↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/42

第42話 誕生日

 3月5日。

 春の穏やかな日差しが降り注ぐ、私立聖明(せいめい)学園の校庭。


 厳格な校風で知られるこの学校も、今日ばかりは別れを惜しむ生徒たちの歓声と、涙まじりの笑顔で溢れかえっていた。

 俺、伍東《ごとう》奏多《かなた》は、手にした卒業証書が入った筒をポンポンと軽く叩きながら、澄み切った青空を見上げた。


「……終わった。長かったな」


 アメリカから帰国してからのこの一年は、控えめに言って怒涛の連続だった。

 自由人な親父の気まぐれで、不本意ながら「伝説のセックス教団」の名義上の教祖に就任させられ、狂信的な信者たちに貞操を狙われ、挙句の果てには税務署のガサ入れまで経験した。


 だが、それもすべて過去の話だ。


 俺はあの怪しい宗教法人を捨て、クリーンな『NPO法人ピーチ・ライフサポート』へと組織を移行させた。諸悪の根源である親父は警察に連行され、俺は無事に高校を卒業する日を迎えた。


 4月からは、海外生活で身につけた多様性理論を活かすため、大学の心理学部へ進学する。

 NPO法人の代表理事としての肩書きは残るが、心理学や社会学を専攻するごく普通の大学生になれるのだ。


「これでやっと、俺が望んでいたおとなしく平穏な日常が始まるんだ……!」


 俺が感動に打ち震えていると、背中をバンバンと威勢よく叩かれた。


「おい伍東!卒業おめでとうな!」


 満面の笑みを浮かべて現れたのは、教団の裏事情を一切知らない俺の唯一の常識的理解者、半田《はんだ》哲《てつ》だった。


「おお、半田。お前もおめでとう」

「いやー、長かったような短かったような!春からは俺たちもいよいよ大学生だな!俺はサークルに入って合コンして、ひたすら普通のキャンパスライフを謳歌するぜ!」


 半田は底抜けに明るい声で、夢の大学生活の展望を語った。


「だからよ、今日はその前祝いだ!卒業式も終わったし、この後パーッとカラオケでも行って遊びに……」


 半田が俺の肩に腕を回そうとした、その時だった。


「……ん?」

 突然、半田の動きがピタリと止まった。

 彼の顔からスッと血の気が引き、額にじっとりと冷や汗が浮かび上がる。


「どうした、半田?」

「いや……なんか急に、とんでもなくヤバい悪寒っていうか……背筋が凍るような気配が……っ」


 半田はガチガチと歯の根を鳴らしながら、校舎の陰の方をチラリと見た。

 俺には何も見えなかったが、彼の野生の勘が、とてつもないプレッシャーと熱気――強烈な「信仰心」の塊のような集団がこちらに迫ってくるのを感じ取ったらしい。


「ご、ごめん伍東!俺、急に腹痛くなってきた!カラオケはまた今度な!じゃあな!」

「えっ、おい半田!?」


 半田は蜘蛛の子を散らすような猛ダッシュで、校門の外へと走り去ってしまった。ただ普通のキャンパスライフを謳歌したい彼にとって、この後に起こる事態から逃げ出したのは正解だったのかもしれない。


