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女王の話

 よく知っているはずの顔が、知らない男の人に見える。

「裏切るのか。俺を捨てて、他の男を選ぶのか」

 いつもは澄んでいる青が、どこか濁って淀んで見える。その目はこちらを睨みつけるようで、どこか泣きそうにも見えた。

 わたくしは、彼に何をしてしまったのだろう。




 最初の記憶は、目の前にたくさんの大人の男たちが跪いている光景。わたしだけが上座でひとり、椅子に座っていた。その時のわたしには大きすぎる椅子で、足がぶらぶらと揺れていたのを覚えている。何を言ったのか言われたのかは覚えていないけれど、わたしが目の前の男たちとは違う存在なのだとはその時に理解したのだ。

 世界の片隅にある、深い森の奥深く。魔族も人間も来ないような場所に屋敷はあった。どこもかしこも白く美しい石でできた屋敷は、淫魔族の女王の住み処だ。

 淫魔族は世界中に散らばって暮らし、他者の精と欲を糧とする代わりに愛を振りまく種族だが、女王は違う。女王として生まれたサキュバスは、一生をその屋敷で過ごし、唯一と選んだ伴侶ただ一人に愛を注ぐ。

 そういう生き物としてこの世に生を受けたのが、わたし。周りはわたしをアウリと呼ぶ。

「アウリ様、今日の昼食の林檎になります」

 わたしに家族というものは無く、代わりに同族の男――インキュバスたちに傅かれて育った。

「この後は文字の読み書きの練習をしましょう」

「ええ」

 彼らは女王たるわたしを成人まで育てるためにこの屋敷にいる。と同時に、わたしは彼らの中から生涯の伴侶を選ばなければいけないことを、誰に言われるでもなく理解していた。

 勉強部屋に向かう足を、ふと止める。

「テセル……?」

「ここにいる、なんだ」

「一緒に歩きたいの。だめ?」

「……分かった。ちゃんと前見て歩かないと転ぶぞ」

 夜空を紡いだ髪に、凍った湖の底のような深い青の瞳。テセルは、インキュバスたちの中でも一番わたしの傍にいてくれるひとだ。そして、わたしが選びたいひと。

(本当は、手を繋ぎたいけど……)

 わたしに仕えるインキュバスの中でも魔力と腕力が桁違いに強いテセルは、わたしの護衛を買って出てくれている。こんな、世界から忘れ去られたような場所で危険なことはそうそう起こらないだろうに、何かあった時のために両手を空けておきたいのだと言う。

