第六十三話 無限に血濡れた因果律
お互いの意見は反発し一触即発状態だった。クチンスカヤが立ち上がり小銃の銃口を向ける。
「総書記の暗殺を提案してくるやつを生かして置けるわけにはいかないかもね、ここで殺す」
それを聞いたシュヴァルツはニヤリと歯を見せて笑った。まるで嘲るような笑みだった。
「なんだ、やっぱり一緒だな。俺もお前も。嫌な気持ちになったから銃を手にとって殺すのか?お前の故郷を殺した黒逸と一緒だ、同じ糞ったれだ。
お前も、いやみんな怪物さ、いつもならこんなことにならないんだ。ただ『戦争』、その怪物が俺たちを産んだんだ、そいつさえいなければ…お前の故郷も救われたかもな。それたちも分かり合えたはずだ」
思わず構えた銃を落とす。気づいてしまった、結局敵だと思っていた人間も同じ穴のムジナだと言うことに。気づいたら最後、もはやいつもと同じように撃つことさえ躊躇ってしまった。
「ち、違うっ…あなたたちのような殺人鬼と一緒にするな…!私は…私は…ッ!親を殺された!」
「いい加減にしてくれクチンスカヤ!なぜ死んだ?敵軍のせいか?そうだろうなぁ!だがなぜ敵軍がお前の故郷の地を踏んだのか!踏めと言われたからだ!彼らは躊躇しただろう、彼らは人間で、俺たちのような非人道な怪物じゃない。誰が好きで人なんか殺すもんか、だが一度戦争に飲まれれば人間とて狂気に染まる!その戦争を産んだのは誰だ?ヘルダーリン総統とその父だ。その戦争を生かし続けているのは誰だ?ヘルダーリン総統とココーシナ総書記だ!それゆえ俺はその二人を殺すと言っているんだ!俺たち怪物にしかできないことなんだ!わかるだろ!」
迫真の説得によってクチンスカヤは自分自身の感情が大きく揺さぶられた。享受と拒絶が等身の中でひしめき合い、ついに享受が辛勝した。
「…わかったよ、約束するよ。その言葉…感情を殺して受け入れる。私のお母さんも農村のみんなもきっと私の行動を褒めてはくれないと思うけど…本当にこの戦争が終わるのならば…もう二度と故郷の地を踏まない覚悟で協力するよ」
二人はついにお互いを受け入れた。二人の敵兵がついに手をとったのだった。
「いいのか?敵兵と密通なんて」
「それはあなたもでしょう。バレたらどうなるの?」
「こっちなら軍法会議、そんで懲罰部隊行きじゃねぇかな。そっちは?」
「無論、粛清」
二人は軽い会話を交えて笑いあった。
「俺たちは血じゃなくて夢で想いで繋がった家族だ。殺すんだ。人を使い捨ての細胞のように代謝して生き続ける巨大な戦争を」
しかし余裕そうな大尉も次第に辛そうになってきた。全身からの出血量も多く気を失いかけている。ふらっとするとクチンスカヤは声をかけ続けた。
「…大丈夫だ、俺は生きる。目標が定まった。この戦争で戦う意味がもう一つできたんだ。バウムガルトナーを守る、そしてお前との約束を果たさなきゃなぁ…」
ポケットから小さな茶瓶を取り出すと蓋を開けて中の白い錠剤を二粒ほど手のひらに転がした。
「それは?」
「覚醒剤だ、空軍のやつから貰った。今までずっと忌避していたが今ここで痛みと疲労を取るために飲む、これでこれからはホンモノの人外だ。だが生きるためなら飲むしかあるまい、この2つの夢を絶対に叶えるという俺の強い意志がこれを飲ませるんだ」
錠剤を口に放ると手の甲の血と一緒に胃の奥に流し込んだ。
「…早くいけ、お前にゃ悪いが今は黒逸が優勢だ、すぐに友軍が到着する」
「そうだね、じゃあね…また会うときまでに作戦考えておいてね。
…もう一度聞くけど本気なんだよね?逃げるためのその場しのぎの嘘じゃないよね?」
「安心しろ、この状態でもお前を倒すのなんて赤子の手をひねるようなものだ。それに一度契った約束は破らん」
クチンスカヤは一度も振り返らず足早に立ち去った。
黒逸は次第に紅旗軍を押し始めた。
樹木を縫うように走り抜け敵の死体で埋まる塹壕を踏破して高地を目指す。
大尉のいない部隊がMG42機関銃を持つバウムガルトナー主導で突き進んでいると向こうから一人の人影がゆらゆらと立ち上る硝煙の中に見えた。
「動くなァーッ!MG42の犠牲になりたいかッ!!」
声を張ったバウムガルトナーと銃口を向ける隊員たち。人影は伸ばした手で硝煙を掻き分けてその姿を現した。
全身刃傷で血だらけ。それでもそんな外傷をもろともせず堂々と歩いてきた人影の正体は…シュヴァルツ大尉だ。
「大尉!?その傷は…!」
「なんでもない!それより時間がない!モタモタしていると奴らが逃げるぞ!奴らを追い回し滅ぼせば俺たちは最高の戦士だ!突撃しろッ!!」
大尉が加わって言葉の指揮棒を振るい部隊を鼓舞する。一方のクチンスカヤも自陣に戻るとそこにいる戦友たち相手に声を張る。
「撤退だ!もうすぐそこまで黒逸が来ている、すぐにこの場を放棄して逃げよう!」
高地の塹壕で迎撃の準備を整えていた兵士の中にはアバカロヴァもいた。全員彼女の言葉に困惑する。
「クチンスカヤ…どうしてそんな敗北主義的なことを言うの…?奴らに銀貨五十枚で魂を売ったの?この場を放棄して逃げるなんて……」
