17 マリアマァトの警告
朝の光に、守生はゆっくりと目覚めた。窓にはカーテンもガラスもないが、眩しすぎるということはない。魔道具によって膜のようなものが張られていて、日の光や風の調整がある程度できる。
ベッドの上を見上げれば、天井には翠色に光る装飾がある。浴場の微温室の床材と同じものだ。あちらは群青色や濃緑、濃赤などいくつもの色を使ってモザイク状になっていたが、こちらは緑色で統一してあった。多少の濃淡があって美しい。
だがなんとなく波動が落ち着かないので、守生はホワイトセージに火をつけると、その煙を手で天井に送る。
本当は鳥の羽を束にしたものでスマッジングするのが一番だが、出張にはかさばるので持ってきてはいなかった。
(鳥の王様の国だし、もし持ってたら顰蹙を買ってたかもね)
それにしても、今朝は体が軽い。
昨日訓練場でドムトートと張り合う気がなかったのは、競争意識が薄いせいだと思っていた。だから汗をかく程度の運動で済ませたのだが、知らぬ間に倦怠感を感じていたようだった。
昨日の夜にタイとウナギを食べて、たんぱく質が足りたおかげだろうと守生は気づいた。
成人男性の一日のたんぱく質摂取量は、五十から六十グラムが目安とされている。その日の運動量にもよるが、摂取量が減るとなんとなく体全体が重くなる。疲れとはまた違っただるさだが、単なる疲れと誤認する場合もあった。
(いつも食べてた豆腐も納豆も豆乳もないし、全然足りてないよなぁ。卵があればいいけど、出てこないってことは食べないのかな。羽のある鳥は神聖な動物です、とか? なんにせよ、お魚さんありがとう……)
守生はベッドから出ると、毎朝の場の設定と瞑想を行なう。夜勤警護をしていたドムトートの合図でヘレナヘケトたちが入ってくると、着替えを手伝ってもらった。カエル頭の侍女ヘレナヘケトは真面目というか几帳面だ。帯は苦しくない程度に加減しつつ着崩れないようしっかりと締め、優雅さを出すために美しくドレープを作る。
続き部屋のローテーブル近くに置かれた金色の椅子に座って、守生は朝食の配膳を待つ。ヘレナヘケトが会釈して報告する。
「エリスイシス姫殿下から、お茶会の打診がありました」
「お茶会?」
守生の頭の中に、イングリッシュ・アフタヌーンティーのイメージが浮かぶ。紅茶と、三段重ねケーキスタンド、サンドイッチにケーキ、スコーン。濃厚なクロテッドクリームにジャム。
同じようにはいかないだろうが、言葉の分からない守生を気遣ってくれたエリスイシスだ。会って、ドムトートが無事救出されたことのお礼を言いたい。結局発見できなかったとはいえ、あの場ですぐ救助隊を派遣してくれたのは王女エリスイシスのおかげだ。
「はい。シュー様のご都合に合わせてお部屋にご招待したいそうです。賢者トリスタントート様もお誘いしたとのことです」
「分かりました、受けてください。日程はお任せします」
「かしこまりました」
ヘレナヘケトとの話が終わると、アベルアヌビスが右手を大きく挙げる。黒く長い耳もピンと立っている。
「はーい! オレもシューさんに報告が!」
「はい、アベルアヌビスくん」
アベルアヌビスの元気の良さに、守生は学級会でもするかのように指名する。
「はいっ! オレんトコの隊長、第五部隊の隊長なんすけど、シューさんにご挨拶とお話をしたいって」
「へー。アベルの上司かぁ。いつがいいって?」
「早い方がいいらしいっす!」
「了解。ヘレナさん」
「手配いたします、が……」
「どうしたんですか?」
「アベルアヌビス、第五部隊の隊長と言いますと」
「マリーマァト隊長っす!」
「マリアマァト様……」
「へー、女性なんだ?」
「はい! 騎士団でただ一人の女部隊長っす!」
