第七十話 ファニー・クリスマス
パァンッ!!パァンッ!!パァンッ!!
3発の銃声が木々の鳥を羽ばたかせた。
前に出ていた兵長はゆっくりと脱力して地面へと倒れた。
「兵…長…?」
ショックを隠せないアバカロヴァ、視線を上げると煙を吐く拳銃を握っていたコチェグラが立っていた。
クチンスカヤは急いで兵長の元へと駆け込んで抱きかかえる。目は虚ろで虚空を見ていたが白い吐息でかろうじて息画あることがわかった。
「なんで味方をッ!」
「督戦隊、前へ」
コチェグラが命令を出すと木の後ろから短機関銃や軽機関銃を携えた北ナ連の兵士たちが続々と現れた。
「督戦隊…まさか……あの…ッ!?」
「前線から逃亡した兵士は味方が直接制裁を加える。それが我が国のやり方です」
「クソみたいなやり方だなッ!」
「そのクソみたいなやり方に殺されるのが君たちですが。
時間をあげましょう、直ちに前線へと戻り戦闘を継続すれば見逃します」
「どうして兵長を撃った…!」
「敵前逃亡の罪を教育するためです。さぁ早く戻りなさい。退却は許しません。
司令官命令、『死守』を命じます」
それは文字通り、死ぬまで戦えという命令だった。背後にはコチェグラと督戦隊が張り込み自軍の兵士を戦場に追い立てている。進むも地獄、下がるも地獄の無間地獄の完成だ。
「ふざけてる、督戦隊に機銃回すんだったら少しでも前線に回してくれたっていいでしょ!」
アバカロヴァは強く出てみたがコチェグラが拳銃を向けるとそれ以上なにも言えなかった。
「わかった、前線に戻る。アバカロヴァ、戻ろう」
クチンスカヤは兵長を背負い一歩、戦場へ向け歩く。
アバカロヴァも手伝おうと駆け寄って二人がかりで兵長の身体を支えた。
「…覚えておいて総司令官、この所業。弾丸にして返すから」
コチェグラに対してクチンスカヤは強気な捨て台詞を吐いて前線に向かっていった。
湿った血の匂いと銃の薬莢の匂いが全身を包む。暗がり始めた空からポロポロと剥がれ落ちた塗装のような粉雪が3人に降り注ぎ始めた。
「兵長、大丈夫ですから…」
ぐったりとした彼女の腹部から流れ出る鮮血の温度が背中越しに伝わってくる。その生温かさは、この非日常の世界の中で自分が生きていることを実感させるには十分だった。
白い息が頬を撫でて流れていく。背中に担いだ兵長は弱々しい声でこう言った。
「降ろせ…クチンスカヤ…」
「何言っているんですか…!とにかく治療すれば大丈夫です、衛生兵にお願いして…」
「いいんだ……。もう助かりそうもない」
「そんなこと言わないでください!」
降り積もる雪が足場を悪くした。滴る流血が積雪の上に足跡と共に残る。
やがて兵長は後ろにドサッと倒れてしまった。
「なぁ……みんな言う通りだったよ。やっぱりおじさん、軍人向きじゃないらしい。こんな無様な死に方をするなんて思わなかった」
「兵長……!」
兵長の顔は青白く、アバカロヴァの目にももう死期が近づいていることがはっきりとわかる。わかっていたからなのか、彼女はただ立ち尽くしてうつむいていた。
「…英雄が泣くんじゃない。泣きたくないから英雄になったんじゃないのか」
それを聞いたクチンスカヤは両目の涙を手の甲で擦って拭う。しかし拭っても拭っても、それは溢れ出てくるばかりだった。
「…悪いな、泣かせちまって」
兵長がゆっくりと手を伸ばした。その手を掴むと氷のように冷たかった。
クチンスカヤはギュッと握りしめると兵長は笑った。
「お先」
最後に呟かれた言葉は誰に向けたものなのか、それはきっと本人にしかわからないだろう。
やがて彼女は動かなくなった。
「ううっ…うっ…ッ…!」
声にならない叫びをあげながら彼女は彼の亡骸を抱き抱えた。冷たい体からは、もうあの温かい匂いはしなかった。
兵長の安らかな顔に空が粉雪を死に化粧を施すように飾る。
まるで一人の死を祝福しているかのように。
クチンスカヤとアバカロヴァは冷たい凍土を携帯スコップで掘って墓穴を作った。そして兵長の遺体を納めて埋め終わる頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
二人は肩を寄せ合いながら歩き出した。散々歩いて泣いて疲れた彼女たちはひたすら前線へ向かって盲目的に歩み続けた。その姿はもはや戦い疲れた兵士というより終末に取り残された哀れな孤児にすら見えた。
やがて雪に埋まった友軍の死体が残るも塹壕にたどり着いた。戦いは終わっていたようだ。一言も喋らず半ば魂が抜けたかのように放心していた二人はそのまま泥のように眠った。
涙の跡も凍る夜。しばらく眠っていると重く閉じていた瞳の隙間をすり抜けた石油灯の灯りでクチンスカヤは目を覚ました。
「よぉ、メリークリスマス」
ほのかな灯りをぶら下げて腰を曲げていたのはシュヴァルツ大尉だった。
「風邪引くぞ、てっきりここには死んだ敵兵しかいなと思っていたが。ずっとここにいたのか?隣の奴は戦友か?」
クチンスカヤはただし静かに首を縦に振って肯定した。
「そうか、こっちに来い。ここじゃ寒いだろう。退避壕があるからそこに行こう」
彼女はそう言う。クチンスカヤはアバカロヴァを背負って歩いた。
