元大臣パトリックハピの孤独な晩餐
ある秋の夕暮れ、パトリックハピはでっぷりと肥えた体を寝椅子のクッションに横たえくつろいでいた。
少年奴隷が寄ってきて、羊の頭を模した陶器のカップを恭しく捧げる。中には水で割ったワインが並々と注がれていた。
もしその少年の顔を守生が見れば、「もふもふテリア……」と呟いたことだろう。
パトリックハピはカップを受け取るとワインをぐびりと煽った。羊のカップの底は丸くなっており、本来は複数人で回し飲みするためのものだ。今、この食堂にはパトリックハピとそれを給仕する者たちしかいない。
パトリックハピがワインを楽しんでいる間に、別の奴隷たちがテキパキと温かな料理をローテーブルに並べていく。
少し前までは派閥の者たちが誰かしら来ていたが、【大いなる幸いを運ぶ者】が異世界の技術で作られた硬貨を贈ったことでそちらに靡き始めた。決定的になったのは、斬新な魔力操作法を教え始めたことだ。
講習前に「【大いなる幸いを運ぶ者】とアテナイュヌ国王カールホルスに悪意ある行動を行なわないこと」を誓約する必要があった。
政治的に敵対する国王を【大いなる幸いを運ぶ者】は支持し、パトリックハピには靡かない。
それが分かったことで、彼らはあっさりと鞍替えした。
(いかんいかん、せっかくの美味い食事が台無しになってしまう)
パトリックハピはぐいっとカップを少年奴隷に返す。だが極度の緊張状態にあった彼はそれをうまく受け取れなかった。お手玉をした挙句、カップに残っていたワインをパトリックハピの顔に掛けてしまった。
肌が濡れ、あごひげからワインが垂れた。
『零すなんて見苦しいことを』
パトリックハピの脳裏に今は亡き母親の侮蔑の目と、ひどい折檻の記憶が蘇る。
パトリックハピは、片腕で少年を払いのける。ワインのカップが落ち、ゴトンと音を立てて絨毯の上に落ちた。
すぐさま後ろで控えていた屈強な男が二人がかりで、少年を羽交い締めにした。
「お、お許しください、旦那様っ!」
「私の大事なあごひげを汚した罰じゃ。こいつの全身の毛を剃ってしまえ」
「お許しくださいっ! お許しください旦那様!」
「ああ、ナイフが滑ってこいつの大事な物をうっかり切り落とさぬように、な」
パトリックハピがグフフフと下品に笑い、少年を拘束する男たちもガハハと笑った。少年は何とか逃げようともがく。
切り落とさないようにと言いながらも笑っているのだ。危機を感じて当然だった。
少年の喚き声に顔をしかめ、パトリックハピが手で払うしぐさをすると、男は少年の顔を叩いて黙らせた。気絶したのかもしれない。
「目障りだ、さっさと連れていけ」
「かしこまりました」
パトリックハピは代わりの側仕えを用意させ、食事を続ける。新しく側仕えを務める少年の手が震えているのが、なんとも心地いい。恐れを感じる存在であるということが、パトリックハピの心を満足させる。
最初は、弟だった。
まだ体の小さな弟フィリップハピが自分より強い風魔法を放った時、パトリックハピは弟を殴った。顔を殴ると父親に見つかるので、腹を殴った。
その後も弟が優秀さを見せる度に、パトリックハピは弟を殴った。だんだん弟が委縮し、自分を恐れ始めた頃、パトリックハピは弟に優しくした。そうしていればいいのだと。
それから殴ることと優しくすることを繰り返し、弟を調教していった。
次は家格の低い家の子どもを、弟と二人で虐め、優しくし、手下にした。そうやって少しずつパトリックハピは手勢を増やし、成人してからは派閥を作った。暴力だけでなく、毒や美食の会を通して飴と鞭を使い分けた。
カールホルスの祖父に当たる当時の国王は残忍な性格だった。パトリックハピは弟と共にその懐に潜り込み、国王の命令に従って家臣を処罰した。自分が気にくわない者を国王の耳に入れて処刑したこともあった。
十数年経ち、その息子が老いた国王を殺すと知り、今度はその息子の命令に従った。当時の国王を弑するのを手伝ったのだ。
カールホルスの父親にあたるその新王は、横暴な性格だった。舵取りが大変だったが、同じようにパトリックハピは取り入り、大臣になった。戦争を主導し、アテナイュヌ王国は強く大きな国となった。
だが民は疲れ果て、戦争に負ける度に王国は狭くなり、国王の横暴さは増した。父親と同じように残虐さも出て来た。
そして、長子であるパウルプタハによって弑された。
パトリックハピたちはパウルプタハに取り入ろうとしたが、彼は清廉な人柄だった。パトリックハピたちのやり方を嫌い、派閥の者をことごとく罷免した。
パトリックハピは腹を立てたが、その若き王の平和志向に他の貴族たちも賛同した。
パトリックハピたちは、雌伏の時を耐えた。