 頑固なくらい真面目で、職務に忠実。態度には出さないけれど、いつも周りに気を配っている。そういうところもわたしは……。

 そっとテセルの服の裾を掴む。振り払われなかったことにホッとして、あらためて足を進めた。




 ドアの開く音で目が覚めた。

「アウリ様ー、あ……」

「アウリ様はまだ寝ている。何か用か」

 わたしに用事だろうか。起きたほうがいいのだろうと思って身体を起こしかけた。けれど、大きな手に頭を押さえるように撫でられて、そのまま身体の力を抜く。

 部屋に入ってきた声の持ち主は、屋敷の管理を主に担当してくれている男だ。後で話を聞きに行ったほうがいいだろう。

「寝ているなら後でいいや。テセルお前、ずっとその体勢なのか? 辛くねぇの」

「別に」

「ふーん。よくやるよなぁ、お前も」

「……」

「そう怖い顔すんなよ、邪魔なんてしねぇから。じゃあな」

 怖い顔?テセルがそんな表情をしているところなんて見たことがない。いつも無表情で、ポジティブな感情と同じくらいネガティブな感情も表に出さないから。

 足音が遠ざかっていくのを確認して顔を上げたけれど、テセルは既にいつもの無表情だった。

「寝てなくていいのか、アウリ」

「うん。もう大丈夫」

「そうか」

 本を読みながら寝てしまったみたい。テーブルに栞が挟まれた本が置いてあった。テセルが置いてくれたんだろう。

 右肩にテセルのぬくもりがまだ残っている。それが消えていくのが寂しくて。

「……テセルがいいなら、もう少しこうしていてもいい?」

「好きにしろ」

 そっと肩に頭をもたせかける。触れる体温が温かくて、頭を撫でてくれる手が優しい。ふわふわした心地よさに任せて、目を閉じた。




「アウリ様。アウリ様もだいぶ成長されたことですし、これからは入浴は一人で行っていただきます。」

「……そうなの?」

 世話役の言葉に首を傾げた。今までずっと数人に付き添われて入っていたのに。

「子供の頃ならいざ知らず、本来入浴は一人でするものなのですよ。それに、女王陛下の素肌は基本、伴侶しか見ることが許されないものなのです。伴侶を選びその相手に差し出す時まで、その身体は秘していてください」

「そう。分かった」

 くるんと振り返る。

「じゃあ、テセルも一緒に来てくれないの?」

「……当たり前だ」

「お風呂入ってる時に誰かに襲われたら?」

「そんなことさせないし、万が一何かあったら呼べ」

「……分かった」

 テセルならいいのに。でも、彼が受け取ってくれないならしかたがない。

 重たい足を引きずるようにバスルームへ向かう。ドアを開ける前に振り向くと、テセルはじっとこちらを見ていた。静かな青の視線は、わたしがバスルームへ入るまで逸らされなかった。




 テセルは魔力が一番強い分、コントロールも上手らしい。だから、魔力の扱い方についてはテセルが付きっきりで教えてくれる。屋敷の庭に二人きりになるこの時間がわたしは好きだった。

「前も言ったが、別にお前が繊細な魔力操作を覚える必要はないんだぞ。身の危険を感じたら全力で魔力をぶつけてやればいい。細かく丁寧な魔力操作は、この屋敷の中で暮らす分には必要の無い技術だ」

「でも、出来ることはなんでもやりたいの」

「……そうか」

 摘み取った一輪のたんぽぽに手を翳すと、ゆっくり浮き上がった。視界が狭まり、周囲の音が遠退く。

「魔力を自分の指の延長線上にあるように意識するんだ。熱さを感じるかもしれないが、それは魔力操作に慣れてないからそう感じるだけで害はない。身体的に傷付くことはないから恐れず受け入れろ」

 魔力というのは強いエネルギーで、簡単にひとや物を傷つけることができる。暴走しないように、わたしだけでなく彼もわたしの手の中に集中していた。

 だから、気づくのが遅れたのかもしれない。

「アウリ!」

 いきなり地面に押し倒されて、何が起こったのか分からなかった。目の前のテセルの顔が歪む。辺りに漂う気配は。

「……血?」

「ぐ……」

「テセル!」

 視界の端に倒れている獣が映ったけれど、そんなもの気にしていられない。テセルの下から這い出して背中を見れば、ザックリと切り裂かれていた。

 わたしを庇って怪我をしたのは明らかだった。

「どうしてそんな……」

「アウリは、怪我はないか」

「わたしは平気よ。貴方が庇ってくれたから……」

「なら、いい……」

「テセル……! 誰か!」

 屋敷に向かって人を呼びながら、傷跡に手を翳す。この辺に住む獣は毒を持っていないとテセルが教えてくれたから、少しでも止血をしたほうがいい。なんとか魔力で蓋を形作ろうとするも、指先は震えるばかりで力が入らない。

「テセル……テセル……」

 屋敷から駆け寄ってくる足音を聞きながら、テセルの手を握りしめる。深い青は瞼に隠されて、開かれることはなかった。




「幸い、傷は深くありません。襲ってきたのが若い狼だったせいか、爪はあまり鋭くなかったようです。テセルは生命力の強い奴ですし、命に別状は無いでしょう」

「でも、すごく辛そう……」

「まあ……傷の範囲が広いので。それに傷が背中側ですからね。うつ伏せになるしかなく、胸が圧迫されてしまう。座っていたほうが体勢的には楽でしょうが、起き上がるのも大変でしょうし……」