「ただ一人! 先駆者だね! かっこいい!」
「あの、ではどちらで、と仰いましたか?」
守生は気づいていなかったし気にもしないことだが、人を呼びつけるのは羽持ちの貴人がすることだ。マリアマァトと守生、どちらを格上として呼び出すのか。ヘレナヘケトは密かに迷った。
「どちらで? あ! 場所っすね? えーと『もちろん私がお伺いする』って言ってたから、ここに来るんじゃないっすか?」
「だよなァ、まさか風呂に一緒に入ってお話するってわけにもいかねェし」
「お黙りなさい! 不敬が過ぎます!」
ドムトートの軽口にヘレナヘケトが叱責する。だがその後に考え込んだ。
「いえ、これを機会にシュー様とのご縁を結ばれるという意図も……」
「えーと、ヘレナさん? ……大丈夫かな。そのマリアさんって偉い人なの?」
「マリー隊長は羽持ちっすよー」
「胸もデカいっすよォ」
ドムトートが茶化すように言うと、ヘレナヘケトがその大きなカエルの目を細くしてドムトートに詰め寄った。無言の圧が強く、守生はヘレナヘケトにお任せした。
ハチミツの量とセロリ味が気になる朝食を終えた後、ドムトートは部屋に下がらずにそのまま護衛を続けることにしたようだった。
「大丈夫? 眠いだろ?」
「や、隊長が何を言うか気になるんでェ」
「下げ渡しを我慢してまで残るって、ドムさんすごいっす!」
「うっせェ、てめえじゃねーんだよ俺はァ!」
「隊長が怖いだけのくせにー!」
「んだとォ!?」
そんなじゃれ合いをしていると、守生の部屋に体格のいい女性が二人やってきた。
一人は、三十すぎの年頃の人頭で凛々しい顔立ちの美女だ。アベルアヌビスたちより長めだが動きやすい丈の巻スカートに、マントを羽織っている。くせの強い赤毛に黒い小ぶりの羽を背負っている。
「王城騎士団第五部隊、隊長のマリアマァトと申します」
マァトと言えば、ダチョウの羽根と天秤を持っていて、羽と死者の魂の重さを量る、古代エジプトの正義の女神だ。
背中の小ぶりの黒い羽はダチョウの羽ということかと、守生は考える。
「【大いなる幸いを運ぶ者】様のご到着と入れ違いに国境近くまで外交に出ておりましたため、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。アベルアヌビスとドムトートの直属の上司です」
「騎士なのに、外交もするんですか? あ、外交官の護衛ですか?」
「いえ、国王陛下の名代として 隣国との休戦協定継続の事前会議に参加して参りました」
「へえ! すごいですね。どうぞよろしくお願いいたします」
もう一人は短髪の人頭女性で、ネイサンネイトと名乗った。第五部隊の副隊長だと言う。
こちらも凛々しい顔立ちだが、濃紺色の髪はサイドヘアを刈り上げた、いわゆるソフトモヒカンだ。体は細く引き締まっており、マリアマァトのような豊満さはない。紺色の羽は地面に着くほど長い。
(あれだ、ヅカっぽいんだ)
歌劇の男性役のような雰囲気に、守生はまじまじと見てしまった。
「こんな見た目ですが、本官は男性です」
「あ、はい、すみません。ちょっと懐かしくて」
「懐かしい?」
「あー、いえ、似た雰囲気の方々を母が推して、いや、ファンで」
「熱烈な支持者……?」
マリアマァト隊長とネイサンネイト副隊長が、困惑している。実際に二人のファンは騎士団にいるが、守生が知るわけがなかった。
(いや、違うだろ俺! FtM、女性の体で生まれて性自認が男性ってことだろ! ヅカとは違う! 全然違う!)
突然思い出した母親の推し話とこんがらがって、守生は焦った。視線をマリアマァトに合わせると胸に目が行ってしまい、素早く額を見つめる。
(見たの絶対バレた! 恥の上塗り!)
