6話 夢喰らう竜(前編)
ゴイド山脈は王国と非人同盟の境界の北側を塞ぐ形で存在する。
草木をも枯らす毒の空気が不定期に噴出することや、大陸有数の標高の高さが人を寄せ付けない。
そして人の手が入らない事で高度の魔界化が進む。
数百年前の天元級冒険者、"地図の三割を埋めた男"ゼゼ・スンリ以外に踏破された記録は公式に存在しない、最難関の山脈である。
その山巓のひとつで、竜が眼下を見渡していた。
赤黒い鱗の竜は、先日地竜車を襲った夢喰らう竜だった。
「やあやあ、ダブラークォン。探したよ、こんなところにいたのかい」
険しいはずの山肌を登ってきて、気軽に竜に声をかけた存在は、人型だった。
青いローブを身に纏い、毛先だけが黒い白髪の女性が微笑む。
「魔界化が凄いねここは。地形は複雑だし、魔物は強力だし、くたびれてしまったよ。ゼゼもよく越えたものだ」
竜の隣に無防備に腰掛ける女性に、ダブラークォンと呼ばれた竜が返す。
「【ヒトの言語は理解に労するのだが、語り部よ】」
「【幻想語でしゃべれって?】 嫌だよ、私はヒトの言葉で話すことに意義があるんだ」
「【要らぬこだわりであろう。そも、我やお前に意義など存在するのか】」
竜の疑問に、語り部はため息を吐いた。
両の手のひらを空に向けて首を振って見せるが、竜にはその意味は分からない。
「私と同じ永い時を生きているくせに、そんな疑問を抱くの?」
「【我の方が幾分か遅くに生まれたのだが】」
「二〇万年を超えた時点でそんなもの微差に決まってるじゃない。あなたの軽んじるヒトなんてね、生まれて十数年でその疑問を抱いて、その短い寿命の中でどうにか解決しているんだよ。あーあ、古代種はどいつもこいつも進歩が無いから嫌いだね」
語り部は大げさに言ってやる。
竜はため息の代わりに低く喉を鳴らした。
「【しかし、我やお前、全ての古代種も、あるいはヒトも、所詮はただの自然現象であろう。ただ、己の本能に従っているだけではないのか?】」
「ヒトはその命題を千年前には越えているよ。つまり、本能を超えることが意志ある存在の意義なのだとね」
「【それは、ただの幻想であろう】」
「それは私やあなたが決めることではないし、そんなことを話しに来たわけではないの」
語り部が話を終わらせる。
同じ古代種で、【■■■■】が近いこともあって期待していたが、やはり話が合わない。
ダブラークォンが幻想語で問いかける。
「【では、何の用で訪ねてきた】」
「今更その質問かい? 私が何かをする理由なんてひとつだろう?」
考えるまでもない。
ダブラークォンが呟く。
「【物語の蒐集か】」
「そうさ。君の喰らおうとしている女の子、リアちゃんって言うんだけどね、私は今あの子の物語を追っている。あなたはその物語に大きく関与する存在になりそうだからね、一応見に来ただけさ」
「【相変わらず傍観者気取りか、趣味が悪い】」
「そういう存在なんだから仕方ない」
語り部は立ち上がって、竜と同じように麓を見下ろした。
痩せている土地と、強い風のせいで荒れ果てた大地が続いている。
雨季の時期に生えた植物の枯れた姿が、もう少し近づけば見えるはずだ。
「王国と、帝国の支援を受けた亜・獣人同盟はもう一〇〇年も戦っている。人の死体が養分になって、植物もいくらか豊かになった。なんて自然に優しい戦争だろう」
「【自然に優しいとは、どういう意味だ】」
「動植物の多様性を保つことをそう言うんだ。面白い言い方をするよ、人間は。自分達は特殊な存在であると自負しているわけだ」
語り部が笑う。
幼子が幼稚な失敗をするのを見る大人のような、そんな笑みだった。
「その自負こそが、人間の愛らしいところだと思うけどね」
見下ろす荒野は、東側が王国、西側が同盟と勢力を二分する。
戦略家に言わせれば、潮目のようにその境界が存在しているのだろう。
そして、その境界は着実に同盟側へ侵攻している。
「私は今とても楽しみなんだ。この戦争は変わる。エグザリという希代の指揮官に、ようやく契約の魔女の情報が伝わった。一世紀膠着していた盤面は否が応でも動き出す」
「【我は夢が喰らえればそれでいいがな】」
「知ってるよ。そのためにジャックくんが護衛につくように仕込んだのさ。あなたを倒すのは難しくても、リアちゃんを守りきることくらい期待してね」
「【あの小僧か。全てお前の作意ということか】」
「ちょっとした手助けだよ、リアちゃんのね」
語り部の視線が荒野の向こうを見つめた。
夢の気配が分かるダブラークォンには、例の娘の存在が感じられる方向だった。
「あの子は、ネアによく似ている」
