エピソード17 迷子の新入生
高校生活が始まって一週間。
春風ひまりは、新しい学校にも少しずつ慣れてきていた。
クラスには仲の良い友達もでき、お昼休みには笑い声が絶えない毎日を送っている。
それでも、一つだけ慣れないことがあった。
「また間違えちゃった……。」
広い校舎だった。
特別教室棟、管理棟、体育館棟。
桜ヶ丘学園は県内でも有数の規模を誇る学校で、一年生のひまりには、まだすべてを覚えきれない。
◇
五時間目は美術。
ひまりはスケッチブックを抱え、美術室へ向かっていた。
「確か、この階段を上がって……。」
廊下を歩く。
右へ曲がる。
さらに奥へ進む。
「……あれ?」
見覚えのない廊下だった。
「ここ、どこ?」
案内板を見る。
そこには――
『第二理科準備室』
「違う!」
ひまりは思わず声を上げる。
「また迷子になっちゃった……。」
困ったように辺りを見回していると、不意に後ろから聞き慣れた声がした。
「春風さん?」
振り返ると、そこには朝倉陽向が立っていた。
「あっ!」
「朝倉先輩!」
ひまりの表情が一気に明るくなる。
「また会いましたね。」
陽向は笑った。
「どうしたの?」
「もしかして……。」
「はい。」
ひまりは照れくさそうに笑う。
「迷子です。」
陽向は思わず吹き出した。
「正直でいいね。」
「でも安心して。」
「美術室なら反対側だよ。」
「ええっ!?」
「そんなに離れてたんですか?」
「かなりね。」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇
「ちょうど僕もそっちへ行くから、一緒に行こう。」
「ありがとうございます!」
二人は並んで歩き始める。
廊下には昼下がりの日差しが差し込み、窓の外では野球部の元気な掛け声が聞こえていた。
「高校生活はどう?」
陽向が尋ねる。
「すごく楽しいです!」
「友達もできました!」
「でも……。」
「校舎だけは難しいです。」
ひまりは苦笑する。
「毎日どこかで迷ってる気がします。」
「そのうち慣れるよ。」
「僕も一年生の頃は迷ってた。」
「朝倉先輩も?」
「もちろん。」
「職員室に行こうとして体育館まで歩いたことがあるよ。」
「えーっ!」
ひまりは声を上げて笑う。
「先輩でもそんなことあるんですね。」
「あるある。」
二人の笑い声が静かな廊下へ響いた。
◇
美術室へ到着すると、授業開始までまだ少し時間があった。
「助かりました。」
ひまりは深く頭を下げる。
「ありがとうございました。」
「また迷ったら遠慮なく聞いて。」
「はい!」
陽向は教室へ戻ろうと歩き出す。
するとひまりが小さく声を掛けた。
「あの!」
陽向が振り返る。
「また会えますか?」
その言葉に陽向は少し驚き、すぐ優しく微笑んだ。
「もちろん。」
「学校の中なら、きっとまた会えるよ。」
「はい!」
ひまりは嬉しそうに笑った。
◇
授業終了後。
放課後の廊下。
ひまりは友達の佐藤奈々と話しながら歩いていた。
「ひまりって、本当に元気だよね。」
「そうかな?」
「うん!」
「さっきも廊下で楽しそうに笑ってたでしょ?」
「あっ。」
ひまりは少し照れる。
「優しい先輩が案内してくれたの。」
「もしかして恋?」
「ち、違うよ!」
慌てて否定するひまり。
奈々は笑いながら言う。
「顔、赤くなってるよ。」
「もう!」
ひまりは恥ずかしそうに頬を押さえた。
◇
その日の帰り道。
四姉妹はいつものように一緒に歩いていた。
「今日はどうだった?」
美咲が尋ねる。
「また迷子になっちゃった。」
ひまりは苦笑する。
「でもね。」
「朝倉先輩が助けてくれたの!」
葵が微笑む。
「また会えたんだ。」
「うん!」
「すごく優しい先輩なんだよ。」
結衣も穏やかに頷いた。
「それは良かったね。」
ひまりは夕焼け空を見上げる。
不思議だった。
学校はまだ覚えることばかり。
毎日新しい出来事ばかり。
それでも、朝倉陽向と会うたびに、不安よりも安心する気持ちの方が大きくなっている。
まだ恋ではない。
けれど、「また会いたい」と思える人が学校にいることが、毎日の楽しみになり始めていた。
迷子になった一日。
けれど、その迷い道の先には、ひまりにとって大切な出会いが待っていた。
そして、この小さな偶然は、やがて二人だけの特別な青春へと、静かにつながっていくのだった。
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