「大変失礼いたしました。僕は菅見守生と申します。シューと呼んでください」
「かしこまりました、シュー様」
二人に寝椅子を勧めて本題を聞こうとしたが、マリアマァトは顔をしかめた。
「ヘレナヘケト、応接用の椅子はないのか?」
「申し訳ございません。マリアマァト様」
「謝るべき相手はシュー様だろう。貴人が泊まる部屋にしては、小ざっぱりしすぎているぞ。国王陛下にお願いして、もっと家具や美術品を入れるべきだ」
マリアマァトの無遠慮な態度に驚いたが、言っていることは守生の待遇改善だ。アベルアヌビスもドムトートも黙って見守っている。むしろマリアマァトの迫力に、固まっているとも言えた。
部屋の隅に片付けてある金色の椅子と装飾のない簡素な椅子を見て、マリアマァトはまた顔をしかめた。
「あちらの椅子も不揃いですね」
「ああ、あれはヒーリング……つまり光魔法を使う時に使ったんです。すぐ使いたかったので今ある物を持ってきてもらいましした」
「そうですか。すぐ注文されるほうが良いでしょう。王室御用達の職人は、いい腕をしています」
「あー、はい」
(でも、僕がいつまでこの世界にいるか分からないしなぁ)
「でも上の階に移動するよう言われてるんです。その部屋を見てから決めますね」
守生が言った瞬間、ヘレナケヘトがギョッとした。マリアマァトが、ヘレナヘケトを睨みつける。
「上の階に? どういうことだ、ヘレナヘケト!」
「国王陛下のご指示で……」
「なんだと!?」
マリアマァトがぐわっと目を見開いた。美人が怒ると、迫力がある。
「あの、怒るような話なんですか?」
「何を呑気なことを。貴人が階段を使って昇り降りするなど、屈辱の極みですよ、シュー様」
「へー。魔法で上下移動とかしないんですか?」
「身体を強化する魔法はありますが、使える者は騎士団に入ることが多いでしょう。アベルアヌビスやドムトートも使えますよ」
アベルアヌビスとドムトートが自慢気に胸を張る。騎士コンビの身体能力の高さの理由が分かったが、話がずれていることに守生は首を傾げる。
「どうかされましたか?」
「えーと、部屋を上下に移動するための魔法や魔道具はないんですね?」
「ええ、個人の能力で移動します」
「なるほど。でもまぁ二階ですし、上の階のほうが日当たりもいいし見晴らしもいいと思います。僕は気にしませんよ」
五階や六階までエレベーターなしで行けと言われているわけでもないし、と守生は考えていた。
この国には高い建物を建てるという発想がないため、守生以外は守生の言い回しに首を傾げた。アベルアヌビス以外が態度に出すことはなかったが。
「そういう考えもあるかもしれません。ですが、あなたが国王陛下に侮られているのは理解していただきたい」
「利用されてるとは、思ってますけどね」
守生は自嘲気味に答えた。
寝椅子にマリアマァトと守生が向かい合って座る。ネイサンネイトはマリアマァトの後ろに立った。隊長の付添い、あるいは護衛というスタンスらしい。
ヘレナヘケトが何人かの侍女と共に、ハーブティーを供する。水色のお茶に守生はぎょっとしたが、マリアマァトもヘレナヘケトも平然としている。こういうもののようだ。
恐る恐る飲んでみたが、緑茶や紅茶ほど味はしない。やわらかで健康になれそうな味わいと言うべきか。
マリアマァトは添えられたシトロンを絞り、数滴垂らして飲んでいる。守生が真似をすると、水色からピンク色にパッと変化した。それに驚きつつ飲むと、味も変化している。ヘレナヘケトが何も言わなかったところを見ると、飲む人のご自由にということか、あるいは自分で絞ることで色の変化を楽しむ趣向なのだろう。守生にはピンク色にしたほうが飲みやすいと感じた。
「そういえば、先ほど休戦協定の継続って仰ってましたが」
「ええ。前王、つまりカールホルス陛下の兄上の時代に、休戦しました。元々、侵略戦争を仕掛けたのが我が国なのですが」
「パウルプタハ前国王陛下とカールホルス国王陛下のお父様とお爺様が侵略戦争を拡大なさったのです」
「おい、ネイサン」
「別に王族批判でなく、事実を述べたまでです」
どうやらパウルとカールという兄弟は平和思考の持ち主で、その父と祖父が侵略思考だったらしい。
かなり長い年月、戦争していたようだ。
「じゃあ、今は平和なんですね」
「ええ、そうです。ですが戦争をすることに一番熱心なのは、平和な時期です」
「また戦争をするんですか!?」
「国王陛下にそういう思惑はありません。ですが戦争したがっている者たちがいるのは確かです」
「なるほど。災害対策と真逆ですね」
「災害のない時に、災害に備えて準備するわけですか。素晴らしいお考えですね」
(笑ってるのに、なんか怖い!)
