四月一九日⑤
「一体何が……」
閃光が消え、黄崎の目に映ったものは、信じられない光景だった。
(いったい何が……)
冷たい廊下にうつぶせで横たわる絵依が考えることも黄崎と同じだった。
大森と小森は悠然と渡り廊下に君臨し、大森の方はその圧倒的な力に、高笑いを上げている。
これだけ騒げば誰かが駆けつけるかもしれない。などという考えは大森には微塵もないようで、それだけ自分の力に酔いしれていることがわかる。
「フーン! なんだこれは! 想像以上じゃないか! この力さえあればなんだってできる! 権藤の好きにもさせない!」
「大森! その名前を出すのはまずいんじゃないぶぅ?」
「フン! いいじゃないか。どうせ目の前の生徒会副会長様は何もできないんだからな。粋がってた割にたいしたことはなかったな。それとも俺たちが強すぎるのか?」
大森は抑えることのできない笑いを必死に堪えながら、自分の手にある水刀を自在に伸縮させる。そしてまたニヤニヤと笑う。
絵依はなんとか頭だけを起こすと鬼の形相で二人を睨みつけた。だが、全身を襲ったダメージは絵依の体の自由を完全に奪っていた。
(これはもう黙って見ていられる状況じゃないな……)
黄崎が一歩を踏み出す。
彼の眼には渡り廊下の光景しか写っていない。
――だから背後の影には意識が向かなかった。
【通信番号0723 魔法『雷王の槌』を起動致します】
「「!」」
大森と小森が背後へ振り向く。
そこに立つ黄崎の左手に出現したのは黄金の小槌。
一メートルの長い柄の先端に小振りの槌が左右に飛び出している。
黄崎が瞬時に間合いを詰め、大森へ横なぎに振るわれる金色の鉄槌。
だが、それは小森の右足によって遮られる。
「はやいな……」
「フン! 小森を甘く見ないことだな。強化された小森の魔法はあんたですら持て余すぜ? 生徒会長様?」
大森は自信たっぷりに黄崎へ告げる。
その傲慢さは力とともに身に着いたものかもしれない。
「……お前たち、一体何者だ? その力はなんだ?」
「フン! 得体のしれない力が怖いのか? この力は権藤に分けてもらった力さ! 本来は天才相手に使っちゃまずいらしいんだが。こうなった以上、あんたにもこの力の犠牲になってもらうぜ?」
「……権藤先生?」
この手の生徒なら口に出すことすらはばかられる教師の名前に黄崎の思考が混乱する。が、大森はその疑問にスラスラと答えていく。
「フン。そうさ。権藤に頼まれたんだ。この力はまだ未完成らしくてな、完成させるための実験台に俺と小森が選ばれた。最初は厄介なことに巻き込まれたと思ったんだが……。まあ、今は充分満足してるよ。喜べよ生徒会長。今日はあんたら生徒会が牛耳る学園生活の終焉の日になるんだぜ? はっはっは!」
「そうか……」
いまだ彼らを取り巻く全貌は掴み切れていない。
けれど。
そんなことよりも。
絵依を傷つけ、調子に乗った一年生の高笑いが耳ざわりだった。
黄崎はため息をつきながら残念そうに首を横に振る。思い知らせてやらなければならない。
この傲慢な新入生に生徒会の本当の実力を。
「会長……」
「黒輪君、すまなかったね。こういう展開は僕も予想していなかった。君が今倒れているのは僕の落ち度だ。許してくれ」
申し訳なさそうに黄崎を見上げる絵依へ優しく微笑みかけると、
「大丈夫。すぐに終わる」
黄崎の目つきが変わった。
小森との至近距離から数歩後退する。
長い柄を棒術の要領で巧みに回し、あまりの速度に巻き起こる風が廊下全体を振動させた。
「フン! この力の前じゃ、最強のあんただって雑魚同然だ! 死ね!」
大森がアクアブレードを振りぬく。
一瞬にして魔法の切っ先が黄崎にまで到達した。
その長さはおよそ三メートル。