 +++


「伍東くん」


 半田が逃げ去った直後、背後から凛とした涼やかな声が響いた。


 振り返ると、透き通るような白い肌と一糸乱れぬ黒髪を持つ孤高の美少女――四ノ宮《しのみや》沙蘭《さらん》が立っていた。

 手には卒業証書の筒を持ち、少しだけ頬を紅潮させている。


「四ノ宮さん……いや、沙蘭。卒業おめでとう」

「はい。伍東くんも、ご卒業おめでとうございます」


 沙蘭はふわりと微笑んだ。


 彼女は成績優秀でありながら進学を蹴り、春からはNPO法人の専従職員、つまり俺の専属秘書として働くことを決めている。


「それにしても、半田のやつ急に走って逃げちゃってさ。何か怖いものでも見たのかな」

 俺が苦笑いしながら言うと、沙蘭はスッと真顔になり、俺の目の前まで一歩踏み出してきた。

 石鹸のような甘い香りが、春風に乗って鼻先をかすめる。


「伍東くん。今日は3月5日、卒業式ですね」

「ああ、そうだな」


「……私が今日、何の日だと言っていたか、覚えていらっしゃいますか?」


 その瞬間、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。

 3月5日。

 それはただの卒業式の日ではない。俺がかつて、彼女に「十ヶ月待ってくれ」と先送りにした、あの運命の期限。


「あ……」


 俺の顔から血の気が引くのをよそに、沙蘭は熱に浮かされたような、狂信的で熱烈な光を瞳に宿した。

 ついに沙蘭が、「18歳の誕生日」を迎えたのだ。


「そうです。本日をもって、私は18歳になりました」


 沙蘭は両手を胸の前で組み、祈るような、しかし絶対に逃がさないという強い意志を込めた瞳で俺を真っ直ぐに見つめ上げた。


「法人の形がNPOに変わっても、私の愛は変わりません」


 彼女の口から紡がれたのは、バレンタインデーの時に聞いた甘い言葉。

 だが、その後に続く言葉は、俺の平穏な日常を完全に粉砕する、教義に則った強烈な宣誓だった。


「さあ、代表理事様、私のすべてをあなたに捧げます」


「ちょ、ちょっと待って沙蘭!?NPOになったんだから、そういう至誠とか捧げるとか、もう無しになったんじゃ……!」


「いいえ!法人がクリーンになったからこそ、私のこの純潔なる至誠を真っ先にお納めしなければならないのです!」


 沙蘭は一歩、また一歩と俺に詰め寄ってくる。その背後には、見えない炎が燃え盛っているようだった。


「さあ!桃源郷の地下扉を開きましょう、代表理事様!」


「開かない!扉はガッチリ施錠されてるから!!」


 俺が後ずさりをした、まさにその時だった。


「沙蘭さんだけに、代表理事様を独占させるわけにはいきませんわ!」


 校舎の陰から、黒髪を振り乱した天王寺《てんのうじ》雅《みやび》が飛び出してきた。

 彼女は将来の弁護士を志望して法学部への進学を決めているが、完璧主義な性格と教団での極端な思い込みは全く治っていない。


「私も春からは六法全書を片手に、法的見地から完璧な至誠を証明してみせますわ!さあ、代表理事様!新参者の私にもご開封(施し)を!」


「ご開封!?なんだよその怪しいワードは!」

「ああ、素晴らしいわ!若者たちが己の殻を破り、魂を解放する儀式……!」


 さらに天王寺の後ろから、白衣姿の伊佐美《いさみ》先生や、妙子をはじめとする大人の女性信者たち、さらには「救済」を求めてNPOにやってきた新規の女子たちまでが、怒涛の勢いで押し寄せてきた。

 半田が感じ取った「背筋が凍るような悪寒」の正体は、間違いなくこれだったのだ。


「代表理事様!私たちと地下への扉のご開錠を!」

「皆で霊気を交わらせ、NPOをさらなる高みへと導きましょう!」

「さあ、お慈悲を!施しを!」


 校庭のど真ん中で、学園トップの美少女や生徒会長、さらには大人の女性たちが、一斉に俺に向かって両手を伸ばし、俺からの施しを求めて殺到してきた。


「だから、お前ら……!」

 俺は迫り来る熱烈な信者(女子)たちの群れを見て、ついに限界を超えて絶叫した。


「御開帳みたいに言うな!!」


 俺は手にしていた卒業証書の筒を握りしめ、全速力で校門へ向かって走り出した。


「あっ、お待ちになって!代表理事様!」

「逃がしませんわ!今こそ完璧な交和の時!」

「伍東くん!どこまで行っても、私はあなたの専属秘書としてお供しますからねーっ!」


 背後からは、沙蘭をはじめとする狂信的で愛の重い女子たちの足音が、地鳴りのように追いかけてくる。

 俺は春の生温かい風を切り裂きながら、全力で走り続けた。


 大学の心理学部に進学して、真っ当なNPO法人の代表として平和に生きる。

 そんな俺のささやかな願いは、どうやらまだ遠い未来の話になりそうだ。大学のキャンパスに行っても、きっと俺は彼女たちに追い回され、ドタバタな日常を送り続けるのだろう。


「誰か助けてくれぇぇぇっ!!」


 俺の悲鳴は、青く澄み渡った春の空へと虚しく吸い込まれていった。


 平穏な日常とは程遠い、過激な愛情と狂騒に包まれたまま、俺の波乱に満ちた青春は、これからも果てしない延長戦へと突入していくのだった。



 第1章 完





ここまでお読みいただきありがとうございました。

感想や評価☆いただけると執筆の励みになります。

続きを思案中です。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。