70 フィリップハピの冷たいお茶会2
修正版の2です
「【大いなる幸い】様は、貴石や鉱石にご興味があるとか?」
この情報は、贈り物の反応を派閥の男から聞いている。たぶらかした侍女から、贈り物の反応を聞き出したらしい。のちにその貴族は侍女のやったささいな嫌がらせが露見して、侍女とともに処罰されている。小さいとは言え悪意ある行動を取ったと処罰されたわけだが、ハピ兄弟が彼らをかばうことはなかった。やるならもっと大きなことをうまくやれ、というのが兄の言だ。
「ええ、大好きですよ」
【大いなる幸いを運ぶ者】はにこりと笑って、ブレスレットのついた手首を掲げてみせた。
綺麗な球体の水晶と緑の孔雀石が並んでいる。服に合わせて孔雀石の数を調整したのだろう。総合的なバランスがいい。
貴石をもっとよく見たくて、フィリップハピは立ち上がった。テーブルに身を乗り出してその手を取る。男性にしては珍しく、爪もよく整えられている。
「ええと……」
相手の戸惑う声に、フィリップハピは我に返った。国王の愛人に触れたことが露見しては、後々不利になる。これから派閥に入ろうとしているのに何をしているのかと、フィリップハピは自分に怒りを覚えた。
なんとしてでも挽回し、好感度を上げねばならない。
「いや、大変失礼いたしました」
「いえ」
「お詫びに当家の貴石をご用意いたします。どうかお好きなものをお持ち帰りください」
「いえ、お気遣いだけで結構です」
少し硬い声に、慌てて話を変える。こういう時は、相手を褒めるに限る。
「【大いなる幸い】様は魔力操作のご指導をなさって、騎士団の半数以上を掌握したそうですね」
「まだ、そこまでは行ってないと思いますよ」
少し困った顔でそう言って、謙虚さを見せてくる。あざといなとフィリップハピは感じた。
「参加希望者が殺到していて、順番待ちがすごいそうですね。身分にこだわらない人選だそうで」
「ええ。僕のために働いてくれた方、これから働いてくださる方を優先して選んでいますね。今朝は、国王陛下や王女殿下、宰相閣下に賢者様と、身分の高い方々がお越しくださいましたが」
「なんとなんと、素晴らしいですな! しかも、騎士たちの忠誠心を試されるとは……」
「何しろ物騒なことばかり起こりますので」
「それはご不安でしょう。ですが見事な政治手腕です。さすがは【大いなる幸いを運ぶ者】様ですね。感服いたしました」
ささいな嫌がらせとは言え、派閥の者が怒らせたのだ。明確に脅すならともかく、相手の力量も分からず闇雲に喧嘩を売ってどうする。国王や宰相、賢者まで味方につけた相手を怒らせるとは度し難い、これだから若い者には任せられないとフィリップハピは内心で毒づいた。
「あの、できれば私や、私の息子にも魔力操作のご指導をいただきたいのですが……」
「それは難しいですね。なにしろ希望者が殺到しておりますので。僕も連日の講習に疲れて来ているので、回数や人数を考え直すつもりなんです」
【大いなる幸いを運ぶ者】はそっけなく言った。それを聞いたフィリップハピが慌てたのはもちろん、護衛中の近衛騎士たちもそわそわする気配を一瞬だけ見せた。彼らは昨日今日と講習を受けたが、今日の任務を終えた明日以降も受講できるかを密かに気にしていたのだ。
「そこを何とかなりませんか? 何か御入用の物がございましたら、喜んで手配させていただきますが」
兄たちが昆虫化の薬をどう使ったのかは知らないが、いつかは解毒薬が必要になるだろう。申し出があるまでこちらから言うわけにはいかないが、いつでも渡す用意はある。
「そうですねぇ、ほしいものがないわけではないのですが……」
「何なりとお申し付けください。【大いなる幸いを運ぶ者】様」
「いただいた奴隷たちの両親の遺体がほしいですね」
「い、遺体でございますか?」
「ええ」
【大いなる幸いを運ぶ者】は笑顔で言った。だがその威圧感に、フィリップハピは鳥肌が立った。
まさか派閥の者に渡した薬の持ち主が自分だと気づかれたのだろうか。禁じられ、毒薬に区分されたものとは言え、古い歴史を持つ貴族なら誰でも持っているはずだった。
(まさかあの女奴隷から、昆虫化の話を聞いたのか!? だから調度品も褒めなかったのか! 奴隷の肌つやを良くするために、心身に負荷を与える発言をするなと世話係には厳命したはずだったが、漏れるなら奴しかおるまい。あの世話係は交代させよう。ちょうど新しい鎧がほしいと、長男にねだられたところだしな……)
