東宝院梓の行動理念
向き合う二人。
唇を釣り上げてニヤリと笑う梓とは対照的に大森はその額に青筋を浮かび上がらせるほど、苛立ちを表に出していた。
「フン……。あんた、どうなっても知らないぞ? 俺は今、機嫌が悪いんだ」
「そうかい。奇遇だね。アタイもちょうどむしゃくしゃしていたところだよ。それと黄崎。アンタはそこで見ているといいよ。お疲れのようだからね」
「わかるのか?」
「ああ、よく聞こえるよ……。黄崎の声も、こいつらの声も……」
梓は瞳を閉じた。そのたたずまいは静寂で、精悍で、何人たりとも侵すことを許さない。
現在の状況は横幅三メートル弱の廊下に梓、その前に大森と小森。その背後に黄崎といった並びになっている。挟撃という戦略的優位性を確保しつつも梓はそれを利用しようとはしなかった。
そしてそれがなおのこと大森をいらつかせる。
「フン! 人を挟んで会話してんじぇねえよ! 殺すぞ!」
「そういう言葉は冗談でも言うもんじゃない。まあ、アタイも言ったことはあるが、言った方も言われた方も良い気分にはならないもんだ」
「んなことはわかってんだよ!」
今日、三度目の魔法の起動。
大森も力の扱いに慣れたのか、不用意に水の刀を伸ばしたりはしない。確実に倒せる距離、タイミングで使ってこそ効果的であるとようやく理解したのだ。
小森も続く。大森の放つ一撃目が防がれたときに追撃できるよう、大森の背後に身を隠すように構えた。
その結果。
「なんでだよ……どうして避けないんだ!」
「おかしなことを言うんだな。避けられる攻撃をしたのか? 殺すんじゃなかったのか?」
仁王立ちしたまま攻撃をその身に受ける梓。
防御をするわけでもなく、反撃に出るわけでもない。
ただ、そのまま。
あくまで自然体のまま大森の攻撃を受け入れ続けた。
「くそっ!」
梓の挑発に乗る形で放たれる水の刀による連撃。
追撃をかけるはずだった小森もその状況をただただ眺めているしかなかった。
けっして切れ味が良いとはいえない大森の魔法。
それでも無防備な梓は一方的に切り刻まれ、制服が裂け、白い素肌に赤い線が無数に引かれていく。
とても戦いとは呼べない光景に耐え切れず小森がぼそりと呟いた。
「もう、やめよう……やめようよ大森……」
「どうして……どうしてだよ! 俺たちの相手をするんじゃなかったのかよ!」
震える大森の手が止まる。相手が好戦的であれば、暴力的なを向けることも出来る。でも、梓は戦おうとしない。手から離れたアクアブレードは青い光の粉となって空に消えた。
梓はゆっくりと目を開く。その吸い込まれそうな双眸にみつめられ、大森はその場に力なく膝をついた。
「アタイは確かにこの場を有機から引き受けた。でも、それはアンタたちと拳を交えるってことじゃない。アタイはね、アンタたちの話が聞きたいだけさ。後ろにいるおせっかいな生徒会長も一緒だ。そうだろ?」
黄崎は唐突に言葉をふられるも、特に動じた様子もなく無言のまま梓に肩をすくめて見せる。
(俺にはこんな真似は出来なかったよ。ただただ、黒輪君を傷つけられ、懲らしめることしか出来なかった。戦わない。そんな選択肢もあるんだね)
梓は「よいしょ」と年齢にそぐわない掛け声とともに廊下に胡坐をかいた。
「さて、話してもらえるかい? アンタたちが何に怯え、何に苦しんでいるのか」
「……」
大森は口を開こうとはしなかった。どこから話せばいいのか、何を話していいのか、自分の中で整理がついていないように梓には見えた。
「最初は食堂だったぶぅ……僕と大森が話していたら権藤に声を掛けられて……中森さんの様子がおかしいのは無灯にたぶらかされたからだって……」
「有機が?」
「そうぶぅ……。僕たちと無灯にはちょっとした因縁……無灯はどう思っているかわからないけど、その仕返しもしたくて……権藤が力を貸してくれるって言うからその話に乗ったんだぶぅ。最初は無灯が天才だから権藤も嫌ってて、力を貸してくれるのかと思ってたんだぶぅ……」