クチンスカヤは近くの樹木を拳で叩いてその本気さを訴えた。
「みんなッ!!すでに勝敗は決した!悪魔は私たちを皆殺しにする準備ができている、このまま全滅すれば奪われた高地を取り返すのに必要な部隊の再編にも時間がかかることになる。一旦後方に逃げて部隊を持ち直してから再びここに戻ると誓うんだ!」
必死の訴えを聞きチェルニチェンコもやってきた。
「…なるほど、クチンスカヤ」
「パパ、今すぐ部隊を撤収するように上官に訴えてほしい!あのアンドレイ将軍に!あの老将は兵長の実力を認めてくれている!きっと受け入れてくれるよ!」
しばらく考え込んだ兵長だったは顔を上げてうなずいた。
「しょうがないなぁ、おじさん張り切っちゃうかぁ。もしそれが承認されたら撤退する、でも上の人間から責任を問われたら将軍とおじさんとクチンスカヤの責任だからな」
すでに覚悟が決まっていたクチンスカヤにはそんな言葉は脅威でも何でもなかった。ただ微笑んで受託するのみだ。
「よーし!記録や書類は燃やせぇ!武器は鹵獲されないようにぶっ壊して捨てておけ!北ナ連の兵士が捲土重来するまでは一旦戦略的撤退だ!!」
その言葉にクチンスカヤは喜んだが彼女の背後から疑いのを目を向ける人物がいたことには気が付かなかった。アバカロヴァが鋭い視線を向けていることに……。
余力のある黒逸軍は抵抗も受けずにずいずい進軍できていた。
なんの抵抗もない戦場の中、兵士たちはその奇妙な現状を訝しんだ。
しばらく進むと放棄された塹壕が見えてくる。そこには敵国の黄色のクロスした鍬と重なったコンパスが描かれた赤い紅旗軍軍旗が静かに揺れていた。
「本当になんの抵抗も受けなかった…早々に撤退したみたいですね」
バウムガルトナーたちは胸をなでおろす。しかし高地には質素な木製の椅子に座って背を向ける敵の姿があった。
小さく縮こまった弱そうな老人はシワシワの肌に似合わない小綺麗な軍服をまとっていた。
「敵の指揮官でしょうか?」
「ここにいろ、俺が話してみる」
バウムガルトナーとリーブフントたちを置いて大尉は堂々と近寄った。
「やぁ、アンドレイ将軍。茫然自失か?」
「…久しいな、やはりお前か、ヒルデガルト・シュヴァルツ」
そこには六十近くの年老いた敵軍の指揮官がいた。彼こそがこの高地の守備隊を指揮していた人物だ。撤退したクチンスカヤたちとは別にここに一人とどまっていたのだ。
「…他の奴らは撤退したのか、そしてお前は死ぬ覚悟を決めたと…なぁ一つ聞いていいか?前に一度戦ったことがあるよな?あのときにお前の部隊が使っていた戦法なんだが…」
「あぁ、あのときか。敗将のシュヴァルツがいると聞いて勝ちを確信していたが…まさかやられるとは…今回の敵の攻撃もお前がいると思い負けを予感した、そしてそれが今現実になっている。2回もお前に負けた、完敗だ」
「あの戦法どこで知った?それとも偶然か?」
老人は垂れたまぶたを閉じて昔の記憶を思い出す。
「四半世紀前の昔話さ。北ナ連がまだ帝国だった時代、極東の小さな島国と外国の領土を巡って争ったことがあった。その時まだ私は歩兵の末端でな、恐ろしかったよ。着剣した小銃を構えてこちらの塹壕に飛び込んでくるのさ。まるで鬼だ、鬼の末裔だ。それから私はその国の民族がどんな戦場を戦い抜いてきたのか歴史書を漁って調べたよ、そこでたまたま知ったんだ。『島津の釣り野伏せ』を」
くるりと身体の向きを変えシュヴァルツを見上げる。
「お前はまさにそいつらだ。死を理解していない子供のよう、それでいてすべてを悟った大人のような若人だ。…まさか…お前…」
シュヴァルツはニヤリと笑った。
「3回も負かしちまったな」
その言葉が全てだった。アンドレイ将軍は理解したように口角をわずかに上げて首を垂れた。
「…殺してくれ、これ以上の生きていても恥が増えるだけだ」
腰のホルスターから拳銃をとり銃口を彼の前頭部に向ける。まるで切腹の介錯をしているような気分になった。
「最後に聞かせてくれ、お前の…お前の名前は…」
「コモリだ。古森 宅郎。それが真名だ」
「…そうか、やはり極東の…」
一発の銃声が高地に響く。こうして攻防戦は一旦幕を閉じた。
敵国の軍旗は燃やされ代わりに黒逸軍旗が掲げられたのだ。
「戦争なんか殺してやるさ。そんときゃ地獄でスシでも食わせてやる」
歓喜の声が天まで響く中、軍帽を深く被り表情を隠した。彼女はただいつまでも息絶えた老将の傍らで墓標のように立っていた。
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【補足】
この物語は史実である第二次世界大戦時の独ソ戦(1941〜1945)辺りの時代背景を下敷きの異世界でドイツ国とソ連がモチーフの国との戦争を生き抜く物語です。
登場する兵器や軍服などは名前が出ているものは実際に大戦で使われた物であり、調べていただきながらお読みいただくとより一層楽しめるかと思います୧( ˵ ° ~ ° ˵ )୨




