プロローグ
太陽は沈み、もう星星が輝き始めた美しい夜だった。
そんな夜空を満遍なく堪能できる一本の田んぼ道を、俺は大きなバックを背負ったまま進み続けた。吹き付ける北風が冷たくて、ウィンドブレーカーのフードを深く被った。
今は部活で陸上競技場に来ており、その帰りだ。はっきり言って、俺には才能がない。部内では、誰よりも遅く、いつも、周りの部員からは嘲笑され、雑魚扱いされる日々が続いている。
別にそれだけならよかった。なんなら、いつかコイツらを見返してやろうと思い、そんな反骨心だけで今まで頑張ってきた。何度も心が折れそうになった。一向に自己ベストが出なかった。それでも、どんどん蝕まれていく心を握りしめながら、なんとか今まで生きてきた。
でも、今日。ついにトドメを刺された。大好きだった、誰よりも信用していた、顧問の先生からこんな一言が飛んできた。
『お前が試合で出る度に、学校と俺に泥を塗っているのわかってんのか』
思ってもいなかった。こんなことを言われるなんて。言われたときは我慢して、頭を下げて終わったが、こう一人になると、抑え込んでいた感情が、全部溢れ出してきた。
「なんで……なんでだよ……!」
俯き、地面を見つめながら歩いていたが、自分の足元に、大粒の涙が溢れ、それが土を濡らす。
この世は、理不尽で溢れかえっている。部活だけじゃない。勉強だってそう。仕事だってそうなのだろう。どれだけ頑張ったかは、大して重要ではなく、『結果』が全て。誰の目にも見えないところでした努力は、『結果』が伴わなければ、当然ながら誰にも気づかれず、無意味と化す。
こんな生活に、俺はもう疲れ果ててしまった。他人からしたら、こんなので『学校辞めたい』『死にたい』とか言ってる俺は、ただの甘いやつ、根性のないやつ、としてしか映らないんだろう。
まあ実際その通りかもしれないが、そんな奴らには理解できない苦しみ、葛藤があるのも事実なんだ。
それを理解してもらえなかったから、俺は今こうやって泣いているんだろう。たった一つでも共感があれば、この感情を救えたかも知れない。
星空に向かって、俺の絶望を吐露している内に、駅に着いた。ホームには誰もおらず、虫の鳴き声だけが耳に入り込んでくる。
そこから見る夜空はあまりにも美しかった。でも、その美しさをかき消すほど、俺の苦しみは大きかった。
また、涙が溢れてくる。もうすぐで、汽車が来る。もし飛び込めば、この地獄からも脱却できるのか……
そう思い立って、黄色い線の内側へ足を踏み入れ、すぐにでも飛び降りることができる体制を構えた。
数秒後、大きなライトを放ちながら、汽車が見えた。
「はーっはーっ」
なんとか身を落ち着かせるために、深く息を吐き出し、心の中で、飛び降りるまでのカウントダウンを初めた。
(五……四……三……二…………一……っ!)
────結局、飛び降りることはできなかった。やっぱり俺は臆病者で、クズで、情けなかった。こんな自分に嫌気が差す。
部活での身体的、精神的な疲れが、汽車の座席に座り込んだ瞬間、ドッと溢れ出てきた。
そのまま、窓の方へもたれ掛かり、電車に揺られていると、いつの間にか、目が目が重くなってきた。
(少しくらいなら寝れるか……)
そう思い、目を閉じて、眠った。
『次は、阿南、阿南です』
降車駅到着のアナウンスが車内に響き渡り、俺は目を覚ました。十分程度の、とても短い睡眠だったため、あまり眠気は取れていない。
鉛を付けられたような体を引きずり上げ、俺はトボトボと駐輪場へ向かった。
駐輪場に到着したとき、いつもとは違う何かが目に入り込んだ。駅の片隅で、紫がかった白髪の怪しげな女性が壁にもたれ掛かっている。漂う怪しげな雰囲気に、俺は跳ね除けられるように、あからさまにその人を避けた。
(何してんだよ……)
よく見ると、女性は何かパンのようなものを頬張っている。パンとは少し違う見た目で、興味を抱いてしまいその方を見ていると、うっかり目を合わせてしまった。
やってしまったと思い、すぐさま目を逸らした。
だが、最悪なことに、相手もそれで俺に興味を示してしまったらしい。静かにそれを頬張りながら、俺の方へ近づいてきた。
「君、少しいいかい?」
とうとう、俺に話しかけてきた。
「突然で申し訳ないのだが、夢占をしていかないか?」
