36 魔人の棲家 ーギダー
あれからまた嵐がやってきて、次の凪が訪れた朝。
ギダは村の何人かと共に、落ちた木の実やハザの新芽を採りに森を出た。すぐ近くに魔物の岩が見える。
「おい。ギダ。あんまり近づくな。」
監視役としてついてきた7歳年上のコパが、少し腰の引けた声でギダに注意した。
「あ、うん。でも、あの辺、新芽が多い。」
たしかに、魔物の岩に近づくに従って、ハザの枝先に萌えるような緑が多い。
が、新芽のことはギダの言い訳にすぎない。ギダは、近くでマナハが見られないか、あわよくば声をかけられないか、と期待しているのだ。
今日は監視の大人が、コパ1人しかいない。
ギダはハザの新芽を摘みながら、どんどんと魔物の岩の方に下りていった。ハザの新芽は半分ほど摘んで、あとは残しておく。
ハザは強い植物だ。嵐や洪水になぎ倒されても、その強靭な茎の復元力ですぐに頭をもたげてくる。実も、年に何度も付けてくれる。
それでも新芽を採り過ぎれば、数が減って貴重な実の収穫が減る。
「おい、ギダ。あんまり近づくな。」
後ろからついてきているコパが声をかけたとき、あの呪いの線に沿って、ぽかり、と岩の表面に穴が開いた。
ざっ! とコパがハザの茂みにしゃがんで身を隠す音が、ギダの背後で聞こえた。
ギダも姿勢を低くして、ハザの茂みの中に隠れる。出てくるのは、マナハとは限らない。
が、ひょこっと顔を出したのは、やはりマナハだった。
「マナハ!」
ギダは思わず、口の中で小さくその名を声に出した。
後ろをふり返ると、コパが怯えた表情で首を横にぶんぶん振っている。行かせたら、コパも責任を問われるかもしれない。
ギダももう8歳だ。まるっきりの子どもではない。少しは分別もできている。村人の迷惑になるかどうかくらいは判断ができるし、自分の気持ちだけを優先させてはいけないくらいのことは分かっている。
マナハの顔が見られてよかった・・・。
今日はこれで満足しよう。
マナハはやはりあの袋を持っていて、キョロキョロとあたりを見回している。
そうして、背の低いハザの草むらを、あっちに行ったりこっちに行ったり、覗き込んでみたりしている。
前回のときは、わりと早めに岩の中に戻っていったが、今日はマナハはなかなか戻ろうとせず、そうして草むらをうろうろしていた。
あれはたぶん、おれを探してるんだ。とギダは思った。そう思ったら、姿を見せてマナハの名を呼びたくてたまらなくなってしまった。
でも、今はだめだ。長老の許しが得られていないし、コパまで巻き添えにしてしまう。
それに、暑い。木陰のないこのあたりの気温は、どんどん上昇してきている。ギダたちも、早く森の中に帰らなければ・・・。
マナハ。そのうちに長老の許しをもらって、また会いに来るから——。
ギダはマナハの姿を目に焼き付けてから、くるりと向きを変えてコパのいる方へ戻ろうとした。
その時だ。
「ギダ!」
背後でマナハの声が聞こえた。
ふり返ると、ハザの茂みが薄くなった部分で、ギダの姿がマナハの視界の中に現れてしまっていた。
マナハが、泣きそうな笑顔をしてギダを見ている。
が、そのすぐあと、マナハの目が宙に泳いだ。そのまま、ぱたっ、と草の上に倒れてしまう。
「マナハ!」
ギダは長老の指示も忘れて駆け寄った。
「ギ・・・ダ・・・?」
マナハは少し笑顔を見せたが、すぐに目がうつろになる。
コパも駆け寄ってきた。
「これは・・・!」
コパがマナハの額に手を触れる。
「暑いところに長くいると人間にも起こる症状だ。魔人もたぶん、同じなんじゃないかな? とにかく、あの穴の中に戻そう。」
ギダとコパでマナハを支えて、岩の穴の方へ、えっちらおっちらと運んだ。
マナハは苦しそうにしながらも自分の足も動かして、どうにか3人は岩の穴の中に入り込むことに成功した。
岩の中も、外側と同じようにツルツルしていた。そうではあっても、外と違って不思議な形の出っ張りが複雑に絡み合うようにしてそこら中を覆っている。
岩のはらわただ。——と、ギダは思った。
寒い。
外はあの気温なのに、中は異様なほど寒かった。魔人は、こんな寒いところに棲んでいるのか?
そうだとしたら、外のあの暑さは人間以上にこたえるだろう。そんな中でマナハはおれを探し続けていたのか?
「マナハ。ごめんよ。おれは、ちゃんとマナハのこと、見てたんだけど・・・。」
たぶん、名前の部分以外は何も伝わらないだろう。ギダはそうは思ったが、言葉にせずにはいられなかった。
「ギ・・・ダ。〜〜♪ o)”(ー。。・・・」
横になったままだったが、マナハが少し笑顔を取り戻してギダの名前と何かを歌うように言った。
「ギダ、出よう。ここは寒いし、いつ魔物がやって来るか分からない。」
コパが自分の体を両腕で包むようにして、ぶるっ、と震える。
「うん。コパ、ありがとう。」
マナハを助けてくれて——。魔物の岩の中にまで入るなんて、ものすごく勇気のいることだろうに。
「コパは、勇敢だな。」
ギダが素直すぎるほどの眼差しでそう言うと、コパは少し照れたような誇らしいような微笑を見せた。そして、大人としての威厳も少しだけ作って見せた。
寒い岩の中にきて、マナハは少し回復したらしい。上体だけを起こし、ギダの名前を呼んで微笑みを見せた。
手に持った袋をギダの方に差し出す。少し弱々しいが、相変わらず美しい声で歌うように何かを言った。
その中にギダの名前と「○ 〜 ))。」という発音が混じっていたように聞こえた。
「○ 〜 ))。おれにくれるの?」
そう訊いてみると、マナハが嬉しそうに、にこっと笑う。言葉は分からなくても、気持ちは通じているみたいだ。
ギダが手を伸ばしてそれを受け取ると、マナハはもっと嬉しそうに笑った。だいぶ元気になってきたようだ。よかった・・・。
「出よう、コパ。ここは寒い。」
ギダも両手で体を包んで、ぶるるっと震える。
「サ・ムイ?」
と、マナハがその発音を真似した。
ギダは驚いた。そして、すごく嬉しくなった。
マナハが言葉を1つ、覚えてくれた——?
「そう。寒い。ここはおれたちには寒いんだ!」
ギダは笑顔になって、体をぶるぶる震わせて見せた。
「サ・ムイ!」
マナハもその意味が分かったらしく、目を輝かせて同じように発音してくれた。それから、「サ・ムイ」の発音を混ぜながら、また歌うように何かを言った。
「コパ! 聞いた? マナハがおれたちの言葉を覚えてくれた!」
ギダが興奮してコパに話しかける。コパは目を白黒させるばかりだ。
長老になんて報告すればいいんだ? この経験を・・・。
ギダたちが岩の外に出てもう一度ふり返ると、マナハは座ったまま笑顔で手を振っていた。
あれは「また会おう」というサインだ。
ギダも満面の笑みで手を振って合図した。
うん。きっとまた会おう! マナハ!