「【ネアとは、名前か?】」
「そう。契約の魔女の名前。私の気まぐれで、人間を超えさせてしまった女の子さ」
語り部はそれきり黙りこむ。
上空の強い風がうるさかった。
語り部が、ぽつりと呟いた。
「リアちゃんの夢は、美味しそうかい?」
「【極上の香りだ。喰らわずとも美味と分かる】」
「そうかい? 誘導したかいがあったよ」
ダブラークォンが語り部の方を見ると、姿が消えている。気配もなかった。
「【あれに踊らされるヒトが、たまに憐れになるな】」
神出鬼没な語り部について、夢喰らう竜がそんな感想をもらした。
脚本に口を出す観客ほど厄介な存在もいないだろう。
* *
「それ、亡命屋じゃないかな」
と、ジャックが言った。
宿屋の部屋にはジャックとリア、ネリア、そしてキヨナの四人がいた。
生きていたことを喜んだり、今までどうしていたのかなどの話し合いが行われていた。
そして、ネリアとリアが広場の教会に匿われたことを話した直後だった。
「あり得ますね。ラクアレキで非人に同情的な人間は珍しすぎます。迫害してもよいもの、と教育を受けていますから」
キヨナにはすでにネリアが亜人であることを伝えていた。
リアの依頼への協力を約束している以上、ネリアを売るようなことはできない、という判断だった。
非人という言葉を使われて、ネリアが含むものがある表情。
「そうよね、この都市の人は亜人や獣人への差別が大好きみたいだし」
「一〇〇年分の恨みがありますからね。親族の誰かしらが非人に殺されているわけですから、差別もしたくなるでしょう。私からすれば下らない話ですが」
「理不尽に虐げていたのは王国が先よ」
「かもしれませんが、殺された人間には関係がありませんし、私は興味もありません」
キヨナが冷たく笑う。
剣囚と呼ばれる人間の無機質な笑みだった。
「主義と主張が違うのは分かるから、前向きな話をしよう」
ジャックが話を終わらせる。
元々出自が違いすぎる四人だ。
意見が対立するのは当然だろう。
「まず目的はひとつ、リアを非人同盟領のモニテリに連れていくことだ」
ジャックが話の整理を始める。
「無茶な目的ですね」
キヨナが呆れる。
モニテリは非人同盟領側の、ラクアレキのような役目の、つまり前線都市。
ラクアレキで非人が警戒され、奴隷以外がすぐに処刑されるように、モニテリでは人間が同じような扱いだ。
実際に、潜入した軍の諜報員は高い死亡率で殺されていることをキヨナは聞いている。
ジャックがキヨナに視線を向けた。
「どう無茶か、この街の冒険者として教えてくれないか」
「モニテリ自体の危険性はこの際置いておきます。何より、戦線を越えることが難しいですね」
キヨナの言葉に、三人が真剣に耳を傾ける。
特にリアが珍しいくらいに真面目な顔をしていた。
「当たり前ですが、同盟も王国も互いの諜報員の潜入を警戒しています。
王国の各軍拠点では休むことなく索敵魔術が使われていますし、計算上その警戒網に隙間はありません。これは同盟も同じことでしょう。
北のゴイド山脈は通行が困難です。開拓が進められなかったことで魔界化が激しく、大陸屈指の魔境となっています。南のラビアル砂漠地帯も論外です。砂漠の進行が困難な上に、ラビアルの警備隊が定期的に巡回しています。
よって、越境は不可能。というのがラクアレキの冒険者としての意見でしょうか」
平然と苦しい事実が並べられていく。
事前に聞いていた通りの状況に、ジャックが深く息を吐いた。
「ネリアさんはどう思います?」
キヨナがネリアに話を振った。
室内でも黒い帽子を被ったままのネリアが、残念そうに首を振る。
「キヨナさん以上のことは知らないわ。私はセルクドの冒険者だったし」
「セルクド……ってどこでしたっけ。都市の名前ですか?」
「ラクアレキと王都の中間ぐらいの所にある、中級都市よ」
キヨナの疑問にネリアが答える。
あまり有名な都市ではなかった。
「主な交易路上ではないから、知らなくても当然かな」
「私は最短経路を辿りましたから、寄ってないですしね」
キヨナは徒歩で移動していたため、できるだけ短い経路を辿っていた。
ジャックが話を変えた。
「そもそもネリアは何故王国に? 実は同盟の諜報員だったりするのかな」
ネリアが目を閉じて笑った。
それからジッとジャックを睨んで首を振る。
「私の親が帝国から国外追放処分を受けて、仕方なく亡命しただけ。
両親が生きていた頃は同族のコミュニティもあって、同盟の話は聞いていたけど、詳しくはないわ。
ラクアレキに亡命屋がいるとは聞いたことがあるけど、それくらい」
「ああ、やっぱりいるんだ亡命屋」
