四月一九日②
四月一九日。午後〇時二〇分。裏庭。
武者小路は昼食をとるために裏庭に設けられたベンチに腰を掛け、一人、サンドイッチをほおばった。花々を愛でながら、寮から持参したお手製のサンドイッチと水筒に入れた紅茶を楽しむのが武者小路の昼の過ごし方だ。食事の後はベンチで本を読むのが至福のひととき。
だが、今日に限っては邪魔が入ることになる。
「撫子さまーン!」
「うっ! 中森……」
声のする方を向いた武者小路の表情が露骨に曇りだした。
中森は事故の一件以来、恩人である武者小路と有機に好意を寄せている。
『天才』と称される二人に好意を寄せるというのは中森自身にも不思議な心境だった。今でも『天才』そのものに対する嫌悪感が無くなったわけではない。ただ、命の危機に晒され、それを救われた中森にとっては、大きな問題ではなくなっていた。言ってしまえば「天才は嫌い。でも二人は特別」といったところだろうか。
そんな折、武者小路が中森の教室を訪ねたのだ。武者小路は中森の所持していたポイントのことを聞きに来ただけだったが、その後も中森は自分に何か役に立てることはないかと執拗に武者小路につきまとうようになっていた。
武者小路は文芸部に所属してはいるものの、あまり馴れ合いを好まない。そして天才である武者小路はこういった自分に好意を寄せてくる人間との接し方がよくわからなかった。
「ここにいらしたのですねン! お食事、ご一緒してもよろしいですかン?」
「好きにせい。断ったところで意味はないんやろ……」
「はいン!」
武者小路はため息交じりにベンチに広げた食事の用意を自分の方へ寄せて中森が座れるスペースを作った。中森はそこに笑顔で座る。そこであることに気がついた。
「あ、私、お弁当を教室に置いてきてしまいましたわ」
「ったく、何しに来たんや、しゃあないな……ウチの分けたる」
「え? よ、よろしいんですか?」
中森が満面の笑みで武者小路を覗き込む。武者小路はそれから逃れるように顔を逸らし、
「ええから……。早くしないとウチの気が変わってしまうで?」
「じゃあ、遠慮なくいただきますわ!」
――
「とてもおいしゅうございました。撫子様はお料理がお上手なのですね! 感激いたしました」
まるで女神に祈りでも捧げるように両手を合わせ、武者小路へ向けられる視線。
「サンドイッチなんて具材を挟むだけや。誰でもできる。――それで? 今日はウチに何の用や? 昼に弁当を忘れてしまうくらいには重要な話しなんやろ?」
中森の笑顔が驚きに染まる。
どうしてわかったのか不思議でしかたないようだ。
「食事中、ウチのことチラチラ見て話すきっかけさぐっとったろ? みえみえやったで?」
「すべてお見通しでしたか……。お恥ずかしい限りです。――実は」
中森が申し訳なさそうに頭を下げた。だが、それも長くは続かず、そういうことなら……、と顔を上げ中森は語りだした。その顔に真剣身が増し、それは中森にとって重大な話であることを武者小路に理解させるには充分だった。
「実は、最近、仲間の……大森と小森の様子がおかしいんです」
「大森と小森?」
武者小路の質問はもっともだった。知りもしない人間の名前を突然出されてもわけがわからない。ただ、始業式の一件を見ていた武者小路にはおおよその見当がついていた。でも武者小路が観ていた事実を中森が知るはずもなく、
「あ、す、すいません! 大森というのは眼鏡をかけた長身の男子で、小森はいつもお菓子ばっかり食べている小太りの男子です。二人とは初等部からつるん……仲よくしていて、一緒に悪さ……じゃなくて、遊んだり、どこに行くのもほとんど一緒でした。同級生なんですけど、いつも私のことをリーダーリーダーと慕ってくれるかわいいやつらなんです」
中森の口元が自然と緩んだ。まるで赤ん坊を愛でるような、恋愛とは違う、
何か大切なものを想う結果生じた笑み。
「仲良し三人組か……」
本でもよくある設定やな、と武者小路はシリーズ物のとある小説を思い出していた。
「そうです。その二人の様子が最近おかしくて……私に隠れて何かしているみたいなんですけど……」
「何かのサプライズとかは考えられへんのか? ほら誕生日とか」
「あの二人にそんな器用な真似はできませんよ。それに私の誕生日はまだ先です」
「ふーん。それで? いつからおかしくなったんや?」
「そうですね……。私が事故にあった次の日からだったと思います」
「あの日から……(まさかな……)」
この時、武者小路の中で小さな疑惑が生まれた。
自分の考えがあまりにも突拍子もないというのは自分でもわかっている。
それでも、大森と小森が何らかの形で事件に関わっている。
そんな疑惑を武者小路は完全に否定することが出来なかった。
「あんたが事故にあったから心配してんとちゃうか?」
「それが……よくわからないんです。私が事故にあったことも知らないようで……知っていたらあの二人なら、飛んで駆けつけてくれるはずです」
「そうか」
武者小路は、駆けつけてくれるときっぱり言い切った中森が羨ましかった。武者小路にはそこまで信じられる仲間や友達はいない。文芸部のメンバーだって『天才』自分のためにどこまでしてくれるのか言い切る自信はなかった。
目の前にいる中森も例外ではない。何かで揉めたら最後、結局最後は『天才だから』の一言で嫌悪の眼差しを向けられる。
だからこそ、有機に助けられた時の中森の好意の視線に武者小路は目を背けたくなった。
どうせ嫌悪に変わる好意なら最初から気づかない方が良い……
有機と青木の関係を見て、武者小路の想いは一層強くなった。
「なにか、良くないことが起きる気がするんです……」
武者小路が一瞬、思考の海に囚われていると、中森はそう言って膝上で組んだ両手を見つめながら俯いていた。
「ま、ウチがそれを聞いたところで何かできるわけでもないな」
「そ、そんなぁン!」
「まず、ウチはその二人に会ったことすらあらへんからな。助言できるわけないやろ? じゃ、ウチはそろそろ行くで」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
中森は放置された弁当の荷物と武者小路を交互に見てうろたえた。中森が荷物を放置せずに片付けるだろうことは武者小路にも容易に予想が出来た。そうやって中森を足止めしている間に武者小路は中森のもとを去った。
「大森と小森か。女の勘ちゅうのは案外馬鹿に出来へんからな……。とにかく今は一刻も早いアプリの再解析や。午後の授業はサボり決定やな」
武者小路の迷いのない足取りはそのまま女子寮へ向けられていた。