緊張からのどが渇いて、フィリップハピはワインを一気に飲み干す。
「美味しいですか?」
「ええ、熟成具合がいいですね。さすが【幸い】様が持って来られたワインですな」
「……そうやってうちの騎士や侍女たちは、ワインに仕込まれた毒で昆虫族のような手足になったんですよ」
フィリップハピはガチャッと大きな音を立てて、金のカップを置いた。手がわなわなと震えている。思わずテーブルの端をぐっと掴んだ。
「【幸い】様、まさかこのワインに……」
「今、テーブルに触れたでしょう? うちの大事な騎士たちは、そうやって幻覚の毒にやられて同士討ちしたんですよ」
この話は事実だと分かった。兄パトリックハピがよくやる手だからだ。背筋がぞっと凍る。
フィリップハピは慌ててテーブルから手を離し、上衣をむしりとって何度も拭く。大きな宝石の付いたピンが飛んで床に落ちたが、気にする余裕はない。息が詰まり、手はかゆいような痛いような違和感を覚える。フィリップハピは必死になって、手を布に擦り付けた。
「【幸い】様、【幸い】様! お助けください! 私は何も知りません! 確かに派閥の者に頼まれてあの薬を渡しましたが、どう使われたかは存じません! 兄が、兄が派閥の者を使ってやったことに違いありません!」
「毒を提供しておいて、使い道までは知らないと?」
「ひぃっ、お許しください! 誰か! 解毒薬をここに! 早く! 薬が、いや毒が、毒が!」
侍従や侍女が慌てて動き出すが、目の前の貴人は落ち着き払っている。その冷静さが兄とはまた違った恐ろしさを感じさせた。
【大いなる幸いを運ぶ者】は軽くため息をついて起き上がり、足を地面に付けて寝椅子に座り直す。
「毒なんて入れていませんよ」
「は?」
「毒なんて入れてませんと言いました。僕は【大いなる幸いを運ぶ者】ですよ? そんなことをすると思われるなんて心外ですね。それに毒を入れたワインを、大事な身内に毒味させるわけがない」
「は、ははは……」
気が抜けて、思わず小便が漏れる。その音と臭いに相手は眉をしかめながらも話を続ける。フィリップハピを逃がすつもりはないらしい。
優男だと侮っていたが、もうそんなふうには見えない。羽をもった肉食獣のようだ。普段はのんびりとしているが、ひとたびその気になれば一気に間合いを詰め、その牙を剥く。
「そもそも昆虫族化の毒は、使用禁止になったのでは? もう購入できないはずですが」
「いえ、それは禁止される前に大量に購入したものが残っておりまして……」
へらへらと無意味に笑いながら、フィリップハピは言い訳する。もう喉にも手にも違和感はない。一種の暗示だったようだ。
(こんな若造にしてやられた……! 派閥の者に渡したと言ってしまったし、推測とは言え兄がやったと言ってしまった。このままでは兄に殺される! ここは解毒薬を餌に派閥に入れてもらうしか……!)
「【大いなる幸い】様、どうか解毒薬をお持ち帰りください。騎士や侍女たちもそれで助かるでしょう。そしてどうかこの私を」
「結構です。もう解毒はすませましたので」
話の途中で遮られたが、その言葉の意味に驚愕する。
「なんと!? どうやって!」
(どうやって解毒したと言うのだ!? あれを解毒薬なしに解毒するには、高位の神官と治癒魔法使いに同時に依頼しないとできないはずだ……! 治癒魔法は賢者が手伝ったにしろ、神殿からは【幸い】と接触したという連絡は来ていないぞ!?)
「あなたに話す必要はないでしょう」
「そ、それはそうですね……」
奴隷や下級騎士にも温情をかけると噂されている【大いなる幸いを運ぶ者】とは思えない冷淡さだ。完全に敵視されている。
ここでフィリップハピは、着替えるために一旦下がった。正直もう帰ってほしいくらいだが、このままでは兄に殺される。ただ殺されるだけならいいが、嗜虐趣味のあるパトリックハピは、じわじわといたぶり、弱らせるのが好きなのだ。
見ていて気持ちいいものではないが、自分がやられる立場になれば気持ち悪いどころの話ではない。
何としてでも【大いなる幸いを運ぶ者】と国王の派閥に入らねば、文字通りに命がない。




