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魔術監査官をクビになった俺、辺境の生活魔術を直して暮らしを立て直す  作者: 綴木 灯
第一章「直せる町」

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規格外修理

契約書に署名してから、一時間も経っていなかった。


レオンが町の東端へ着くころには、共同井戸で濡れた外套の裾もだいたい乾いていた。


代わりに、鼻の奥へ乾いた穀物の匂いが入り込んでくる。


石造りの低い建物の前には、麻袋が壁際まで積まれていた。その半分には口が閉じられておらず、中の麦が淡い色を見せている。二人がかりで袋を運び込み、別の二人が空いた籠を持って出てくる。


仕事は止まっていない。


ただし、遅い。


建物の中から低い送風音が続いたかと思うと、不意に甲高い音が一度鳴り、すべてが静かになった。


運び込もうとしていた男が、袋を肩に載せたまま立ち止まる。


「またか」


数秒後、機械は何事もなかったように動き始めた。


マーヤが入口から中を覗いた。


「これです」


「動いてはいる」


「言ったでしょう」


ついさっきも聞いた言葉だった。


止まっていない設備のほうが面倒なことはある。


完全に壊れていれば、使わないという選択ができる。動いたり止まったりを繰り返す設備は、そのたびに使う側へ判断を返してくる。


建物の奥で、誰かが金属板を床へ置いた。


「次、少なめで入れて」


若い男の声だった。


乾燥機の側面に開いた点検口から、上半身だけが出ている。袖を肘までまくり、片手に細い工具を持っていた。


「ニコ」


マーヤが呼ぶ。


男は点検口から這い出し、床に置いた部品を足で避けた。


「ベルクさん。井戸は?」


「動いた。こっちはレオン・ハルツ。今日から短期の保守担当」


ニコ・フェルはレオンを一度見た。


「中央にいた人?」


「元です」


「じゃあ、そのへん見て驚かないでください」


彼が顎で示した先を見て、レオンは答えなかった。


驚きはしなかった。


止めたくはなった。


乾燥機の内部には、少なくとも三世代分はありそうな部品が同居していた。新しい安全印の付いた箱。その下を走る古い導線。色の違う固定具。削って合わせたらしい金具。正規品では見ない太さの管。