「フン。俺のアクアブレードは伸縮自在! これが何を意味するかわかるか? 戦闘において互いの間合いを把握することは基本中の基本。つまりあんたは俺の間合いを測ることができないのさ」
「それがどうした」
黄崎は動じない。
自分の喉元へ迫るアクアブレードをグリントの柄で確かに受け止めている。
正体不明の力を前にしても黄崎の発する言葉からはどこか達観したような余裕が感じられた。
「なんだと?」
「間合いがわからないならそれでいい。大事なのは相手の力がどういったものか理解すること。ただ伸縮するだけの剣など恐れるほどでもない」
言葉と同時。
黄崎は空気中で黄金の槌グリントを二度打ちつけた。
槌の先から雷鳴が轟き、枝分かれする閃光は大森と小森を襲う。
「大森、ここは任せるぶぅ」
一蹴。
見かけにそぐわない軽快な身のこなしから放たれた小森の蹴りは、そこから雷を発生させ黄崎の力と拮抗した。
「遅いな……」
「……え?」
小森は自分の背後から発せられた声に目を見開いた。
雷は陽動。蹴りを放った瞬間の硬直を黄崎は見逃さない。
黄崎は小森の反撃にいち早く反応し、その脇腹へ渾身のハンマーを打ちおろした。
ハンマーという形状ゆえ、直接打撃した時こそ黄崎の魔法グリントはその真価を発揮する。
「くそ!」
急速にこわばる大森の表情など露知らず、黄崎はその表情を一切変えずに大森の腹へ回転を加えた一撃を放った。小森ほどスピードのない大森は為すすべもなく渡り廊下の窓に叩きつけられる。耐久性を重視した構造上、窓ガラスが割れるようなことはなかったが、その衝撃に大太鼓を叩いたかのような重低音が渡り廊下に響いた。
呻く大森の横で両手をついて立ち上がろうとする小森がなんとか口を開く。
「かはっ! 個の速さに威力……最初の一撃は加減していたぶぅ?」
「ああ。人間ていうのは自分が優勢だとわかるとおしゃべりになる奴が多い。状況を知るためにも一度油断させるのがベストだと思ったんだ」
言いながら黄崎は乱れた虹色の髪を掻き揚げた。
これこそが学園最強。
生徒会長の実力。
彩王の異名を持ち、千人の生徒の頂点に立つ男は新入生にその圧倒的な強さを見せつけた。
「さてと、黒輪君、立てるかい?」
「な、なんとか……」
絵依は黄崎に手をひかれて起き上がると、脇の手すりに掴まって生まれたての小鹿のようによろめきながら立ち上がる。
「彼らを生徒会室へ連行する。早くしないとみんなが心配するだろうしね」
「はい」
二人の顔にようやく笑顔が戻る。――はずだった。
「連行する必要はない。生徒会の残りのメンバーには今しがた帰ってもらった」
「権藤先生……」
黄崎と絵依の視線の先。
漆黒に身を包む権藤の姿は、例えるなら『悪魔の化身』。
いつもと同じスーツのはずなのに、纏う雰囲気はまるで違っていた。
「まったく……。これだから馬鹿は扱いに困る。喋っていいこともわからんのだからな」
ドゴッ! と鈍い音。
権藤は廊下に倒れている大森を蹴りつける。大森は声を上げることもできず、腹を抱えてうずくまった。
「先生……これはどういうことですか? 生徒会長として説明を求めます」
「ふふっ。説明か……。できればお前たちとは問題を起こしたくはなかったのだがな。こいつらは襲う人選すら間違える。最初からこちらで標的でも決めておくんだったよ。まあ、こうなってしまった以上は『処理』させてもらうが」
その言葉の意味を黄崎も絵依も鋭敏に感じ取った。どんなに鈍感な人間でも今の権藤の放つ禍々しい殺気にあてられれば嫌でも身の危険を感じることだろう。
「黒輪君、離れていて……」
肩に担いでいた絵依を廊下の脇に寄りかからせて、黄崎は権藤と対峙した。
緊迫を絵にかいたような状況で互いの視線が交錯し、黄崎が動いた。
