〈4〉
道案内を買って出たとはいえ、すでにお目当ての場所があるらしい朝子さんの嗅覚に導かれるまま、後ろをただひたすら歩くこと十数分。朝子さんはとある建物の前でピタリとその歩みを止めた。
駅からやや離れたその場所は、ほとんどが空き室となっている古い雑居ビルの建ち並ぶ、地元の人間すら近付くことのない忘れ去られた区域だった。
「こちらからとっても素敵な香りがします!」
「ええ……でもここって」
朝子さんはそのうちのひとつ、それも一際オンボロな建物を指差し、さあ行きましょうという曇りのない瞳で俺を見つめている。まるで人の気配がしない薄汚れた建物の扉に恐る恐る触れてみると、意外にも鍵が開いていた。
よく見ると建物に似つかわしくない、真新しい小さな看板が立てかけられている。
「バーガーショップ……チェイス?」
「夕帰くん、入口の前で立ち止まってはいけませんよ。行きましょう!」
「え、ちょ……っ」
躊躇う俺を促すように、朝子さんの柔らかな手がそっと背中に添えられる。この人やっぱり距離感どうかしてるって。紳士らしい適切なスペースを保つため、俺は前に進むしかなかった。
店内はこじんまりとしているものの、外観の古さからは想像がつかないほど綺麗に手入れされた、アメリカンダイナー風のバーガーショップだった。
入口に取り付けられたベルが鳴って奥から現れたのは、けだるそうなギャル風の店員と、室内なのに何故かサングラスをかけた顎鬚の中年オーナー。俺と朝子さんを見ると、二人の従業員はいらっしゃいませでもなく、ひたすら驚きを隠せないといった表情をして固まっている。
「え……マジ?おじさん、客来たんだけど」
「ほ~ら!だから言っただろう?わかる人にはわかるんだって!」
これはもしかして。
「……あの、まだ営業時間外でしたか」
客が来たことに心底驚いている様子の二人を見て、思わず口に出してしまった。朝子さんはというと、店内に興味津々のようで瞳を輝かせてキョロキョロと辺りを見回している。帰ろうと言ってもおとなしく引いてくれるだろうか。
「いいや、大丈夫だよ。好きな席に座って待っててね~」
サングラスのオーナーはそう言って俺と朝子さんを奥のテーブル席に案内した。白と黒のチェック柄の床に、鮮やかな赤色のソファー。やや薄暗い店内を照らすネオンサイン。古い洋画のようなレトロポップな空間に、今日の朝子さんの装いはよく似合う。ああ、こういうテイストの絵も楽しいだろうな。そんなことを考えていると、ギャル風の店員が水とメニュー表を持ってやって来た。
「いや、マジでびっくりなんだけど。ウチに客来たのあんたらが初めてじゃね?」
「まあ、そうなんですか?」
朝子さんは会釈をして水を受け取ると、両手で品よく飲みながらも、やはり店に強い関心を示しているようだった。
「ここって立地が最悪じゃん。しかもあんな幽霊屋敷みたいな外観で、客なんか普通来ないっつーの」
「た、確かに……俺は地元民だけどたった今まで知りませんでした」
「でしょ~?おじさんが内装にこだわりすぎて、予算残らなかったんだって」
ギャル風の店員は反対側の椅子にどっかり腰掛け、仕事を忘れて話し始める。
「あ、アタシは雨宮智夏。智夏だからティナって呼んで!」
「ティナさんですね。あたくしは森ノ宮朝子と申します。こちらは使い魔の橘夕帰くん」
「ちょ、朝子さん!その設定、人前ではちょっと……」
「使い魔?何それウケるんだけど。あ、あっちにいるオーナーは桑野冬四郎。おじさんでいいよ」
そう言ってティナさんが指差すとキッチンから抗議の声が上がる。
「ちょっとちょっと~、おじさん呼びはティナちゃんだけにして。俺のことはクワトロと呼んでほしいな!」
ティナさんとクワトロさんか。なかなか癖の強い二人組だ。いや、魔女と使い魔の俺達も人のことは言えないだろうか。そんな魔女こと朝子さんは、差し出されたメニュー表と真剣に睨めっこをしている。
「で、何頼むの?おじさんのバーガー、マジ全部美味いから」
「……あの、これはどういった食べ物なんでしょうか」
「どうって見たまんま……ハンバーガー屋だから。ウチ」
これ以上説明しようがないといった感じでティナさんはきょとんとしている。しかし説明を受けた朝子さんの頭上にもはてなマークが浮かんでいるようだった。
「……朝子さん、もしかしてハンバーガー食べたことなかったりします?」
「え、あ……はい」
「え!マジ?今時そんな人いるん?あ、もしかして超お嬢様だったりする?話し方とか服とかそれっぽいし」
「……ど、どうなんでしょう」
朝子さんはもじもじと話しにくそうに視線を落とす。目的が別にあるとはいえ、入店した以上は何か注文した方がいいだろう。……よし。
「えーっと、それじゃあティナさんのおすすめを二人分お願いできますか?朝子さん、これなら一番美味しいやつ選んでくれるから」
「……はい!それでお願いしますね」
「オッケー!おじさん、オーダー入るよ~」
上機嫌でティナさんはキッチンへ下がっていく。朝子さんは少しほっとしたように表情を緩めた。
……成り行きとはいえ、こうやって朝子さんとテーブルで向き合うことになるとは、なんだかデートでもしているように錯覚してしまう。なんて意識すると、今度は俺の心臓がうるさく騒ぎ出す。平常心を取り戻すべく、俺は本来の目的である魔女の仕事について切り出した。
「あの、ところで朝子さん。ここからしたという素敵な香りって」
「そうでした。このお店から魔法の香りがするんです」
「じゃあ、あの二人のどちらかが……」
「恐らく……ですが、ここは素敵な香りがたくさんあって、嗅ぎ分けるのが少々」
「香りがたくさん?」
「はい、その……」
「……もしかして、ハンバーガーの匂い?」
「……」
朝子さんは恥ずかしそうに俯いてしまった。さっきまであんなに自信満々に鼻を動かしていたのに、余程初めて食べるハンバーガーに気を取られているのだろう。
「まあ、食べながら考えましょうか。お腹空いていたら頭働かないですもんね」
「夕帰くんはいいんですか?こんな風に付き合わせてしまって……あたくしったら」
「俺が朝子さんを手伝うって言ったんですよ。昼ご飯食べてなかったしちょうどいいくらいです」
「……ありがとうございます。あたくし、こんな風にお店でお食事をするのって初めてなんです。魔女は村から出てはいけないので」
「魔女の村にはバーガー屋、無かったんですか」
——と言っておいて何だが、魔女とハンバーガーはいまいち結び付かないな、と思った。試しに頭の中でラフを描いてみる。うん、やっぱりなかなかイメージが浮かばない。じゃあ無くても仕方ないな。……いや、魔女の村ってなんだよ。
「お店なんて何も。お屋敷と、いくつかの家と、あとは一面お花畑で……」
「花?」
「……あっ!ごめんなさい、それは忘れてもらえますか?」
「え?あ、はい」
一面花畑と聞いてのどかな田舎の風景を想像したのだが、朝子さんは慌ててその発言を取り消した。どうしてだろう、少なくともハンバーガーよりは花畑の方が魔女に似合うと俺は思った。
何色か聞きそびれてしまった魔女の村の花畑。色がわからなければ絵に描くことができない。……いつか教えてもらえるだろうか。商品の到着を待つ間、俺はぼんやりと、そんな未来を考えていた。




