外套の下
──護身用の剣をわざわざ持ち歩いてるだなんて。やっぱりジャンは商店街のこんな小さな食堂に来るような身分の人じゃない。
「まさかしばらく店に来れないのって、危険な所に行くからじゃないよね?」
「危険な所?」
「剣で身を守らないといけないような所…。私もよく分からないけど、戦場とか…。」
「この国は今は戦争をしていない。そうだろう?」
「……多分。」
ジャンはクラリスにもう一歩近寄ると、少し迷った後で手を伸ばして頭をぽんと撫でた。
「大丈夫。必ずすぐ──。」
ジャンがクラリスの頭に手をのせたと同時に風が外套の裾をはためかせ、その下に隠された服がはっきりと目に飛び込んで来た。
「ジャン…貴方……」
ジャンは一転困惑した顔つきになると外套の前を急いでかき合わせ、クラリスに背を向けてそのまま歩き出した。
風のせいで見えてしまった外套の下の服……。クラリスにもそれが何を意味するのかは直ぐに分かった。
──間違いない。あれは貴族の通う学園の制服だわ。……でもジャンは計算が出来ないって……違う、ジャンは出来ないなんて言ってない。私が勝手にそう思い込んでただけ?
クラリスは店の看板の灯りが消えた事に気が付くと遠ざかっていくジャンの背中をもう一度振り返った。
──いい加減仕事に戻らなきゃ…。考える時間なら明日からたっぷりあるんだから…。でも…。
クラリスは紙袋を胸にきつく抱きしめるとジャンの後ろ姿が消えていった方向を見つめたまましばらくその場にどとまっていた。
「クラリス!随分遅かったから心配してたんだよ?大丈夫だったのかい?」
「えぇ、ごめんね?お騒がせしちゃって。平気よ。」
店に戻るなり心配そうな顔をした叔母がカウンターから飛び出してきた。店内にいる客が外に出ないように足止めをし、窓から外の様子を時々うかがっていたのだという。
「二人とも帰ったようだね?」
「うん、そう……。」
叔母は後は自分がやるからと言ってクラリスにもう部屋に上がるように言ってくれた。もしかしたら今まで散々マークを唆してきた事に負い目を感じているのかもしれない。
クラリスはマークと叔母の間にどのような約束が交わされていたのかなど正直どうでもよかった。それよりも今は少しの間だけでも一人になりたかった。
2階に上がるとそのまま自分の寝室に入ろうかと考えたが、無人の食卓が目に入ると気が変わり、キッチンでやかんを火にかけることにした。
紙袋から紅茶缶を取り出すとラベルに目を走らせるが、流れるように書かれた優美な文字はクラリスには読み取ることは出来なかった。
手近にあったスプーンの背を固く閉まった缶の蓋の隙間に差し込み力を込める──と同時に蓋が少し持ち上がり、それだけで紅茶のいい香りが立ち上った。
「凄い……。蓋を開けただけなのに何このいい香り。」
クラリスはマグカップを戸棚から取り出すといつもよりも丁寧に紅茶をいれた。豪華な模様の入ったカップも無ければ砂時計も、ティーポットもない。ただ壁掛けの時計で時間を見ながら黙々と手を動かしていく。それでもマグカップからは濃厚な香りがたち、今までに見たどの紅茶よりも綺麗な紅色に思わず笑みがこぼれた。
「いただきます……」
砂糖もミルクも入れずにそのまま一口口に含む。
マグカップの中の紅茶を見つめながら、クラリスはしばらく無言になり、やがてカップを机に置いた。
──美味しい……。でも、このお茶はきっとこんな所でこんな風にマグカップで飲む様な物じゃなくて…。綺麗なドレスを着たどこかのお嬢様が──。
「止めた。そんな事いくら考えたって無駄よ。私にはマグカップがお似合いなんだわ。…ジャンだってそんな事分かってるはず。」
ジャンは食堂の娘に出してもらった紅茶があまりにも酷かったせいで本物の味はこうなのだと教えてやることにでもしたのだろうか?
『 これが無くなるまでにまた来る 』
クラリスはもう一度読めもしない缶のラベルに目を向けた。
「ジャン……。あんな事言われたら私本気にしちゃうからね?待っちゃうよ?また店に来てくれるの。」
外套の下に隠されていたのは剣だけでなく学園の制服だったとは……。ジャンが貴族であることはもう疑いようもなかった。恐らくは貴族などめったに来ない商店街で悪目立ちしないよう、今までそれを隠してきたのだろう。しかし何故わざわざそこまでしてこの店に通っているのか、その理由はクラリスにも分からなかった。
──私、もっとジャンの事知りたい。話を聞きたいのに。
クラリスは紅茶を再び口にしながら心の底から大きなため息をついた。