第2話 星の王子様
大型医療ホビーショップ『トイザめス』。
かつては、ぬいぐるみ、ボードゲーム、変形ロボット、カードパックなど、さまざまな玩具が売られていたらしい。
だが、大医療時代となったいま、その売り場は一変していた。
右を見れば、バディ。左を見れば、オペギア。奥に進めば、交換用の心臓パーツ、初心者向け縫合糸セット、対象年齢六歳以上の携帯麻酔銃。
そこはもはや、倫理観が完全に消失した患者売り場だった。
「す、すげぇ……!」
切札零は、店の入口で思わず声を漏らした。目の前に広がるのは、ずっと夢に見ていた光景だった。
棚一面に並ぶバディのパッケージ。ポップには、赤や黄色の派手な文字が躍っている。
『初心者でも安心! 痛がりにくい!』
『縫いやすい関節構造!』
『はじめての切断にぴったり!』
『本日発売! 大人気バディ・付根モグ!』
ゼロの目当ては、まさにその新発売バディだった。
『付根モグ』
四肢をもがれても微動だにしない驚異の安定性と、どこからでもオペテクを決めやすい素直な身体構造で、発売前から全国の小学生オペラーたちの注目を集めていた初心者向けバディである――定価、6,800円。
ゼロの小遣い貯金でも、ぎりぎり手が届く夢のバディだった。
「すみません! 付根モグ、ください!」
ゼロはレジカウンターに駆け寄り、息を弾ませながら叫んだ。だが、店員のお兄さんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「あー、ごめんね。付根モグは、開店五分で完売しちゃったんだよ」
「ご、五分!?」
「予約分も全部出ちゃってね。次回入荷は未定かな」
ゼロの身体から、力が抜けた。
「そんな……」
だが、まだ諦めるわけにはいかない。一時には、セキクロス公園で赤城ミナと勝負する約束がある。バディがなければ、勝負以前に罰ゲームだ。
ゼロは慌てて店内を駆け回った。
6,800円の安価なバディ――売り切れ。
5,999円の型落ちバディ――売り切れ。
在庫処分コーナーの訳ありバディ――売り切れ。
「なんでだよ! どこにもないじゃん!」
残っているのは、ガラスケースの中でライトアップされたハイエンドモデルだけだった。
『限定高機動バディ・メタル肝之助』――税込、88,000円。
『上級者向け多臓器同時換装対応バディ・臓王丸』――税込、124,000円。
『プロオペラー監修モデル・泣かない源三郎』――価格、店員にお尋ねください。
「尋ねるまでもなく無理だろ……」
ゼロは肩を落とし、店を出る。自分よりも年下の男の子が、店先で新品のバディ箱を開けていた。
「わーい! あたらしいバディだ!」
箱の中から出てきた付根モグが、にこやかな顔で親指を立てている。
『もがれても、だいじょうぶ!』
「いいなぁ……」
ゼロは思わず立ち止まった。だが、見ていても自分のバディが手に入るわけではない。
トイザめスは、かつて子どものための玩具屋だったという。しかしいまでは、ハイエンドモデルを中心に売る高級医療ホビーショップになってしまった。
ゼロは唇を噛み、店を出た。
◇
それからゼロは、普段とは違う道を選んで歩いた。
もしかしたら、コンビニに残っているかもしれない。
もしかしたら、個人商店に売れ残りがあるかもしれない。
もしかしたら、誰も気づいていない場所に、安いバディが一体くらい残っているかもしれない……。
だが、現実は甘くなかった。
一軒目のコンビニ――売り切れ。
二軒目のスーパー――売り切れ。
三軒目の小さな模型店――売り切れ。
新モデルの付根モグが発売されたせいで、店先では買えなかった子どもたちが泣き叫び、その子どもたちをなだめるために、親たちが旧モデルのバディを次々と買い与えていた。
その結果、街中から手頃なバディが消えていたのだ。
「なんで今日なんだよ……!」
ゼロは走った。太陽は高く昇っている。もうすぐ、時刻は昼を回る。
このままでは、約束の一時に間に合わない。
バディがなければ、ミナとの勝負どころではない。
「くそっ……このままじゃ、本当に口だけゼロじゃんか……!」
そのときだった。ふと、ゼロの目に入ったものがある。
普段はシャッターが下りている、古びた店。色あせた看板には、かすれた文字でこう書かれていた。
『駄菓子 星野』
「……あれ? ここ、開いてる?」
ゼロは足を止めた。その店は、いつ通っても閉まっていたはずだった。だが、今日は半分だけシャッターが上がっている。
中から、段ボールを動かす音が聞こえた。ゼロは、なぜかその店から目を離せなかった。
惹かれるように、シャッターの下をくぐる。
「すみませーん……」
薄暗い店内には、懐かしい甘い匂いが残っていた。
木の棚には、古い駄菓子の箱。壁には、色あせたポスター。床には、整理途中の段ボールがいくつも積まれている。
