよ」


 夏美の閉ざされた心の中に、勇太の姿が現れる。


「あなたを幸せにしてくれる人が、この世にいるんです!」

 兎志也は力を振り絞って、夏美を引っ張った。


 二人は柵にぶつかり倒れ込む。


 体を起こした夏美は、哲夫から何度も聞かされた言葉を思い出す。



「確かなことはひとつだけだ。夢見石は必ず未来の結婚相手を見せてくれるよ……」



 夏美は星など見えない真っ暗な空に向かって叫んだ。


「テッちゃん。

このまま、がんばって生きていれば、必ず勇太と結ばれるの?

こんな私にも幸せが、必ず来るの?」

 大粒の涙がポタポタ落ちる。


 今の夏美にとって、もう勇太しかいなかった。


「私、勇太と離れたくない……」


 たった1%の希望が、冷たく閉ざされた夏美の感情を粉々に砕いていった。


「テッちゃん、何で死んじゃったの。葉菜さーん。わああああん」


 夏美もまた、みんなと同じ普通の16才の女の子だった。


 人生の経験が少ない幼い者たちにとって、

イジメは過酷な試練であり、

止むなく別の世界を選んでしまう者たちがいる。


 その者たちの叫び声は、いつも誰にも届かなかった。





 いっぱい泣いて気持ちが落ち着いた夏美が、

兎志也とビルから出て来る。


「夏美さん。これからどうしますか?」


「沙夜子とケリを付る」

「……本気ですか?」

「私が変わらなきゃダメなの。

その後で勇太に告白する。失敗しても諦めないから」

 と、ガッツポーズをする。


 兎志也は、夏美を見ながら微笑んだ。

「最初に比べて、随分変わりましたね」


 兎志也は、自分の夢見石のリングを見せた。

 気泡はひとつだけだった。


「これが僕の最後の旅となります。

やり残したことを片付けたら帰りますね」


「兎志也、色々ありがとう」


「……夏美さん、幸せになってください」

 と言って、兎志也は走り去った。


そして、夏美は反対の方向へと歩き出した。

 




 学校から帰ってきた勇太が、階段に座っている夏美に気付く。


「夏美、何やってんだ。2日も学校休んで!」


 夏美は立ち上がり、勇太の小言など気にせず、

「話があるんだけど、ちょっといいかな?」


 自分の会話を無視された勇太は、

少しでも心配していた自分がアホらしく思えた。


 それと、いつもと違う夏美の雰囲気を感じた。





 兎志也は夏美のバイト先のファミレスへと向かっていた。

 通りを歩いていると聞き覚えのある声がした。


「もう……。瑠衣さん、何で出ないのよ!」


 兎志也がその声に視線をやると、

前方に沙夜子と彼氏の雅光が歩いていた。


2人は夏美のファミレスへ向かっている途中のようだった。


 沙夜子は携帯をおもむろに切って、

「ねぇ、私、雑誌買いたいんだけど、コンビニ寄っていい?」

「じゃ俺、トイレ」

 と、沙夜子たちはコンビニへと入って行った。


 兎志也が店の外から二人を覗いている。


 いや、沙夜子ただ一人を見ていた。


 その表情はとても冷たかった。


 兎志也が店内に入ると、他には目もくれず沙夜子に近付いて行った。

 そして、ポケットからナイフを取り出した。


 兎志也は、自分に気付いた雅光を蹴り倒す。


 驚いて逃げる沙夜子を追いかけ、襟を捕まえ引き寄せた。


 手に持つナイフを、恐怖でおののく沙夜子の腹へ突き刺したのだ。


 店員の叫び声が店内に響く。


 兎志也のやり残したことが


……実行された。

 




