エピソード9 初めての応援席
県大会予選まで、あと一週間。
私立桜ヶ丘学園女子バスケットボール部は、県内でも有力校との練習試合を迎えていた。
会場は市立総合体育館。
休日の朝にもかかわらず、多くの保護者や他校の選手たちが集まり、館内は試合前の緊張感に包まれていた。
女子バスケットボール部の部員たちは、ウォーミングアップを始めている。
「パス、もう一本!」
「ナイス!」
春風葵はチームの中心となって声を掛け続けていた。
その姿を、観客席から静かに見つめる人がいた。
神崎蒼真だった。
今日は怪我の治療で長時間立ち仕事ができないため、顧問から「今日は応援席で試合全体を見てほしい」と指示されていた。
初めて、コートではなく応援席から仲間たちを見守る日だった。
◇
試合開始。
相手は県大会常連校・白鷺高校。
開始直後から激しい攻防が続く。
「ディフェンス!」
「戻って!」
観客席からも大きな声援が飛ぶ。
蒼真はノートを片手に試合を見つめていた。
相手の攻撃。
味方の動き。
タイムアウトのタイミング。
一つひとつを書き留めていく。
「すごい……。」
改めて見ると、コートの中で走り続ける葵の姿は誰よりも輝いて見えた。
苦しい場面でも下を向かない。
味方が失敗しても励ます。
自分が疲れていても、一番大きな声を出してチームを引っ張る。
「これが……春風先輩なんだ。」
自然と尊敬の気持ちが大きくなっていく。
◇
前半終了。
三十四対三十四。
同点。
部員たちはベンチへ戻る。
蒼真は急いでタオルや飲み物を準備した。
「春風先輩。」
「ありがとう。」
汗を拭きながら笑顔を見せる葵。
「応援席から見るとどう?」
葵が尋ねる。
蒼真はノートを開いた。
「相手は後半になると速攻が増えます。」
「それから。」
「センターの選手が左側へ流れる癖があります。」
森田先生も横からノートを見る。
「よく見ているな。」
「ありがとうございます。」
「この情報を使おう。」
先生はすぐに後半の作戦を組み立て始めた。
葵は蒼真を見つめ、嬉しそうに笑う。
「頼りになるね。」
その一言だけで、蒼真の胸はいっぱいになった。
◇
後半。
蒼真が気付いた相手の癖を利用した守備が見事に決まる。
相手のエースを何度も止めることに成功した。
「ナイス!」
「一本!」
葵の声が体育館中に響く。
チーム全員が一つになっていく。
試合終了。
六十八対六十三。
桜ヶ丘学園の勝利だった。
観客席からも大きな拍手が送られる。
◇
試合後。
部員たちは体育館の外でクールダウンをしていた。
「今日は本当に助かった。」
森田先生が蒼真の肩を軽く叩く。
「応援席だから見えたこともあっただろう。」
「はい。」
「すごく勉強になりました。」
先生は満足そうに頷く。
「これからも頼むぞ。」
「はい!」
◇
夕方。
体育館を出ると、空は優しい茜色に染まっていた。
駅へ向かう道を、葵と蒼真は並んで歩く。
「今日は応援席だったね。」
「少し悔しかったです。」
蒼真は苦笑した。
「みんなと一緒に動きたかったので。」
「でも。」
葵は優しく笑う。
「応援席だからこそ見えたことがあった。」
「蒼真くんのおかげで勝てた部分もあるよ。」
「そんな……。」
「本当。」
葵は真っ直ぐな瞳で言った。
「プレーする人も大切。」
「支える人も同じくらい大切。」
「だから、これからも一緒に戦ってほしい。」
その言葉に蒼真は立ち止まる。
夕日が二人を照らしていた。
「はい。」
「これからも、ずっと応援します。」
その返事を聞き、葵は安心したように微笑む。
「ありがとう。」
二人は再び歩き始める。
コートの上だけが試合ではない。
ベンチも、応援席も、マネージャーも、すべてがチームの一員。
そのことを改めて実感した一日だった。
そして、初めて座った応援席から見えた景色は、蒼真にとっても、葵にとっても忘れられない青春の一ページとなるのだった。
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