同期の桜
NSX NC1を駆る大山神威と、A80スープラを駆る塚町南和子。
二人は、九重拓洋と坂口愛衣を追い越し、万座温泉を通過。
7連続のヘアピンで、一気に標高が上がっていく。
万座温泉―白根山―草津温泉間は、白根山の火山活動により、通行規制がかかっているため、一般車の通行は不能(レース中の競技車両と関係車両は通行可)。しかし、群馬県は、この区間を公道レースのため積極的に活用し、草津、嬬恋地区の地域経済活性化を狙っている。
(偶然ね。大山君と、一緒に、プライベートで走るのは、何年振りかしら?)
と、塚町は、自分の前を走るNSXを見ながら思う。
大山と言えばMR‐2、そして、レクサスLC500と、TOYOTA系列の車に乗っていたイメージが未だにあるが、今は、一応はHONDAの系列であるホワイトレーシングプロジェクトに移籍したため、NSX NC1を駆るようになった。
(だいたい、このNSXって車にも慣れてきた。でもなぁ、元GTマシンのNSXとは言え、現代車はどんどん重くなる一方だ。)
大山神威は、後方を走るA80には気付いていた。
(いい加減うぜえな塚町め。登りきったら譲るから、お前、前いけよ。)
県道466号線と、国道292号線の三叉路を過ぎ、国道292号を草津温泉方面へ行く。
白根山湯釜前の駐車場付近のストレートで左ウィンカーを付けて、後ろから来る塚町に大山神威は道を譲る。
(へえ。年上同期だから気を使うんだ。大山君、随分優しいもんだね。)
追い越しざまに、塚町は大山のNSXに向かってウィンクをした。
「―。」
大山神威はガンを飛ばすが、無言で応える。
湯釜から草津温泉までは、標高差700メートルを一気に下る。
先に見える道を見ると、先行している車両が見える。
ARTA NSXだった。
通常、公道は走れない車だが、群馬県警察の許可を得ているので、走行可能だ。
(月夜野か。どうせなら、坂野に会いてえな。)
と、大山神威は思う。
ARTAの月夜野や、カルソニックの坂野とは同期とは言えないが、世代的には近い九重拓洋は走り屋出身のレーサーなのに対し、彼等は、と言うより彼等の世代のほとんどは、幼少期からカートで鍛えてキャリアを積み、自分の地位を築いた。坂口愛衣も、その一人だ。そして、そうやってキャリアを積んで来た者にとって、無の状態と言っても過言ではない。むしろ、無以下のゴミクズの底辺のような存在である九重拓洋は嫌われる存在だった。
無からいきなり、自分の地位を脅かす存在になったのだから、中には「いきなり出てきて好き勝手すんじゃねえよゴミが」と思う者もいる。
実際、大山神威も最初は、九重拓洋をそんな目で見ていた。
大山神威だけではない。
土谷啓一や織田学のような、走り屋出身レーシングドライバーでも、当初は九重拓洋をそういう目で見ていた。
だが、坂口愛衣に引っ張られる形で、一気に成長し、立山黒部アルペンルート公道レースでその才能を開花させ、三郷スカイラインで塚町のレコードを塗り替えたり、富士スピードウェイで土谷のドリフトに食いついたり、金精峠―いろは坂往復公道レースでは、雨の中で一歩も引かない戦いをした事で、そういった目で見ていた者は考えを改め始めた。
(まっそれが、逆に、九重拓洋と同世代のレーサー達の顰蹙や妬みを産んでんだよな。)
と、大山神威は思ったが、大山神威もまた、人のことを言えない。
自分だって、そんな考えを持っていたし、そんな考えを持っていた自分でさえ、過去を振り返るならば、走り屋時代に海老原レーシングの海老原陽一を始め、拓洋の父の利夫、愛衣の父の正孝等に腕を買われたのだ。
そして、大山神威を成長させたのは海老原陽一と、神威と同期で海老原レーシングに入った塚町だったのだ。
塚町もまた、カートでキャリアを積み、体験型レーシングスクール等を経て海老原レーシングに入ったのだが、そんな塚町にとって、なんの経験も無く入ってきた神威は目の敵だった。
なので、スポーツランドやまなしを始め、昇仙峡ラインで何度も勝手にバトルをふっかけたのだが、いつも勝てなかった。
「何が、大山と違うのだ」と海老原陽一に問うと「公道には公道。サーキットにはサーキットのルールがあり、走り方がある。その使い分けが出来て居るか出来ていないかだ。お前はサーキットしか、知らねえから、その使い分けが出来ていねえんだ。だから、負けるんだ。」と言われた。
(どういうわけか知らないけど、大山君にとって九重拓洋は、自分の過去の姿に見えるわけね。悪いけど、レースとなったら、私、九重拓洋はおろか、大山君だって追い越すから、覚悟しなさい。)
と、塚町はバックミラーに写るNSXを見ながら思った。