その奥で、大学生くらいのお姉さんが、駄菓子の入った段ボールを片付けていた。
「あら、お客さん?」
お姉さんは驚いたように振り向き、それから少し困ったように笑った。
「ごめんね。ここ、もう店じまいするの」
「店じまい……?」
「うん。ここ、おばあちゃんがやってたお店なんだけどね。入院してから、ずっと閉めてたの。先日、おばあちゃんが亡くなったから、この店も売り払うことになって」
「……そう、なんですか」
ゼロは少しだけ声を落とした。店内の空気が、急に静かになった気がした。お姉さんは、積み上げた段ボールを見て、小さく息を吐く。
「片付けてたら、昔のお菓子とか、よく分からない玩具とか、いろいろ出てきてね。まあ、ほとんど処分なんだけど」
「よく分からない玩具……?」
ゼロは、何気なく店の奥へ目を向け――その瞬間、息が止まった。
古びたアイスケースの隣。店の片隅に、小さな冷凍ケースが置かれていた。透明な扉の内側に、白い霜が張りついている。
その奥に、一つだけ、銀色のパッケージが眠っていた。ゼロは駆け寄った。凍ったガラス越しに、かすれた文字が見える。
『STARモデル001』
「バディ……?」
聞いたことのないモデル名だった。付根モグでもない。有名メーカーのロゴもない。最新型どころか、箱の角はつぶれ、ラベルは半分はがれかけている。
けれど、その箱からゼロは目を離せなかった。
「お姉さん! これ、売り物ですか!?」
「え? ああ、それ?」
お姉さんは冷凍ケースを覗き込んだ。
「何だろうね、それ。たぶん、昔のバディかな。おばあちゃん、変なものを仕入れるの好きだったから」
「買います!」
ゼロは即答した。
「これ、買わせてください!」
「ええ? 本当に? 古いよ? 生きてるかどうかも分からないし」
「お願いします! 今日、どうしてもバディが必要なんです!」
お姉さんは、ゼロの顔をじっと見た。それから、少しだけ目を細める。
「……そっか」
お姉さんは冷凍ケースの鍵を開け、銀色のパッケージを取り出した。霜のついた箱を、そっとカウンターに置く。
「最後のお客さんが、人間を買いに来るとは思わなかったけどね」
「人間……」
「いいよ。三百円で」
「さ、三百円!?」
ゼロは目を丸くした。
「そんなに安くていいんですか!?」
「うん。どうせ処分するつもりだったし。おばあちゃんも、誰かに持っていってもらえるほうが喜ぶと思うから」
ゼロは慌てて財布を開き、十円玉と五十円玉をかき集めた。ちょうど三百円――それは、母に渡された一万円ではない。
ゼロが自分で貯めた、自分のお金だった。その三百円で足りたことが、ゼロにとっては、ほとんど奇跡みたいだった。
「ありがとうございます!」
ゼロは深々と頭を下げた。
お姉さんは、くすりと笑う。
「せっかくだから、開けてみたら?」
「えっ、ここでですか?」
「うん。最後のお店だし、最後のお客さんだし。ちょっと見てみたいな」
ゼロは銀色のパッケージを見下ろした。冷たく凍った箱。聞いたことのないモデル名。三百円の、古いバディ――だけど、なぜか胸が高鳴っていた。
「……よし」
ゼロは、パッケージの封を切った。
プシュウウウウウ……。
白い冷気が、店内にこぼれ出す。
その中から、ゆっくりと一人の少年が姿を現した。
小柄な身体に白い肌、閉じられたまぶた。そして、七色の銀河を思わせる、不思議な髪。光の角度によって、藍色にも、紫にも、金色にも見える。まるで、小さな夜空をそのまま閉じ込めたような髪だった。
「きれい……」
お姉さんが、思わず呟いた。
ゼロも言葉を失っていた。
三百円の型落ちバディ――誰にも買われず、冷凍ケースの奥で眠っていた少年。なのに、その姿は、ゼロがトイザめスで見たどのバディよりも、不思議に見えた。
やがて、少年のまぶたがゆっくりと開く。その瞳にも、星のような光が宿っていた。
少年は、ゼロを見上げる。そして、抑揚の少ない声で告げた。
「STAR001です。初期設定を開始してください。マスターの名前と、私の名前を決定してください」
そう言ってから、少年は少しだけ不安そうに視線を揺らした。
「……できれば、痛くない名前だと嬉しいです」
ゼロの胸が、ぎゅっと鳴った。
痛くない名前――それが、初めて目を覚ましたバディの最初の願いだった。
「俺は切札零。今日から、お前のマスターだ」
「マスター名、切札零。登録しました」
少年は小さく頷く。ゼロは、少年の七色に光る髪を見た。冷凍ケースの中で眠っていた、小さな銀河みたいな髪。
「お前の名前は……」
ゼロは、まっすぐ少年を見た。
「ホシだ!」
「ホシ……」
少年は、自分の胸に手を当てた。その声は、さっきよりも少しだけ柔らかかった。
「登録しました。私は、ホシです」
ホシは、ほんのわずかに笑った。冷凍ケースから生まれた、小さな星。
こうして、切札零は初めてのバディを手に入れた。
価格、三百円――価値、測定不能。