 勇太のアパート。


 夏美は、勇太のネックレスを見た。

「その夢見石はね、寝ている間だけ実在する過去へ行けるの。泡の数だけね」


 それを聞いて、勇太は夢見石を覗いた。


 泡はひとつだけだった。

「じゃあ、次で最後じゃん」


 夏美は、そんな勇太を寂しげに見ていた。

「人によって時代は違うけど、

石を身に付けた人にとって重要な時代に飛ばされるのは確かよ。それと……」


 夏美は言葉を詰まらせた。


 迷ったあげく、続きを話し始めた。

「それと、強く願えば別の重要な時代に行くことも出来るわ。

例えばあなたの両親が事故で亡くなる前とかにも……」


「え、ホントなのか?親父たちを助けることが出来るのか?」

「ええ、それだけ言っておきたかったの。私、もう行くね。」


「お前、あしたは学校来るのか?」


 立ち去ろうとする夏美が足を止める。


 一呼吸置いて、笑顔で振り返った。

「分かんない……じゃあね」

 夏美は逃げるように去って行った。


 勇太の心の中は、両親を救えるかもしれないという期待で埋め尽くされた。





 コンビ二。


 沙夜子は震えていた。

 兎志也が顔を近付ける。


「お前には人の痛みなんて分かんねぇんだろうな」

 と言って、ナイフを抜いた。


 沙夜子はすがるような目で雅光を見た。

 雅光は腰を抜かしながら、店から逃げ出した。

「雅光、待ってよ!」


 兎志也はナイフを見て驚く。


 血は付いていなかった。


 沙夜子の腹にも傷跡がない。


「この世界で、人の命を奪うことは出来ねぇのかよ……クソッ」

 兎志也はその場を走り去った。


 町中を走りながら、どうするか迷っていた。

 残された時間はあまりない。


 ふと、道路脇に停車しているタクシーが目に入り、立ち止まった。


「1%の可能性に賭けてみるか……」


 と言って、タクシーに乗り込むと、急いで走らせた。


「何か書く物を貸してくれませんか?」





 勇太のアパート。


 勇太は夢見石をテーブルに置いて、

家族の写真を寂しげに見ていた。

「香織さんとのチューも捨てがたいが、

やっぱり親父たちを助けに行くのが大事だよな」


 突然、部屋のドアが激しく叩かれた。


 勇太が玄関を開けると兎志也が立っていた。


「勇太さん!夏美さん探してください」

「どうしたんだ?」


「夏美さんは、昔イジメられていた奴と話を付けに行く気なんです!」

「自分でケジメを付けるのなら、邪魔しない方がいんじゃねぇのか?」


「でも、謝って済むような奴じゃなくて……」


「俺、今忙しいんだよ。やらなきゃなんないことがあるからさ」

 と言って、ドアを閉めようとする勇太に、兎志也はブチ切れた。


「分かんねぇヤローだな。

あんたの結婚相手は夏美さんなんだよ。何も感じねぇのか!」


「兎志也、何言ってんだ?夢に出た結婚相手は立花香織さんて人なの。

夢見石のイヤリングだって、……あれ?」


 勇太はふと、喫茶店『チェリオット』での夏美との食事を思い出す。


「イヤリングやピアスを一緒にするなんて、よく分かんねぇよ」


 夏美がしていたイヤリング。

 あれは、香織と同じ夢見石のイヤリングだった。


「うちの両親は幼馴染だったんだって……」

 夢で見た糸倉神社で香織と健吾ともう一人、男性がいたのを思い出す。


「健吾、帰ってたんだ。青井君も久しぶりね」


 夏美。……青井夏美。


「こう見えても田舎では有名人なんだから……」

 と、夏美が踊るその振りが、今日子さんの踊りと重なる。


 「天女の舞」だった。



 兎志也が肩を落とすようにつぶやく。

「夏美さんを救えるのは、あんたしかいないんだ。俺にはもう時間がないんだよ」


「ジリリリリ……」


 空に向かって兎志也が叫ぶ。

「まだ起こすんじゃねぇよ。こいつを一発ぶん殴らせろ!」


 兎志也のリングが光り出す。


「目を覚まさねぇといけねぇのは、こいつだろうが!」

 と叫びながら、勇太に殴りかかる。


 勇太は目を開けたまま、避けようとはしなかった。


 拳が顔に当る寸前、兎志也の体は霧が風に舞うように消えてしまった。


 消える瞬間、兎志也が泣いているのが分かった。


 勇太は階段を駆け下り、自転車に飛び乗った。


 自転車の籠に手紙が入っているのに気付く。


 兎志也からだった。

 手紙を広げて読み始める。


「すいませんでした。先に謝っておきます。

頭に血が登って、勇太さんに馬鹿な真似をしてると思います。

伝えたいことがたくさんあるのですが、時間がないので手紙にします」





 夏美は真夜中の公園で沙夜子と向かい合っていた。

「何か用?さっきさぁ、変な奴に襲われたから機嫌よくないんだけどぉ」

 首を傾けて、見下すような目で夏美を見ている。

 夏美は震えながら立っていた。


 自転車で夜の街を走る勇太。


 兎志也の手紙が続く。

「夢見石にも、ひとつだけタブーとされていることがあります。

時代が変わる程の大きな影響を与えること……。

つまり、両親を助ければ、

勇太さんが親戚の家を出て東京に来ることもなく、

勇太さんと夏美さんが出会うこともなくなってしまう。

しかし、どうするかは石を身に付けている者が選べるのです」





 公園。


 夏美は声を振り絞った。


「もう、私に付きまとわないでください!」


「はあ?ズがたけぇよ」

 その場に膝を付き、土下座をする夏美。


「お願いします!!」


 沙夜子が歩み寄り、夏美の前にしゃがむ。

「イ・ヤ・だ・ね。ペットは飼い主を選べねんだよ」


「もう、あなたには従いません」


 夏美の髪を掴み、顔を上に向ける。

「犬の言葉は分かんねぇつーの」


 沙夜子は立ち上がり、夏美を蹴りつけた。

「これは暴力じゃねんだよ。躾なんだよ」


 うずくまる夏美をまた蹴る。


 それでも夏美は必死に拒む。


 ただ……、

「イヤだ。絶対従わない」

 と、その言葉を繰り返すだけだった。





 自転車で街を探し回る勇太。


 兎志也の手紙が続く。

「もう一つだけ選択肢がありますが、

これもお二人が別れてしまう結末になってしまいます。

実行されるかは、勇太さんの意思に委ねたいと思います……」

 どんどん時間が流れていく。







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