きれいではない。


だが、きれいでないことと危険なことは同じではない。


レオンは点検口の前へしゃがんだ。


「今の停止は、いつからですか」


「強く出始めたのは四日前。最初は一日に一、二回。今日は朝から六回」


ニコはすぐ答えた。


「負荷を下げると?」


「止まりにくい。だから今は一回に入れる量を減らしてる」


入口近くで袋を抱えた男が言った。


「そのぶん列が伸びてるけどな」


外を見ると、運び込まれる袋は減っていない。


乾燥の順番を待っているだけだった。


マーヤが書類板を開く。


「今日中に全部終わらせる必要はありません。でも、この調子で半分ずつ回すと明日の仕事まで押します」


「代わりの設備は」


「ありません。近隣へ運ぶなら、乾燥前の穀物を荷車で往復させることになる」


つまり、動くなら使いたい。


使うなら、止まる理由を知らなければならない。


レオンは点検口へ手を伸ばした。


「試験で通します」


「今の一回分、終わってからで」


ニコが先に言った。


乾燥機の奥では、まだ送風音が続いている。


「中途半端で切ると、今入ってる分をもう一度回すことになる」


レオンは手を止めた。


「分かりました」


ニコは少しだけ眉を上げたが、何も言わず点検口へ戻った。


やがて機械の奥から、乾いた麦が受け籠へ落ち始めた。


ざらざらと連続する音が、建物の中へ広がる。


一荷ぶんが出きると、ニコが主導線を落とした。


「今なら」


レオンは確認端子へ指を置いた。


低く魔力を通す。


複数の流れが順に立ち上がる。


加熱。送風。搬送。


そして、その手前に新しい保護の流れがある。


綻びは、そのすぐ内側に見えた。


細い。


低い負荷では、ほどけかけた糸が震えている程度だ。


「少し上げます」


ニコが横から内部を見る。


レオンが負荷を一段上げると、綻びが太くなった。


さらに上げる。


一本だった揺れが、隣の流れへ触れる。


同時に、安全印の付いた箱が短く鳴った。


レオンはすぐ負荷を落とす。


綻びも細く戻った。


「ここですね」


「そこ、半年前に触ったところです」


ニコが迷わず言った。


レオンは彼を見る。


「何を変えました」


「その前に、こっち見たほうが早いです」


ニコは乾燥機の裏側へ回り込んだ。


壁との隙間は狭い。彼は慣れた動きで膝をつき、床近くの覆いを外した。


中から、小さな蓄力器が出てきた。


中央規格の大型設備用ではない。


両手で抱えられる程度の古い型だ。


「これを足した?」


「はい」


ニコは蓄力器の側面を軽く叩いた。


「元々ここには、負荷を均す部品が付いてたんです。送風が強くなるときだけ受けて、落ちたら戻すやつ」


「今はない」


「半年前に焼けました」


ニコは外した覆いの裏を指す。


古い焦げ跡が残っていた。


「交換品は?」


「注文はしました」


「届かなかった?」


「届く予定が収穫のあとでした」


短い答えだった。


事情は、それで見えた。


乾燥機を収穫期のあいだ止めるか、手元にある物で失われた機能を代えるか。


ニコは後者を選んだ。


「工房にこれが余ってた。容量は小さいけど、一台ぶんの揺れなら吸えた。ここにつないでから、少なくとも五か月は普通に回ってます」


「記録は」


「交換日と、これを付けたことまでは。配線は……」


ニコは少し顔をしかめた。


「図にするほどでもないと思ってました」


レオンは返事をしなかった。


褒めるにも、責めるにも、まだ早い。


「最近、他に変えたものは」


今度はマーヤが書類をめくった。


「八日前。安全部品を新規格品へ交換しています」


レオンは安全印の付いた箱を見る。


「交換後すぐは?」


「軽い運転だけでした」とニコが答えた。「四日前から量を増やした。そこで止まり始めた」


半年動いた改造。


八日前に入った新しい部品。


負荷を増やした四日前から始まった停止。


順番は合う。


原因までは、まだ分からない。


レオンは再び低い負荷を入れた。


綻びを見る。


場所は分かる。


何がそこへ流れ込んでいるかは、見ただけでは分からない。


「ニコ。この蓄力器から、実際にはどこへ戻してます」


「今はここ」


ニコが古い導線を一本たどった。


途中で金具の裏へ消える。


「図面だと、その先は保護器の外側です」


「図面なら」


ニコは金具を外した。


裏から、別の線が出てきた。


「実物はこっちへ回してます。元の均し器がここだったから」


レオンは線を目で追った。


新しい安全部品が入る前なら、それでよかったのだろう。


供給された力を一度受け、必要なときに同じ機械へ戻す。


だが新しい保護器は、その途中に境界を作っている。


「一度、蓄力器を外して試します」


ニコが手を止めた。


「外すだけならできます。でも、それで回るとは思わないですよ」


「確認します」


二人で接続を切り分ける。


蓄力器を外し、乾燥機だけへ低い負荷を通した。


綻びは出ない。


一段上げる。


安全部品も静かなままだ。


「正常ですね」


マーヤが言う。


「ここまでは」


レオンがさらに負荷を上げた。


乾燥機の奥で送風音が強くなる。


その直後、音が鈍った。


熱の流れも落ちる。


安全部品は切っていない。


機械そのものが、負荷の変化についていけていない。


ニコが腕を組んだ。


「だから、それが要るんです」


「分かりました」


蓄力器は問題を隠すための飾りではない。


なくなった機能を、本当に補っている。


レオンは負荷を切った。


次に、元の接続へ戻す。


「もう一回。同じところまで上げます」


蓄力器が働き始める。


送風は落ちない。


代わりに、綻びが太くなる。


蓄力器が力を戻すたび、綻びが太くなる。


その直後に、安全印が明滅した。


レオンはさっきニコが見せた線を思い返す。戻りの経路は、新しい保護器が見張る境界をまたいでいた。


保護器は、そこで起きた変化に反応して止めている。


レオンは試験を切った。


「両方、仕事はしています」


「困りますね」


マーヤが言った。


「片方が壊れてたほうが楽でした」


「直す側としては、そうですね」


ニコは蓄力器から伸びる線を持ち上げた。


「じゃあ、これを捨てるか」


「それだと乾燥機が負荷についていけない」


「保護器を外すのは」


「しません」


レオンが即答すると、ニコは口の端を上げた。


「ですよね」


からかっているのか確認しているのか、レオンには分からなかった。


少なくとも、嫌いなやり取りではなかった。


「守る境界はここです」