年上の美女が真面目な顔をしているだけなのに、守生はなんだが背筋がゾワッとした。どうにもこの部隊長、妙な迫力がある。
「実際のところ、シュー様に関係のない話ではございません」
「というと?」
「主戦派の者がシュー様を害そうとしている動きがあります」
守生は先ほどとは違う悪寒を感じて、ハーブティーを一口飲んだ。
「今後は浴室など城内の移動は、廊下の人払いを終えてから行動なさってください」
「はぁ」
思わぬ事態に守生は内心でため息をついた。侵略戦争には反対だが、国王カールホルスの陣営の一員として攻撃対象であるのはおもしろくない。
「ですが、さすがはシュー様ですね。貴族連中の攻撃は、ことごとく弾いていらっしゃる」
「攻撃? すでに?」
「ええ。闇魔法の痕跡がいくつか見つかった」
「闇魔法、ですか」
「朝晩やってる、シュー様の光魔法はすごいんで! 壁とか、ビビビーって!」
ドア近くに立っているアベルアヌビスが話に割り込む。こぶしを握って力説する姿に守生は和み、ヘレナヘケトとネイサンネイトが眉をしかめた。
マリアマァトは黒く小さな羽を一度バタつかせただけで、守生から視線を外すことはなかった。
「我々の理解しがたい方法で弾かれていたので、おそらくシュー様が行なったものかと」
「はぁ」
(前に「視える」クライアントさんが来た時「このサロンには灰色のがいない」って感動して、どうやって防いでいるのか教えてくれって、場の設定に興味を持ってくれたけど。闇魔法ってなんだよ!)
場の設定は、自分と空間を光で満たたり、天界や銀河の光の存在たちと交信したりするためのものだ。良い奉仕ができるように
光でないものの影響を受けないようにもする。
(部屋だけじゃなく、城全体を光で満たしたほうがいいのかもなぁ)
守生のイニシエーション段階でどこまで範囲を広げるかは分からない。やってみて騎士コンビに視てもらえばいいのだろうが、それで城の人たちに騒がれるのも不味い気がした。
本来場の設定とは密かに行なう、神聖な儀式だ。やり方を見られないよう配慮しているとはいえ、すごい光魔法だと口にされるべきものではなかった。
「ヘレナヘケト。食事に関しては、あの偏屈料理人たちが作っているのだろう?」
「偏屈……。セベーロセベクを筆頭に、十数人で調理しております」
「そうか。シュー様、彼らは権力にも派閥にも興味がない者たちですからご安心ください。アベル、ドム。料理を運ぶ侍女の顔をよく見ておけ。見かけない者がいたら、容赦なく攻撃しろ。黒幕を自白できる程度にな」
「はいっす!」
「うっす」
作中のお茶は、古代ギリシアでも飲まれていた、ブルーマロウティーです。




