37 後ろめたさ ーナオミー
痛みではなく、冷たくぬるぬるとした憎悪が、突き立ったナイフから滲み出して内臓を蝕んでゆくのを感じる。
このまま死ぬのか? わたしは・・・。
あれは・・・、まだ少年だった・・・。
* * *
人類が、自然環境から閉め出されて久しい。
かつて「環境にやさしい」なんていう驕った言葉があったんだ——と亡くなった祖母から聞いたのは、ナオミがまだ10歳くらいの頃だったか。
祖母がまだ10代になる前に、そんな言葉は無くなってしまい、代わりにしきりと聞くようになったのは「環境災害」という言葉だったという。
人新世という言葉が表すように、人類自身が地球環境を壊してきたのだが、その根本的な解決を見出すことができないまま、人類はとりあえず、生き延びるための対策=防災対策を講じ続けることしかできなかった。
その「工事」を行い、残り少なくなった環境資源を奪い合うことは、さらに人類自身の生存環境を狭めていくことになった。
その行き着いた果てが、環境災害から身を守り、閉じこもるためのシェルターシティだったのだ。
サピエンス(賢い)なんて名は、返上した方がいい。
ナオミは生まれた時からシェルターシティの中にいる。外に出る——というのは、ナオミの時代には「危険なこと」とされ、子どもには許されていなかった。
そんな「外」に、まだ取り残されている人々がいる。ということを知ったのは、ミドルスクールに入って「近代環境史」を学ぶようになってからだった。
当時14歳だったナオミは、かなり衝撃を受けた。
なぜ、その人たちも中に入れてあげないのだろう?
ミドルスクールで持った素朴な疑問に、先生の答えは「シェルターシティの容量を増やす努力はしているが、追いついていないのだ」というものだった。
やがてハイスクール生になって、それはただのタテマエだと知ることになる。全員を受け入れるには、この国の資源が足りないのだ。特に食糧資源が——。
今の自然環境では、食糧を生産できる地域は限られている。そういう国や地域は、決して食糧を輸出することはない。
洪水と旱魃を繰り返すナオミの国では、屋外での食糧が生産できるような場所はわずかしか無かった。そういう場所は厳重に管理され、許可証を持った者しか入ることはできないようになっている。
食料の大半は工場で生産されている。穀物工場、野菜工場、生肉工場・・・。それらを動かすエネルギーの大半は太陽光に頼るしかない。
使えるエネルギー資源にも限度があるのだ。
環境中から生物資源を採ることは、ほとんどの生物種について国際的に禁止された。ナオミが生まれるずっと前の話だ。
再び、人類が生きられる生態系が戻ってくることを期待して——だったが、誰の目にもそれは手遅れに見えた。
多くが(特に動物種が)絶滅危惧種であり、実際、条約に違反しようにも人間が食べられるような魚などは役に立つほど採れるものではなかった。
一部の犯罪組織が「密猟」をして、富裕層に「高級食材」として売っていた時期もあったが、それも成り立たなくなった。
養える人口に上限がある。
それがシェルターの外に大勢の人を取り残さなければならなかった本当の理由である。
もちろん、政府はそんなことは表立っては言わない。
言わないが、近代環境史が示す数字をつぶさに追ってゆけば、それが冷厳な事実である、ということを認めざるを得なくなる。
政府のシェルター建設は、ある時期を境にぴたりと止まったままだ。
今は、取り残された人数すらもう把握できなくなってきている。100万人とも言い、既に生き残っているのは4〜5万人だとも言う。
シェルター内にいる人々は、そのことに触れようとしない。
運よくこちら側にいる人々にとっても、資源量は決して余裕のあるものではないのだ。
かつては、ナオミの母親なども、NGOのボランティアで「外」の人々に食料を含む生活必需品を届ける活動をしていたが、それも先細りになっていつしか行われなくなってしまった。
そもそも、外に持ち出せるような食料が手に入らないのだ。
「私たちは、できる限りのことをしたわ。」
母親は幼いナオミにそんなふうに言ったものだった。
そうした記録も、今ではあまり人目に触れない。
都市政府が隠しているわけではなく、人々が目を背けているのだ。ナオミもまた気がつかないふりをしている。
時々起こるアウターギャングの食糧庫襲撃は眉をひそめるだけの対象であり、なぜそれが起こるのか、という根本的な問いには誰も触れようとしなかった。
だって、この時代の中で、自分の人生をそれなりに幸福に生きようと思うなら、触れない方がいいものってあるじゃないの。