「そうよね……」

「全力で治そうと体力を全て持っていかれているので今は辛いでしょうけれど、その分ちゃんと治りますよ。傷痕くらいは残るでしょうが」

「……」

 医術の心得がある者が言うのだから、本当に大丈夫なのだろうと頭では理解するけれど。

 苦しむ顔をそっと窺う。唇は噛みしめられ、隙間から荒い呼気が聞こえていた。今はすっかり血止めの処置をされているのに、切り裂かれた背中と溢れた血が記憶から薄れない。

「ごめんなさい……わたしのせいで、貴方にこんな傷を負わせてしまった」

 細められた目はちらりとわたしを見上げて、しかしそのまま閉じてしまった。

「……今は、言葉を発するのも辛いはずです。そっとしておくのが良いでしょう」

「そうね……」

 最後に手を包むように撫でて、立ち上がった。今わたしが出来ることは無い。女王と言われながら、なんと無力なのだろう。




「テセル! もう平気なの?」

「ああ」

 テセルが誰かと話しているのが見えて、思わず駆け寄った。ピンと背中を伸ばして立つ姿は、もうすっかりいつも通りだ。

「二日前にはもう治っていたんだが、安静にしろと部屋から出してもらえなかった。今日やっと歩き回る許可を出されたところだ」

「そう……」

 一見、まるで何もなかったかのように見える。けれど。

「テセル、あの、」

「アウリ様」

 言葉を遮られた。

「謝罪はもう受け取った。これ以上貴女が謝ることはない。俺は俺のすべきことをしただけだ」

「……」

 怒られているわけではない、拒否されているわけでもない。でも、彼はいつも線を引く。顔を見ているのが怖くなって、視線が足元に落ちた。

 でも。

「……貴女が傷付かなくて、本当に良かった」

 振り仰いでも、表情は変わっていない。態度が変わったわけでもない。なのに、声には確かな安堵があって。

(ずるい)

 胸の奥がぎゅっと掴まれたような感覚。その痛みを沈めるように深呼吸をして、あらためてテセルを見つめた。

(そういえば)

 昔は屈んでもらわなければ顔が見えなかったのに、いつの間にか普通に見えるようになっている。それでもわたしはうんと首を逸らさないといけないけれど。

 世話役と話し始めたテセルの横顔が、ずいぶんと近く感じる。当たり前のことだけれど、わたしも成長しているのだ。

 成人の時が、伴侶を選ぶ時が近付いていた。




 星の瞬きだけが照らす庭に、そっと足を踏み出した。濃紺のワンピースが闇に馴染み、わたしまで溶けていきそう。

「アウリ、寒くないか」

「大丈夫」

 わたしの返答を聞いてなお、テセルは風を遮る位置に立つ。彼の肩越しに夜空を見上げた。

 次の満月が、わたしが成人する日だ。伴侶を選ぶ日。選ばなかった男たちが屋敷を去り、二人きりの生活が始まる日。

 ふと隣を見ると、テセルも空をじっと見上げていた。いつも通りの無表情の下で、彼は何を考えているのだろう。

 なんとなく声をかけるのは憚られて、足元を見下ろす。一歩分離れたところに彼のブーツが見える。数にして数十センチ、その距離がとても遠く感じた。

 前なら躊躇いなく踏み出して、寄り添って立てた。身体を預けて甘えられた。でも今は、どうしても踏み込めない。

「……戻る」

 ただ短く零して身を翻せば、テセルは音もなくついてくる。きっちり一歩分離れて。

 整理のつかない気持ちが胸の内で渦巻いてどうにもならない。彼に気付かれないように、小さくため息をついた。




「アウリ様。お誕生日、そして成人おめでとうございます」

 屋敷の一番奥、謁見の間と名付けられている部屋の玉座とも言うべき椅子は、正直座り心地がよろしくない。屋敷と同じく、光を纏うような美しい石のみでできているからだ。そう長い時間座り続けなければいけないものでもないからいいけれど。

 幼い頃は足がつかず不格好にしか座れなかった椅子も、今のわたくしには丁度いい。優雅に腰掛け、跪く男たちを見下ろす。今この部屋には、世話役や管理役を始めとした、この屋敷に住まいわたくしに仕える男たちが勢揃いしていた。