「確かにあの教会は怪しいわ。私を一目で亜人と見抜いた。相当多くの亜人を見てきたと思う」
ネリアがジャックの意見を思い出して同意した。
キヨナが意見を添える。
「仮にその教会が亡命屋だったとして、どうします? ネリアさん以外もそっくりそのまま、亡命を依頼しますか?」
「厳しいだろうね。人間に対しては警戒しているだろうし」
ジャックの返答にキヨナが頷く。
特にキヨナはこの街で有名なため、亡命屋に仕事を請けさせるのは難しいだろう。
不意に、リアの手が挙がった。
不安そうな表情で集まる視線を受け止める。
「どうぞ、リアちゃん」
ネリアが促すと、リアがこくりと頷いた。
左手の人差指でネリアを指さし、それから右手の人差指で自らを、中指でジャック、薬指でキヨナを示した。
それから左手の人差指を右から左に動かし、少し離した右手の三本の指がそれを追いかけた。
「私が亡命屋を頼って亡命して、それを追いかけるってこと?」
ネリアの確認に、リアが不安そうに頷いた。
とんちんかんなことを言ってしまってるのではないか、と心配しているのだろう。
「悪い考えじゃないと思うけど」
ネリアが感想を述べる。
ジャックとキヨナの方を見ると、両者とも考え込んでいた。
先に口を開いたのはジャックだった。
「悪い考えではないね。それでいこうか」
「特に反論はありません」
キヨナの同意をもって、方針が決した。
* *
それから数日、キヨナ以外の三人は傷を癒すことに努めた。
ジャックは当初は意識を失うほどであったし、ネリアの魔力経絡やリアの左足も未だ完治していない。
外に出ることを控えているネリアは、日がな一日リアと遊んでいた。
特にカードを使った遊びがリアのお気に入りのようで、二人ではしゃいでいる姿がよくあった。
「あの二人は仲が良いですね」
キヨナが言った。
夜の更けた時間、ジャックの部屋の壁に背を預けた姿勢が月明かりに照らされる。
「こんな時間に何の用?」
窓から部屋に入ろうと、窓枠に足をかけた体勢のジャックが呆れる。
直前までキヨナの存在に気付かなかった。気配の遮断が巧みすぎる。
音もなく床に足を着けたジャックを、キヨナが睨む。
「夜な夜な外に抜け出す音がしていたので、少し気になりまして」
「音なんて立てた覚えがないんだけどね」
謀殺部隊の訓練を受けていたジャックが呆れる。
一流に分類される前衛戦士の感覚は、ジャックの想定の数段上に位置している。
キヨナは寝間着姿だが、左手には剣が握られていた。
「それで、こんな夜更けにどこへ?」
「人を探していた」
「例の、黄色いケープの少女とやらですか?」
何で分かるんだ、とジャックが苦笑する。
指摘の通り、例の少女を探してきたところだった。
ジャックは話を変える。
「リアもネリアも、どうも気が合うみたいだね」
「私が見るに、ネリアさんは何かしらの影をリアさんに投影していますね。それが家族か、それとも自分自身かは測れませんが」
ジャックの気持ちを落ち着けるための話題転換に、キヨナも付き合った。
その推察に、ある程度の真実を知るジャックが再び呆れる。
どんな理屈が展開されているのかは知らないが、よくもまあ尽く正解を見切るものだ。
キヨナが余裕たっぷりに微笑む。
「その少女には会えなかったでしょう?」
「まあね」
「会う気があるなら、ネリアさんと一緒に来ているはずですからね」
そうかもね、とジャックが返す。
ふたりともに立ったまま。キヨナの心境は分からないが、ジャックは座る気になれなかった。
強敵を前にして座る戦士はいない。
契約で縛り、縛られている関係ではあるが、キヨナは味方ではない。
それも、ジャックよりもはるかに強力。キヨナの前にいる時は、常に嫌な緊張をしていた。
「その少女とやらは、賢しき鼠ですか」
確信を持った口調に、ジャックは口元を歪める。
「気付くよね、そりゃ」
「ネリアさんの話では、トビ鼠という従者が付いているそうですからね」
トビ鼠とは、賢しき鼠という情報屋ギルドに所属する暗殺者の通称だ。
賢しき鼠を騙る者の暗殺を主な職務とする。
秘密主義の賢しき鼠において、騙ろうとする者を威圧するために外部にある程度喧伝される存在だ。
護衛のために連れていたのかは知らないが、ずいぶん迂闊にその名前を口にしてくれたものだ、とジャックは少女への文句を浮かべる。
特に反応の無いところを見ると、ネリアは賢しき鼠自体を知らないようだったが。
「そうすると、ジャックさんは賢しき鼠との繋がりを持っていたことになりますね。一等冒険者でも難しいのに、大したものです」