パウルプタハ王が愛人に殺された時、関与を疑われたのは遺憾だった。まったく関係なかったからだ。おかげで兄王を敬愛していた新王カールホルスには嫌われた。
もっとも、兄王の政策路線を踏襲するカールホルスとは相容れないのだ。
パトリックハピたちは異世界からの召喚者【大いなる幸いを運ぶ者】の存在に賭けていた。
【大いなる幸いを運ぶ者】が召喚されたという一報が入ったのは、ちょうど美食の会の集まりの途中だった。パトリックハピたちはワインで乾杯し、はちみつと黒胡椒を利かせた魔獣のステーキをたらふく食べた。
しかし召喚されたはずの【大いなる幸いを運ぶ者】は、神殿には現れなかった。
アケクを使っての大規模捜索が行われる直前、パトリックハピは自分の息の掛かった上級騎士たちに賄賂をばら撒いた。うまく見つけて、王城ではなく自分の屋敷に連れて来るように指示したのだ。
だが見つけたのは、上級騎士ではなかった。スラム出身の騎士見習いだったのだ。【幸い】は王女エリスイシスと共に王城へ入り、大規模な光魔法を使った。
(あの時ほど、悔しいことはなかったな……)
パトリックハピは、新しい側仕えが切った肉の塊にかぶりつきながら過去を振り返る。
あの力と自分の派閥の力があれば、権勢を欲しいままにできる。そう思って宴に招待するも、あっさりと断られた。
他の派閥の貴族も断られていたのが、唯一の救いだ。
肉料理ばかりの食事と、その臭いに耐えられない守生は、トリスタントートとの二人だけの夕食が辛うじて許容範囲内だった。
だがパトリックハピにそんなことは分からない。対立する国王カールホルスの妨害だと考えた。
宴に呼べないなら貢ぎ物をと、様々な物を贈った。
二十代を過ぎたばかりの若い男のようだったので、奴隷の踊り子を気に入ってもらえたのは幸いだった。弟が贈った奴隷と同列に扱われているのは少し癪だったが。
光魔法でキラキラと輝く国王の新しい執務室に押しかけてようやく、【大いなる幸いを運ぶ者】と面会できた。
ひょろりとした男は異世界の硬貨を土産にとくれた。
だが【幸い】は国王に硬貨を真っ先に選ばせ、格差を見せつけたのだ。
(小僧のくせに……!)
屋敷に招待すれば、もううなぎは食べたと言われたことを思い出す。パトリックハピは苛立たし気にステーキのおかわりを命じる。こういう時は食べるに限るのだ。
(儂と競合しておいて、うなぎを食べたなどよくも抜け抜けと……!)
パトリックハピが商人に頼んで得られなかったうなぎを【幸い】は手に入れ、傲岸不遜にも面と向かって美味しかったと言ったのだ。
挙句、踊り子が怯えた様子を見せるとこちらの不手際を責めた。貧弱な奴隷を贈ってくるなという文句なのだろう。
それでも後日、文書にて屋敷へ招待したが、素っ気なく断られてしまった。【幸い】の署名すらない無礼さに、やはり国王の妨害かとパトリックハピは憤りを覚えた。
実際の所、帰還できないと知っての精神的苦痛により部屋に引きこもっていた頃のことで、ヘレナヘケトが内々に処理したので守生は何も知らない。知らされたとしても、あのタイミングでは守生は行かなかっただろうが。
(しかし、あの小僧が考案したという料理は気になる……。なぜ下級騎士食堂で出回っているのだ! せめて上級騎士食堂であれば潜り込めるのに!)
【幸い】が考案した料理が王城で広まっているが、食べられるのは国王直属の者か、下級騎士食堂だけだ。
文官や上級騎士の中には下級騎士食堂へ行っている者もいるようだが、大臣経験者が下級騎士食堂へ行くのは体裁が悪い。それもあって【幸い】の騎士や侍従の席に毒を盛った。
(大いに動揺したようで、あれはスカッとしたな。下民の分際で毎日珍しくて美味い物を食べていたんだ。あれくらいの罰は当然だろう)
実際の所、クリスクヌムたちは上級騎士食堂へもウ・ドンの消費を頼んだのだが、上級騎士食堂の料理人に断られたという経緯がある。すでに日々の献立が決まっているという理由だったが、彼らは彼らでなぜここでは食べられないのかと上級騎士たちから質問をされたり責められたりしていた。
しかし今更クリスクヌムやセベーロセベクに頭を下げるわけにはいかないと、耐え忍んでいるのだった。
もちろん守生が知る由もなく、研究第一の料理長セベーロセベクが関心を寄せる事でもなかった。唯一クリスクヌムだけは噂を耳にしていたが、静観している。国王にひどく叱られて、これ以上【大いなる幸い】様に迷惑をかけられないと自重しているのだった。一応ではあるが。
そんなことは知らないパトリックハピは一人、たくさんの召使いに囲まれて、一人ご馳走を食べるのだった。
奴隷少年は間一髪で盗賊サイラスオサイリスに助けられるはずなので心配しないでください。
次は守生の方に戻ります。