 勿論、テセルも。部屋の端のほうではあるけれど、わたくしに一番近い位置で跪いている。いつも通り結っている髪が、背中に流れているのが見えた。

「アウリ様が伴侶をお選びになり、儀式を行うのを見届けることが、我々の最後の仕事となります。さあ、どなたを指名しますか?」

 あの冴え冴えとした美しい青は、こちらを見てくれない。

「……ごめんなさい、少し考えさせてほしいの」

「おや。まあ、儀式と言っても選んだ相手に指輪を嵌めるだけですし、後日でも大丈夫でしょう。でも、出来るだけ早く決断をお願いしますよ」

「ええ……」

「ではこの場は一旦解散ということで」

 世話役がパンと手を一つ叩くと、男たちはぞろぞろと部屋を出ていった。一番近くにいた背中を引き留めようと声を上げる。

「テセ……」

 しかしテセルは、こちらに目もくれずに行ってしまった。伸ばした手は足音しか掴めなくて、そのままだらりと落ちる。

「……テセル……」

 わたくしは、どうしたらいいのだろう。

 とぼとぼと謁見の間を出て、満月の明るい光が差し込む廊下を歩く。一人でいるのが心細い、なんて。

「あ、アウリ様。ちょうどよかった」

「……なあに?」

 ひょこりと顔を出した管理役が椅子を指し示すので、とりあえず腰掛けて向き直る。

「屋敷に掛かっている状態維持や自動修復の魔法なんですけどね、そろそろ掛け直したほうがいい感じなんですよ」

「そうなの?」

「ええ。おそらくなんですが、新しい女王が成人した際に掛け直すようなサイクルを組まれてるんじゃないかと。掛け直すと言っても、魔法式は組まれてあるんでそこに魔力を注ぐだけですし簡単ですよ。俺達が居なくなったあとやってくださいね」

「分かったわ。教えてくれてありがとう」

「いえいえ。……」

 どこかおちゃらけた態度を崩さなかった管理役が、ふと真面目な顔になる。

「正直、意外でした。てっきりさっさとあいつを選ぶと思ってましたよ」

「……悩んでいるの」

 わたくしはずっと好意を隠してなかったから、わたくしが誰を想っているかは周りに筒抜けだった。だからこそ意外に思ったのだろう。

「へえ。そりゃまたなんで……」

 ガタン。急に廊下の先から聞こえてきた音に二人して振り返った。すぐに管理役が音の出処を探りに行く。

「……別になにか倒れたわけでもなさそうです。なんでしょうね」

「不審な魔力の気配もない……気の所為、と言うにははっきり聞こえたけれど」

「分かりませんね……一応気を付けてください。不審者なんかいようものなら、テセルがアウリ様の目や耳に入る前に追い出してると思いますけどね」

「そうね……」

「まあいいか。アウリ様、あんまり思い詰めないでくださいね。じゃあ俺はキッチンのほう見てくるんで」

 言うなりたったか走っていってしまった。なんとなく後ろ姿を見送って、再び自室に向かう。

 窓の外を見上げれば澄んだ夜空が見えた。その色は、あの人の髪色を思い起こさせる。

(わたくしは、選んでいいのかしら)

 わたくしの好意を彼は知ってくれていると思うけれど、それに対して何か言われたことはない。拒絶はされていないと思うけれど、それが受け入れられているからなのか、わたくしが女王だから拒めないだけなのか分からない。

 彼が、わたくしに選ばれたくないと思っていたとしたら?