退避壕とは敵の砲撃や爆撃から身を守るための簡易的なシェルターである。とは言っても壁は土で、地面は板材で補強されている程度で快適とは言えない。それでも外にいるより遥かにマシだ。それに外は氷点下なので屋内の方が暖かく感じられた。
携帯用のカンテラを中央に置くと二人の影が壁に伸びた。
「俺たちは予定通り紅旗軍を追い払って旧国境付近まで部隊を進められた。この戦果に総統も銃後国民も歓喜するだろうな、決行日は1月14日に決まっている。その日までに全領土を戦前の状態まで奪還してこの茶番は終わり。ジ・エンド」
クチンスカヤは浮かない顔をして灯りを見つめている。
「…なにか嫌なことでもあったか、以前会ったときはもうちょっとこう…好戦的というか、意欲に溢れていた気が…」
「私の上官が死んだ」
その発言を聞きシュヴァルツは崩していた姿勢を直す。
「それはお気の毒に……。どんな人だったんだ」
「優しい人。孤独な私達の側にいつもいてくれた。私が両親を失っていることを知ったときも一緒に泣いてくれた。私はあの人のことが好きだった。とても優しくて勇敢な人。私の腕の中で…静かに死んだ」
彼女の瞳には涙が滲んでいた。それを見たシュヴァルツは何か言葉をかけようとしたが結局何も言わなかった。そして自分の感情を押し殺して話を続けることにした。
「わかるぜ気持ちは。俺だってそうだ。今まで多くの仲間が死んでいった。みんないい奴らばかりだった。でもそいつらの死に方は様々だった。銃殺された者、捕虜になったまま帰ってこない者、地雷で吹っ飛んだ奴もいた。看取ってやれたやつなんて一人…ぐらいしか知らないな。皮肉にも俺を殺しに来た暗殺者の曹長だったが」
再度沈黙が流れる。
「すまん、こんな湿っぽい話をするつもりはなかったんだ。そういえばさっき十二時を回ってな、もうクリスマスなんだとよ。ずっと戦場にいると曜日感覚が狂うよな」
「こんな陰鬱としたクリスマス初めて」
「そうか?俺はアリだぜ」
「えっ」
「だってよ〜親以外の人間と初めて過ごすクリスマスなんだぜ、最高じゃないか!こんな経験なかなかできない」
彼女の発言を聞いて思わず笑みを浮かべる。
「ふふっ、そうやって何事も前向きに生きられたら素敵かもね」
「ああ。お前も少しは明るくなったみたいだし良かったぜ。やっぱり女の子は笑顔が一番似合う」
シュヴァルツの言葉を聞くと頬を赤く染めながら口元に手を当てる。
「あ、ありがとう。でもあんまりそういうことは軽々しく言っちゃダメだ?勘違いされちゃうかも」
「んーよくわからんけどまあいいか」
彼女は相変わらず無自覚だったようだ。
「そういえばシュヴァルツは一人で何してたの?あんな寒い中」
「ん、死体漁り。雪が降ってて冷えてるときは腐臭が消えるからな」
「悪趣味ね」
「勘違いするなよ、敵の死体から情報を抜き取るだけだ。それに俺の部下達はみんな優秀だからな。俺の出る幕はほとんどない。まぁほとんどってだけで全く無いわけじゃないからこうして夜中にこっそり出て行って情報収集をしているってことだ」
「そうなのね、かっこいい」
「えへへ」
話は例の暗殺の話に戻る。
「で、話は戻るが暗殺決行日はさっき言った通り。時刻は適当で構わない。チャンスを掴んだら躊躇わず実行するんだ。雪が止んだら二人共出ていくといい。黒逸軍が兵器を鹵獲しにここに来る。連絡は随時、じゃおやすみ」
「わかった」
「そろそろ寝るか。明日からはまた移動の日々だ。全く…あぁ忙しい忙しい…」
そう言うと彼女はカンテラの灯りを消した。
翌朝、シュヴァルツが目を覚ますと既に二人の姿は無かった。昨晩眠りについたあと無事に退避壕から脱出したらしい。その後彼女たちがどこへ行ったのか、誰も知る由はない。
「行ったか」
シュヴァルツが壕から出て立ち尽くしていると背後から柔らかい雪玉と共に元気な少女の声が聞こえてきた。
「メリークリスマスっ!大尉!雪ではしゃいで出て行ったきり帰って来ないから心配しましたよぉ」
よく聞き慣れたバウムガルトナーの声、そばには寒そうに震えるリーブフントもいた。
「んにゃ、死体漁って情報収集してただけだ」
照れ隠しでとっさについた嘘。しかし長い間大尉に付き合っている少尉はそんな嘘をすぐに見破った。
「嘘ですね、前線兵の死体から出てくるものなんて手記か写真ぐらいですよ。雪で大喜びするなんて子供ですね」
「…別にいいだろ…楽しいもんさ、雪っていうのは」
異世界に来ての初めてのクリスマス。しかしチキンやケーキをゆっくり食べられるほどの余裕はここでは相変わらずなかった。
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【補足】
この物語は史実である第二次世界大戦時の独ソ戦(1941〜1945)辺りの時代背景を下敷きの異世界でドイツ国とソ連がモチーフの国との戦争を生き抜く物語です。
登場する兵器や軍服などは名前が出ているものは実際に大戦で使われた物であり、調べていただきながらお読みいただくとより一層楽しめるかと思います୧( ˵ ° ~ ° ˵ )୨