「妙に気に入られただけだよ」
「……なるほど。まあ、いくつかの納得ができますね」
妖しく微笑むキヨナ。
ジャックは無表情を演じる。
気付く材料は存在する。いつかの会話は迂闊だったが、あの程度の情報はいつでも知られうる。
要は、キヨナの思考がそこに辿りついているか。
「あなたとリアさんの旅に、不思議なことがひとつありますよね」
キヨナが議題を挙げる。
「不思議なこと?」
「ネリアさんは、あなたの女性の魔術士の募集に引っかかった、そうですよね」
「そうだね。そういう条件でギルドに仲介してもらった」
「あなたは魔術を使えませんし、リアさんの面倒を見るにも女性の手は必要ですからね。それまでの道程で不便さを感じていたなら、理解できます」
外堀を埋めていくようなキヨナの確認だった。
では、とキヨナが指を一本立てる。
「何故、セルクドの街でその募集をしたのか、そんな疑問が生じます」
「何故も何も、必要だと思ったのがその街への道の途中だったからで」
「言い方を変えましょう」
キヨナが手を広げてジャックの言葉を止める。
「何故、セルクドという街を経由するルートを辿ったのか。そう聞いています」
ジャックの思考が回転するが、返答は作れない。
しかし本当の理由は、最後まで隠さなければならない。
逃げ道を封鎖するようにキヨナが続ける。
「王都からこのラクアレキの最短経路は、私が通過してきたもので、そこにセルクドの名前はありません。これは多少のルートの変更を行っても同様でしょう。それほどセルクドの位置は外れています。
では、リアさんもいるということで安全な経路を選んだ? これもありませんね。辺境の貿易の中継地点という中級都市の周辺ほど、危険なルートもありません。大都市と大都市を繋ぐ道こそが、結局は一番安全ですからね。
セルクドという、地方の中級都市に寄る必然性はありません、そして」
キヨナが息を吐く。
ジャックは目を閉じて、最後の言葉を待った。
「偶然訪れた都市で募集した冒険者が、偶然非人だった。この偶然の二乗が、ずいぶん都合よく起きましたね。
あなたは最初から、ネリアさんを目的としてセルクドに行ったのではないですか?」
「疑問形にしなくていいよ」
その通りだった。
キヨナも最初から確信していたのだろう。優雅に頷いて、さらに続ける。
「と、すれば、ネリアさんの情報をどこからか得ていなければなりません。彼女が亜人だというような秘匿性の高い情報を得られるのは、やはり賢しき鼠。多分、例の少女ですよね」
「そうだね」
「ここからは想像ですが、もし私がその立場ならただの亜人は探しません」
そこまで踏み込むか、とジャックが思わず笑う。
キヨナが静かに論を結んだ。
「ネリアさんは、非人同盟出身の……おそらく、諜報員か何かですね」
「その通りだよ」
ジャックの降参だった。完全に見抜かれている。
疲れた声で補足する。
「非人同盟の諜報員のうち、一年以上前に任務を放棄した者を教えてもらった。王国での活動は危険性が高いからね、逃亡した人が必ずいると思った。非人側の諜報員は、質より量だとも聞いていたしね」
「同盟の兵士はほとんど徴兵ですからね。志願軍人が大半の王国よりも練度が落ちるのは当然です」
それは国力の差でもあった。
国民の千人に一人が軍人を志願すれば軍事力として充分な王国と、十人に一人が軍人とならなければ西方戦線を支えられない同盟では、軍人の質に差が生じる。
キヨナがさらに推測する。
「ネリアさんの居場所を奪ったのは、同盟に逃げてもらうためですか」
「そう。諜報員なら、一番安全で現実的なルートを知っているはずだから」
「それでネリアさんが反対しなかったリアさんの案に賛成したわけですね」
納得した様子でキヨナが頷く。
同じく反対しなかったキヨナは、あの時点でだいだいの推測をしていたのだろう。
「王国の諜報員の潜入経路を知っていそうな私に尋ねないのは不自然ですし、亡命屋の具体的な話を聞く前に決断するのはより不自然です。ネリアさんの判断に一任していたんですね」
「亜人が広場を通るなんて迂闊過ぎるからね。その教会に寄りたかったと考えるべきだ」
つまり、その教会が一番安全な亡命屋であり、選択肢として挙げるためだ。
キヨナが息を吐いて、背中を壁から離した。
「なるほど、お陰で納得できました」
足音もなくキヨナはドアに向かう。
ドアノブに手をかけて振り返った。
豹のような印象の瞳が、月の光を反射する。
「いつでも人を操る側でいられると思わない方がいいですよ。それは人の領分を超えたことです」
キヨナが出ていった部屋を、夜風が抜けた。