 それを考えると、胸の奥が引き絞られるように痛む。息が止まってしまいそうだ。けれど。

(わたくしは、彼に傷を負わせてしまった)

 直接的な原因ではないとはいえ、わたくしを庇って怪我をしたのだ。彼一人ならかすり傷も負わずに対処できただろうに、わたくしのせいで……。

 彼を大切に思うなら、わたくしは、彼を選ばないほうがいいのかもしれない。




 心が沈んでいるせいか、ドアがやたら重く感じられる。ひとけのない自室には月明かりが差し込んで、美しくも寒々しい。

 とにかく、今は何も考えたくなかった。何度目か分からないため息をつきながら、ベッドに足を進める。

 しかし次の瞬間。

「誰」

 気の所為じゃない。確かな足音を耳が捉えて、素早く振り返った。警戒心を露わに、でもそこにいたのは。

「……テセル?」

 いつの間に部屋に入ってきたのか、テセルがドアの前に立っていた。ちょうど影になっていて、その表情は見えない。

「どうしたの? 貴方が勝手に部屋に入ってくるなんて」

 珍しい、と言い終える前に、ダンとブーツが苛立たしげに床へ振り下ろされた。月光のもとに歩み出たテセルの目は、今にもひび割れそうな繊細さを湛えている。

「アウリ」

 冷たく、触れたらかじかみ凍ってしまいそうな声。でも、底に震えがあるのが分かる。

「裏切るのか。俺を捨てて、他の男を選ぶのか」

「何の、こと……」

 ゆらり、まるで影のようにテセルがこちらへ踏み出した。気圧され、つい後ずさる。喉がからからに渇いて、声が出ない。

「しらばっくれるのか? あいつには悩んでるって言ってたじゃないか」

「それは……」

「あんなに俺にべたべた引っついてきたくせに、今更離れる気なのか」

 ダン、ダン、と足音を立てながら彼は近づいてくる。ついに背中が壁についてしまった。バン、と顔の横に手をついて、テセルはわたくしの顔を覗き込んだ。ああ、あの時の物音はテセルだったのか、なんてぼんやりと思った。震えそうな指先を、握りこんで隠す。

「俺の気も知らないで、散々俺に甘ったるく笑いかけておいて、手放す? 冗談じゃない」

 一言一言が重い。そして、その重さに引っ張られるように、少しずつテセルの視線が落ちていく。青が、見えなくなる。

「捨てるならどうして俺に近付いた。どうして俺にだけ甘えたんだ。お前が俺を砂糖の塊みたいな目で見るから、俺は期待してしまったのに」

 わたくしを囲い込むように壁に手をついているのに、やろうと思えば腕を掴めるだろうに、彼はわたくしのどこにも触れようとしなかった。

「素直に甘えてくるお前が、可愛くてたまらなくて……女王だからじゃない、ただお前が大事で、ずっと傍にいたくて……アウリに選んでほしくて生きてきた」

 深く沈む声の奥に抑えきれない感情が滲んでいる。

「気が狂いそうだ。お前が他の男を選んで、他の男に笑いかけるところなんて、見るどころか想像もしたくないのに、勝手に頭が考えてしまう」

 月光を浴びた髪が青みを帯びて流れ落ちる。

「選んでくれないならいっそ優しくしないでくれ。諦めさせてくれ……」

 とうとう、重さに負けたように身体ごとずるずると崩れ落ちていってしまった。わたくしの足元にうずくまって、それでも指一本触れていない。

「貴女を愛しているんだ……」

 血を吐くような告白だった。彼が決して誰にも見せてこなかった内側を、今さらけ出しているのだと伝わってくる。

 その言葉を、感情を、ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。

 わたくしをすっぽり包み込める身体が小さく縮んで見える。まるで怯えている野生動物のよう。刺激しないようにそっと触れると、肩がびくりと跳ねた。温めるように抱きしめる。

「わたくしを許してね」

 強張る背中を宥めるように撫でた。

「ここまで追い詰められた貴方を、可愛いと思ってしまうわたくしを」

 髪を一房耳にかけてあげて、じっと顔を見つめた。虚ろに彷徨っていた視線が、おずおずと戻ってくる。

「貴方が、役目だから仕方なくわたくしの傍にいるなら、解放してあげたほうがいいと思ったの。でも、違うのね。貴方がわたくしをそこまで求めてくれるなら……」

 ちゅ、と頬に口づける。

「全部、わたくしにちょうだい。貴方の恋も愛も、欲も執着も、全部。」

 淫魔族は、他者の精と欲を糧とする種族。故にわたくしたちにとって、求められることは褒め言葉と同じ。ましてやわたくしはその女王。選んでほしいという懇願は、わたくしにとっては最大の賛辞だ。