レオンは新しい保護器の位置を指した。


「外から入る供給は、全部ここを通す。設定も変えない」


「で、こいつは?」


ニコが蓄力器を叩く。


「境界の内側だけで働かせたい」


言いながら、レオンは乾燥機の側面を見る。


正規図面なら、使える接続口はもうない。


一つ増やすなら加工が必要になる。


「ここへ新しく――」


「穴を作るのは無理です」


ニコが途中で言った。


レオンは彼を見る。


「この胴、外から見るより薄いんです。削ったら持たない」


「確認したことが?」


「三年前に反対側を直した」


ニコは立ち上がり、乾燥機の裏へ回る。


「でも、こっちなら使えます」


床ぎりぎりの位置へ手を伸ばし、煤で黒くなった小さな蓋を外した。


その奥に、古い接続口があった。


「何ですか、それ」


マーヤが覗き込む。


「前の前の型の補助口。今は塞いでるだけです」


レオンは図面を思い出した。


載っていない。


少なくとも現在の整備図には。


「生きてます?」


「詰まりは見ます。でも、この位置なら蓄力器を機械側に置ける」


ニコは工具を差し入れ、内側を確かめた。


「継ぎ具は?」


「今のは合わない。工房に一個、古いのがあります。口だけなら削って合わせられる」


レオンは接続口から保護器までの経路を目で追った。


そこなら、外から来る供給の境界を跨がない。


蓄力器は乾燥機の内側だけで受け、内側だけへ戻せる。


「その継ぎ具の材質は」


「青銅系。熱はここなら持つ。圧は?」


「今の蓄力器なら範囲内です。接続面だけ確認します」


「じゃあ取ってきます」


ニコは工具を置くと、そのまま入口へ向かった。


「待ってください」


足を止める。


「何分で」


「走れば七分」


「走らなくていいです」


「じゃあ十分」


そう言って、今度こそ出ていった。


マーヤがレオンを見る。


「どうです?」


「まだ案です。実物を見てから」


「分かりました。私は外の順番を組み直してきます」


彼女も建物を出た。


残されたレオンは、開いた点検口の前へしゃがんだ。


さっきまでなら、規格外の線が多すぎる、と考えていた。


今も、その事実は変わらない。


ただ、全部を同じ理由で消せるわけではなくなった。


十分後、ニコは本当に歩いて戻ってきた。


手には、くすんだ金属の継ぎ具と薄い工具箱がある。


「これ」


レオンが受け取る。


古い。


だがひびはなく、接続面も残っている。


「削るなら、どこまでです」


「こっちを少し。設備側は触らない」


ニコは指で示した。


「厚みを残せます?」


「残す。残せないなら使わない」


返事が早かった。


レオンは頷いた。


「やりましょう」


加工はニコに任せた。


レオンが同じことをしても、時間が余計にかかるだけだ。


ニコは床へ座り込み、継ぎ具を少しずつ合わせていく。削っては当て、外しては見る。数値を読み上げる代わりに、指先で噛み合わせを確かめていた。


レオンはそのあいだ、保護器から乾燥機へ入る経路を切り分けた。


外からの供給を守る境界は変えない。


蓄力器だけを、その内側へ移す。


二人の作業が一つの場所で合流した。


「入ります」


ニコが言う。


継ぎ具は古い補助口へ収まった。


「固定します」


「お願いします」


接続を終え、レオンは一つずつ確認した。


保護器の設定は交換時のまま。


外部供給はすべて保護器を通る。


蓄力器はその先で乾燥機だけとつながる。


「試します」


最初は低い負荷。


綻びは出ない。


一段上げる。


蓄力器が吸う。


戻す。


それでも保護器の境界は静かなままだ。


レオンには、以前揺れていた継ぎ目が細く安定して見える。


「もう一段」


ニコが頷く。


負荷を上げる。


送風音が強くなった。


一瞬、継ぎ目の輪郭が揺れた。


レオンは目を離さない。


揺れは隣へ広がらず、元へ戻る。


保護器も遮断しない。


「止めないんですか」


ニコが聞く。


「今の揺れだけなら。もう一回、同じ負荷をかけます」


二度目。


同じだった。


「実荷で見ます」


外へ声をかけると、待っていた作業員が袋を一つ運び込んだ。


今度は量を半分にしない。


麦が投入口へ流れ込む。


送風が強くなる。


蓄力器が一度受け、足りないところへ戻す。


保護器は遮断しない。


乾燥機の奥から、一定の駆動音が続いた。


誰も表示板を見続けてはいなかった。


作業員は次の袋を持ってきた。


受け側では、乾いた麦が籠へ落ちる。


一荷ぶん。


その次。


止まらない。


建物の中に、さっきまで途切れていた音が重なっていく。


袋を引きずる音。


麦が落ちる音。


送風の低い唸り。


ニコは安全部品を一度見てから、レオンへ向いた。


「これ、残すんですね」


「何を」


「蓄力器。最初、全部引き直したそうな顔してたのに」


「そんな顔をしていましたか」


「してました」


否定する材料がなかった。


レオンは動き続ける乾燥機を見る。


「外して試したら、負荷が上がったところで送風が落ちました」


「だから残す」


「外せば、別の不具合を戻すだけです」


ニコは少し考えた。


「じゃあ、危なかったのはこれじゃなくて、つないだ場所」


「今回は」


「今回は、か」


ニコはその言葉を気に入ったようだった。


次の袋が運び込まれる。


彼はそちらへ向かいかけて、振り返った。


「ハルツさん」


「はい」


「さっきの、何を残して何を変えるか決める順番。今度、聞いていいですか」


「順番というほど決まっていません」


「でも、俺だけだったら保護器のほうを疑ってた」


「私だけなら、最初にこの蓄力器を外す案を出していたと思います」


ニコが笑った。


「じゃあ、ちょうどいいですね」


レオンは返事の代わりに、床へ置いてあった整備記録を取った。


今回変えた接続を、簡単な線で書き足す。


ニコが横から覗いた。


「そこまで書くんですか」


「次に開けた人が、同じ試験を最初からやらなくて済む程度には」


「俺、図は下手ですよ」


「線がつながっていれば十分です」


「それならいける」


ニコは記録板を受け取り、自分が使った古い補助口の位置を書き足した。


図面にはなかった線が、一つ増えた。


規格外の蓄力器は残ったままだ。


新しい保護器も、そのまま働いている。


その間で何を変えたのかだけが、今度は隠れていなかった。


乾燥機の奥から、次の一荷が落ちる音がした。

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