「でも、そうじゃなかった……」大森が後に続いた。
「建設中の駅ビルに呼び出された俺たちはそこでこの力を受け取った。これは天才にのみ許された至高の力だとか言ってた……。でも結局、あいつは俺たちの大切な人を人質にとって俺たちを利用しようとしただけなんだ!」
「それで、アンタたちはその力を使った。そうだね?」
「それは……」
「仕方なかったぶぅ! そうしないと中森さんが……」
「でも君たちが黒輪君を攻撃したときはそんなふうには見えなかったな。まるで力そのものに酔いしれているようだった」
「うっ……」
黄崎にそう言われてしまうと、大森は返す言葉が見つからない。
小森はともかく、あの時の大森は確かに力に溺れていた。なんでもできるような気さえしていた。
でも、それは間違いだったと今振り返れば思うことが出来る。
気付かされたのだ。
目の前の少女に。
いや、少女と呼ぶには申し訳ないほどに堂々としていて、大森の太刀を浴びても微動だにしなかった。
「そんなものは力じゃない。強さじゃない」と梓の無言の圧力に自分の無力さを大森は痛感した。
「アンタたちに言えることはそうだね……力は与えられるものじゃなくて、自分で掴むものということ。力は力。そこに善悪は無い。大事なのはね、力を扱う人間の心の在り方だよ」
「心の在り方……」
「アンタたちが名前を出した無灯という男はね、昔、自分を守ってくれた人に追い付きたくて力を欲した。そしてそれは次第にその人を守るための力になった。それは有機の心がそう在りたいと願ったからだ。もし、アンタたちが有機と戦ったことがあるならわかるはずだ。あの力は、あの白銀のガントレットは、守るための力なのさ。だから強い。――それに面白い。あっはっはっはっは!」
最後の一言で台無しじゃないか、と黄崎は思っても口には出さない。
それが場に水を差す行為であることはわかっているし、思ってしまった時点で大体の感情は梓に伝わってしまっていることがわかっているからだ。
「さてと、じゃあ、建設中の駅ビルってことで有機に連絡しとくか。黄崎も構わないだろ?」
「もうしておきましたよ」
「なんだ、さすがだな」
梓は「よっこらせ」と立ち上がると、「じゃ、アタイは帰るわ」とすっきりした表情をして去ろうとする。そこに大森が立ち上がり、
「待ってくれ! あんたはどうして俺たちを、そんなにまっすぐにみてくれるんだ?」
「なんで? だって?」
梓は振り返る。濃紺の髪は短すぎて風にはなびかない。ただ、その瞳に揺るぎない意志をたたえ、満面の笑顔で、
「小説っていうのはどんな人が読むと思う?」と逆に聞き返す。
「小説? よく、わからない」
「だろうな。あっはっはっは!」
「……」
「おっと失礼。馬鹿にしたつもりはないんだ。でもね? 小説ってのは、幸せな人間が読むものなんだよ。本当に幸せじゃない奴はそもそも本を読もうという気にすらならない。そんな余裕がないからな。さっきまでのアンタたちと一緒だ。だからアンタたちを放っておけなかった。さっき部室棟をさまよっていたときの二人の顔は酷いもんだった。そんな表情に誰がさせたんだと憤ったもんさ」
「それであとを追ってきたのか。でも小説と俺たちと何の関係が?」
「そう結論を焦るな。文芸部は小説を書いている。アタイたちは恥ずかしいけど書いた小説をいろんな人に読んでもらいたい、そう思ってる。でも小説は幸せな人しか読まないだろ? だったら、――みんなを幸せにする――それが文芸部の部長であるアタイの務めじゃないか! だから笑え。笑うことが幸せへの近道だから」
梓の演説を聞いていた三人は言葉を無くした。
そして笑った。
全ては部活のため。小説のため。
梓はその分け隔てない笑顔で周囲を幸せにする。それは神や仏、聖人が行使するような慈愛に満ちたものでも何でもなかった。そのあまりにも偏った考え方に三人はおもわず笑った。
「なんだ、笑えるじゃないか。愉快だな! あっはっはっは!」梓も笑う。