突然俺に投げ出された、夢占の勧誘。すぐに答えることが出来ず、半歩後ずさりながら俺は考えた。
手相占いとか夢占とかは、市内の駅前などではよく見かける。だが、こんな田舎の駅でそれと遭遇すうのは初めてだった。
普段は目もくれない。だが、今日は少し、そんなものにもすがりたくなるほど、心が砕けかけていた。
熟考の末、夢占いを受けることを決めた。
「夢占いって、人にしてもらうことなんですか?」
そう俺が聞くと、女性はブンブンと首を横に振る。
「一般的には違うね。でも、私の占いはそういうものとは少し違うんだ。と、とにかく、私の話を聞き給え」
その焦り用が、占い師らしくなかったが、俺は黙って彼女の話を聞き続けた。
「君、何か悩みがないか?誰にも理解されぬ、孤独な悩みが」
「……な、なんでわかった?」
まさか本当に的中させられると思ってはおらず、少し感心してしまった。
だが、これまた怪しいことに、俺に悩みがあるとわかった瞬間、目を大きく見開いた。
「あ、当たり前だ。夢占い師なんだから」
「いや、あんまり夢要素無かったと思うんだけど……」
そう俺が苦笑していると、女性はゴホンッと咳払いした。
「私が占ったのは、お主がこれから見る夢だ。今から私の言うことを、今晩眠る前に、必ず実践してほしい」
少し女性の表情が変わる。僅かな焦りを孕んだ目が俺に突き刺さる。
「一つ、寄り添う仲間を見つけるべし」
「二つ、闇に堕ちた仲間を救い出すべし」
「三つ、仲間の罪を許すべし」
「四つ、仲間のことを、信じ通すべし」
仲間仲間と言われても、誰のことかさっぱり分からない。俺の周りに寄り添える仲間は誰一人としていないわけだし。
「それと、これだけは覚えて、実践してほしい。『ガレット』と呼ばれる料理を自炊してほしい。絶対だ。」
聞いたこともない料理であるが、俺は無言で頷き、『ガレット』という単語を頭の中に刻んでおいた。
「あんたが頬張ってるそれもガレット?」
「あぁ、だが、これはあげられない。絶対に、自炊するように」
その目に、俺は頷く。
「最後に一つだけ。今日は、二十二時半に眠ること。いいな、これを守れば、君は……」
「……?」
「いや、何でもない。君のこれからは、君自身が選ぶことだ」
意味深な発言が、妙に引っかかり気味が悪い。
それに、いくらなんでも注文が多い。こんなの占いでもなんでもない。ただの一方的な押し付けだ。
でも、それでもなお、こんなものに縋ろうとする醜い俺が、確かにここにいた。
俺は一礼をしてその場を後にしようとした、そのとき、
「それじゃあ、また、悪夢で会おう」
彼女は確かに、そう囁いていた。
不思議な体験をして、心に少し不安感と高揚感を抱えたまま、近所のスーパーで、その『ガレット』とやらの材料を買ってから帰宅した。
もう九時過ぎだが、まだ両親は帰宅しておらず、俺はさっさと、その『ガレット』を作ってみることにした。
正直料理は苦手なのだが、スマホ片手に料理手順を調べ、せっせと料理を進めた。どうやらこの料理は、古くからフランスに伝わる伝統料理らしい。なんでそんな料理が選ばれたのか不思議だったが、どんどんそん香ばしい匂いが部屋中に広がっていき、そんなことはどうでもよくなった。
そして、ついに料理が完成する。少し、失敗してしまったが、まあ形は保っているので大丈夫だろう。二階にある自分の部屋まで運び、勉強机の上にお皿を並べ、俺も席に着く。
ガブリ、と人かじりすると、まず少し焦げたせいで苦みが広がり、その後に、もっちりとした旨みが口いっぱいに広がった。
食べたことはないはずだが、何故か懐かしい、温かさを感じる味だった。ものの数分で平らげたが、それだけでお腹いっぱいに満たされた。
お風呂に入るのを後回しに、服も着替えぬまま、ガレットを食べた幸福感とともに、ベッドに飛び込んだ。すぐにまぶたは重くなり、ベッドの奥深くまで沈んでいく。今は、このクソみたいな世界がどうでもよく感じられた……
───────
「────あれ……」
ゆっくり目を開けると、そこにはどこまでも白い風景が広がっていた。空は暗く、白い物体が降り注いでいる。その白い物体に触れてみると、とても冷たくて、すぐにそれが雪だとわかった。
でも、なんなんだここは……さっきまで、俺は何をしてた……何も思い出すことができない。果てしなく広がる雪景色の上を歩き、足跡を刻む。