「今の先生からは得体のしれない悪意を感じます。生徒会長として、まずは拘束させていただきます。話はそれからです」
「得体がしれないというのは違うな。それは単純に君が私のことを理解していないだけのことだ」
廊下を叩いた黄崎のグリントから閃光が迸り、雷は一〇匹の蛇へと変化し地を這いながら権藤へ迫る。
(普段の先生は魔法を使う生徒を素手で黙らせている……。近接戦闘は避けたいが……)
「雷蛇の檻か……確か問題児を拘束するための技だったな」
黄崎の魔法はハンマーを打ちつける場所・強さ・速さによって変幻自在の雷を操るものだ。
黄崎の放った技は権藤の両手両足に絡みつき、その自由を奪うはずだった。
「なに?」
突如として権藤の体から放出される黒い霧。
それが雷の蛇を、黄崎の技を妖しく包んで飲み込んだ。
「アクセスコード 0001 『ダークエアー』。拘束を前提にした技などやめておけ。私はそこに転がっている馬鹿共とは違う」
「そうですか……。わかりました。では遠慮なく」
今度は黄崎自身が権藤へ矢の如き勢いで迫る。権藤に反撃の余地を与えない、速く、鋭い動き。
一メートルはある長い柄のおかげで射程は黄崎の方が長い。
先手。
黄崎のハンマーが確実に権藤の脳天へ直撃した。しかし――
「ふっ。最初の起動で私の魔法の特性を理解すべきだったな。ダークエアーは元々防御型の魔法だ。しかも強化したことによって、君の魔法ですら防ぐことを可能にした。どうだ? 素晴らしい性能だろ?」
権藤の頭上を覆う闇。
黒い霧上の魔法が黄崎のグリントを包み、渾身の一撃を無効化していた。
黄崎は怯まず身を翻して立て続けに乱打を繰り出す。
だが、どこを打ち付けても、
どんなに速く打ち付けても、
どんなに強く打ち付けても、
権藤に攻撃が届くことはなかった。
「そんな……」
「さて、お返しだ」
権藤が構え、その巨体から繰り出される鉄球のような拳が黄崎の腹へ突き刺さる。勢いを殺し切れず、数メートル押し戻された黄崎は、自分の体に起こったダメージ以上の異変に気がついていた。
(くそ……こんなときに……)
――内から沸き起こる緑の悪魔。
権藤が放った腹への一撃で『ヤツ』がまた息を吹き返した。
黄崎の膝が折れ、両手で口と腹をおさえる。
「どうした? 衝撃は逃がされていたと思ったんだが、予想以上に君は打たれ弱いのかな?」
「……」
思考がまとまらない。
権藤への対策が頭に浮かんでも整理ができず、体も言うことを聞かない。
「君は学園内で、最も厄介な相手だと思っていたんだが、調子が悪いのなら好都合だ。『同胞』を手にかけるのは心苦しいが、ここで消えてもらおう」
権藤の周囲を覆っていた黒い霧が巨大な腕へ形を変え、黄崎を横から殴りつける。
それは黄崎を挟んで強化ガラスを砕き、そのまま裏庭へと落ちていく。
「会長!」
絵依の叫びも虚しく響くだけ。
空に溶け込む魔法の残滓とは裏腹に黄崎は絵依の視界の中、スローモーションで落下を続けていた。夕日を浴びた強化ガラスの破片が儚く輝いて黄崎を包み込んでいる。
「さてと……黒輪君。せっかくだから君にお願いしたいことがある。一緒に来てもらおうか」
絵依は感情を隠そうとせず、むき出しの敵意を持って権藤を見た。権藤は笑うだけだ。
「お断りします。先生はここで私が――」
その先を言うことはできなかった。
今度は黒い霧が絵依の全身を覆い、その意識を摘み取った。
力なく倒れ込む絵依を担ぎ上げ、振り向きざま、起き上がろうとする二人の少年に視線を移す。
「お前たちは黄崎の死体をどこか目立たないとこに隠しておけ、その後は私が処理する。それくらいは出来るだろ?」
そして、権藤は絵依とともに学園から消えた。




