家庭内会話。
駅から10分ほど歩き、見慣れた住宅街に入る。
僕の家は、古くからの新興住宅地の一角にある。そして、そのすぐ隣には、僕の人生のすべてにへばりついている「あの家」がある。
白を基調とした、少し年季の入った2階建ての一軒家。
水瀬家。
そこに、――水瀬 美幸が住んでいる。
彼女は僕とは違う、都内の女子大学に通っている。高校時代に僕が勝手に自滅して以来、僕たちの関係は完全に凍結していた。親同士は今でも仲が良いが、僕と美幸は、たまに家の前ですれ違った時に、お互い目も合わせずに小さく会釈をする。それだけの関係だ。
「ただいま」
誰もいない家に帰り、自分の部屋である2階へと上がる。
僕の部屋の窓を開けると、ちょうど4メートルほどの空間を挟んで、彼女の部屋の窓が対向している。
彼女は相変わらず物静かで、派手な大学生活を送っている様子もない。その「変わらなさ」が、逆に僕の胸を締め付ける。
「あ、透、お帰り。ちょうど今、隣の水瀬さんと立ち話してたんだけどね」
夜、リビングで夕飯を食べていると、母親が何気なく味噌汁をすする手を止めて言った。
「美幸ちゃん、新しい大学の課題がすごく大変みたいでね。なんか、提出物を英語でまとめなくちゃみたいで、最近ずっと悩んでるらしいわよ。透は、大学行く途中で美幸ちゃんと会ったりしてないの?」
「……大学行く時の路線が違うんだから、会うわけないだろ」
僕は冷たく返し、箸を動かした。
「そうよねぇ」と母親は特に気に留める様子もなく話を終えたが、僕の脳内には、今の一言が強烈なノイズとなって突き刺さっていた。
自室に戻り、ベッドに倒れ込む。
親の口から「また聞き」する、彼女の近況。自分が直接声をかける勇気はないのに、こうして間接的に彼女の情報が流れ込んでくるたびに、僕の脳は勝手に彼女の状況を分析し始めてしまう。
『助けてやりたい』と一瞬思った脳を、もう一人の自分が冷笑する。
――お前、またそうやって『天才の俺が助けてやる』って優越感に浸りたいだけだろ。あいつを好きなフリをして、自分のプライドを満たしたいだけだろ。お前が抱いているのは、恋なんかじゃない。ただの醜い過去への執着だ。
「うるさい……」
自分の感情の正体がわからない。
もし、この感情が純粋な恋ではなく、ただの過去への未練だとしたら、僕が今更彼女に関わろうとすることは、彼女の人生に対する最大の迷惑でしかない。
だから、俺は何もしてはいけない。このまま、関わらずに、死んだように生きるのが正解なんだ。
そう自分に言い聞かせるために、僕は記憶の引き出しを乱暴に開けた。
なぜ、僕はここまで歪んでしまったのか。
あの、すべてが始まった高校時代の、決定的な後悔の記憶へと、僕の意識は深く沈んでいった。