「貴方がわたくしに全てをくれるなら、貴方にわたくしをあげる。貴方の全てを受け入れる代わりに、貴方だけのアウリになってあげるわ。ね、テセル」

 見開かれた瞳に微笑みかける。テセルの言う『砂糖の塊みたいな目』で。

「わたくしだけのテセルになって?」

「……!」

 ごくん、と喉が動くのが見えた。かと思うと、力強く抱きしめられる。絡みつくかのような抱擁。

「アウリ……。全部、何でも、俺がお前にあげられるものなら何でもやる。だから、俺だけのアウリでいてくれ。俺の愛しい女王陛下……」

「ふふ、嬉しい」

 あらためて向き合い目を合わせると、彼の感情がよく見えた。今まで見せたことのなかった、甘さと欲が入り混じった目。思わず吸い寄せられるように唇を重ねると、熱くて、やっぱり甘い。溶け合っていきそうな幸福感が舌先から全身に広がっていった。




「アウリ、指輪は今持ってるか?」

「ええ、ここに」

 伴侶を選び行う儀式は、結婚式のようなものだ。女王が自らに仕えてくれていた男たちの中から一人を選び、伴侶とする宣言をする。その証として、代々受け継がれているという指輪に女王が魔力を篭め、伴侶の左手の薬指に嵌める。

「今嵌めてくれないか」

「え、でも、一応皆の前でやらないと……」

 区切りとして行うだけで魔術的な意味合いがあるわけてはないから、別にどこでいつやってもいいのだけれど。一応その儀式を皆の前でやることで、選んだ男以外のインキュバスたちを解放するという流れがあるのに。

「別にいいだろ。なんなら明日一旦外してまたあらためて嵌め直せばいい」

「……仕方ないわね」

 テセルの我が儘なんて初めて聞くかもしれない。静かな喜びが胸の内に広がった。

 懐から出した指輪は、飾り気がないただの金でできた輪っかだ。装飾が一つもないのは、いついかなる時も外すことのないように、邪魔にならず指に馴染むように、ということだと教わった。

 無骨な手の、黒い手袋をゆっくりと外して薬指に指輪を通す。

「……はい、どうぞ」

「ああ」

 しっくりと馴染んだ指輪は、ちらりと月光を反射し煌めいた。永遠を意味する金の輝きを、テセルは眩しそうに見つめている。その顔が本当に嬉しそうで、わたくしまで嬉しい。

「アウリ」

「なに、キャッ……」

 いきなり抱え上げられたかと思うとベッドに腰掛ける形で下ろされた。そして、テセルはわたくしの足元に跪く。

「お前に触れたい。頭や手だけじゃなくて、その服の下の肌に、お前の奥に触れたい。許してくれないか」

「……性急ね」

「だってもう抑えなくていいだろう?」

 視線は熱く、声は蜂蜜のように甘い。向けられる欲に、身体の芯が熱くなる。

「……優しくしてね」

「勿論」

 大きな窓から煌々と月明かりが差し込む。その光の中、テセルは恭しくわたくしの足に触れた。丁寧に靴を脱がせると、爪先にキスを落とす。

「そんなところ、汚い……」

「アウリに汚いところなんてない。どこもかしこも綺麗だ」

 迷いなく言い切られて心の奥が震えた。本当に、このひとは。

「ん……」

 ちゅ、ちゅ、と足の甲からくるぶし、足首へと唇が登っていく。ただそれだけの行為なのに、触れられたところが熱を持つ。

「テセル……」

「……怖いか?」

「ううん」

 夜空のような濃紺の髪、凍った湖の底の青い瞳、雪のように白い肌。ひどく冷たく見えるけれど、内側に優しさを秘めているのをわたくしは知っている。

「テセルだから、怖くないわ。貴方はわたくしを傷つけないと知っているもの」

「……アウリ」

 わたくしの最愛。

「愛している。……ずっと、この時を待っていた」

 掠れた声が静寂に溶ける。部屋にはただ、二人分の熱が揺蕩っていた。

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