寒い。俺はもう一度、捲れてしまっていたフードを深く被った。
どれだけ歩いても、誰もいない。何だか不安になって来て、それを紛らわすように走り始めた。
しばらく走っていると、遠くに、何かがいるのが見えた。もしかしたら人かもと思い、さらに足の回転を速め、そちらへ向かう。
少しずつ、雪のせいで見えなかった姿が見え始める。残り五十メートル程まで近づいたとき、それが人ではないことに気づいた。人よりずっと大きくて、毛皮に覆われている。動物だろうと思い、近づいてみたそのとき、その動物がギロリとこちらを睨みつけた。
そのあまりの眼力に、半歩後ずさる。足を震わせながら、突き刺さる眼光に踵を返し、走る。
でも、すぐに後ろから、それが追って来ているのがわかる。ハッと後ろを振り向いたとき、
「あっ……」
その動物の牙が、俺の後頭部を噛み砕こうとしていた。
────また、目が覚めた。地面は白くて冷たく、ところどころ鮮やかな赤で彩られている。そして前を振り向くと、そこには、さっきまで俺を襲っていた動物が、四肢をもがれた姿で無惨に殺されていた。
その非現実的な異様な風景に肩が震え、その場から逃げさった。
そこからずっと、この風景の中を駆け回った。森や山に迷い込むことはあったが、人と出会うことはできなかった。空は一生暗いままで、朝が一向に来ない。
やたらと凶暴で、異質な見た目の動物が多く、遭遇する度に襲われた。何度も殺されかけたが、いつも目が覚めると、目の前でその動物の死体が広がっていた。
次襲われたら、対抗できるように、森の中で見つけた錆びかけた一本の剣だけ握り、この白風景を走り回った。
動物に襲われるのは怖かった。でも、この孤独な世界も、何と比較しているのかは自分では分からないが、俺にとっては、何だかマシに感じられた。
────ここに迷い込んでから、もう何日経っただろう。着ていたウィンドブレーカーはもうボロボロになり、かろうじてフードがギリギリのところで繋がっている。俺自身もかなり傷だらけのはずだが、ありえないぐらい体が軽い。
今日も変わらず、軽快に森の中を進み続けていると、何だか森がざわついている。少し気になり、そのざわつきを感じる方へ足を進めると、そこには、一人の少女が、かなり不気味な動物に襲われているのが見えた。
初めて人と会えた喜びを噛みしめる前に、彼女を助けるために、剣を強く握りはその方へ走った。恐怖はある。だが、それよりも、助けてここがどこなのかを聞き出したかった。
動物の爪が彼女に突き刺さりかけたそのとき、間一髪で、剣で防ぐことができた。
錆びた剣先が崩れ落ちる。剣にできる限りの力を込め、その爪を弾き返す。キンッという音とともに、魔獣を後方へ押し返した。
少女は、状況を理解できずに震えている。ここにいられたら守りきれない……!
「早く逃げて!」
それでも、彼女は動かなかった。彼女と動物との距離を取らせるために、仕方なく彼女の足を蹴り飛ばした。
「早く逃げろっつってんだろ!」
そうしている内に、動物が起き上がる。先程までと違い、その瞳の奥には明らかな殺意が籠もっている。
その迫力に、唾を飲み込み後ずさる。でも、ここで引いてしまったら、俺も彼女も殺されるかもしれない。そう思い、もう一度、剣を強く握り、剣先を動物の頭部めがけて突き刺そうとした。
だが、その一撃は命中しなかった。逆に、動物の鋭い爪が、俺の肩から深く入り込んでいくのだけがわかった。
まただ、また……死ん、だ……
────「あれ……」
生きている。まただ、いつも殺されかけても結局は生きている。でも、今回は少し違う。いつもは目の前に動物の死体が転がっているが、何故か俺は家の中にいて、その隣には、ブランケットを羽織る、下着姿の少女がいる。その状況があまりにも意味不明で、顔が赤くなる。気を紛らわすために、とりあえず声を開いた。
「君が助けてくれたのか……?」
そう俺が聞くと、彼女は答えた。俺が倒れたあと、何があったのかを。そして、彼女がなぜこんな場所にいるのかを。
何だか、夢でも見ている気分だ。
でも、もし、こんな夢にでもすがれるのなら、今はただ、すがっていたい。
ご覧いただき誠にありがとうございます!
それでは、良い夢を!




