第五十四話 猛犬の晩餐
夜も更けてきた。大きな満月が濃紺の雲間から姿を表すとシュヴァルツたちのいる村を薄く照らし出した。
それと同時に彼女たちが眠る郵便局の屋上で闇夜にうごめいていた刺客の姿を浮かび上がった。
彼女の名はオッティリア。ヘルダーリン総統の命令によりシュヴァルツ暗殺を目論む武装法廷の一員だ。
「シュヴァルツはこの建物かしら?この村で尉官が居眠りするところしたらここでしょうけど」
屋上を移動しガラス張りのドーム状の天窓にたどり着く。
「(内情を探りたいのですけど背後に月が出ているときに上から覗くと中に射し込んだ影が動いてバレてしまいますわね…月が雲に隠れるまで待っておこうかしら)」
鋭い判断で任務を完璧にこなすオッティリア。シュヴァルツたちにとって強敵となりそうだが果たしてどうなる!
再び月が雲に隠れるとあたりは真っ暗闇に包まれる。
局内を警備していた軍の歩哨がランプを持って歩くと軍靴の音だけが闇の中に反響する。
「あと何分見回ればいいんでしょうね」
「あと少しだ、この階見終わったら終いにしよう」
しかし二人は軍靴の音を消した。立ち止まったのだ。
「小隊長、明かりを消してください」
「あん?なんでだ?」
「刀身が光るのが見えました、銃剣です。この時間帯にそんなもの持って背後に迫る人間は危険です」
急いでランプの火を消す。
「(…いきなり明かりが消えりゃあ数分は敵も俺たちも鳥目だろ、今のうちに逃げ…)」
その瞬間、銀色に光る鋭利な銃剣が柔らかい肉を断つような音を鳴らした。
何か重いものが落ちる。残された部下の一人は口を抑えて怯えていた。
「(場所がわかるのか…!俺たちの場所がッ!!やはり敵だった…!)」
思わず口を塞ぐのも忘れ叫んでしまう。
「お前が敵か!!俺たちの死だなッ!?」
次の瞬間には彼の叫びも血の泡の音が交じる断末魔に変わり先程と同じゴトッと言う音が聞こえた。
頭部が落ちる音であった。
「…こんなにもいい夜だ、彼女も血を求めずにはいられないだろう」
そう語るのは満月の下、総統官邸の執務室の机に座るヘルダーリン総統だった。隣りに立つベッケンバウアー総司令官も同調する。
「まるで吸血鬼の令嬢ですね」
「それに彼女は炎を見て目をつむるを繰り返して目の虹彩を鍛えさせてある。お陰で夜目が常人の数倍効く、ともなれば夜の世界は彼女が女帝さ。彼女の目から逃れることは不可能。
そうだろ?オッティリア」
二人の首無し死体を足元に両手に銃剣を携えて彼女は立つ。
彼女も同じ月を見ていた。
「Ja Führer(はい、総統)」
その頃、シュヴァルツたちは広い事務室で仮眠をとっていた。リーブフントもバウムガルトナーもすやすやと寝息を立てている。
そんな部屋に侵入してくるのは銃剣を光らせたオッティリアだった。
きしむ扉をゆっくりと開けて真っ暗闇の中を覗く。
「(いた…ソファの上にいるのがシュヴァルツ…そしてそのそばにバウムガルトナー、そして床に一人。…情報にはない人間ですわね、まぁいいですわ、目的はあの二人。犬みたく地べたで寝ている野人なんぞわたくしの歯牙にもかかっ………)」
少しずつ歩いていたが大尉に迫る一歩踏み出したとき、急に足首を掴まれた。
「…ッ!?」
握力をかけてミシミシと骨が鳴る。手の主はリーブフントだった。
寝ていたはずの目はきっちりと開いてじっとこちらを見つめていた。
「犬ッ!?寝ていたはずでは…!」
リーブフントが足首を掴んだまま彼女を転倒させようと起き上がるが素早く抜け受け身を取ると立ち上がって対立する。
「あなた誰ですの?どいてくださる?」
「……」
リーブフントは無言で彼女が持つ銃剣を指差したあと拳を構えた
「…なるほど、だめみたいですわね。まぁいいですわ…邪魔だてするのであれば犬死させてあげますわ」
銃剣を構える刺客に対し犬は中指を立てて挑発する。
お互いじっと見つめながら攻撃の隙を見計らう。
そして火蓋はオッティリアの言葉で切られた。
「銃剣の錆に成れ」
その言葉と共に一気に距離を詰めると銃剣を振るうが当たらない。それを投擲してもなお避けるリーブフントに向かってそのまま掴みかかってきた。
「犬がッ!!おっ死ねですわ!!」
そのまま体を捻り相手の腕を取り背負い投げのように地面に叩きつける。しかしすぐに体制を立て直すと今度はリーブフントから攻撃を仕掛けてきた。
彼女が拳を振り下ろすもギリギリのところでオッティリアに避けられ逆に顔面にカウンターを食らってしまう。
鼻血を拭き取っている隙に追い打ちをかけるように何度も顔を狙って突き出される腕だがリーブフントは器用に避け続ける。
このままでは勝てるわけがない、反撃しようと回し蹴りの為に背を向けた瞬間オッティリアの視界に何かが映った。
それは先程彼女が投げた銃剣であった。
それに気づいたときにはもう遅く、咄嵯に飛び退いたものの僅かに肩に掠ってしまった。
そこから血が流れ出ると気張っていた体制が少し崩れた。
「ぐぅ……!まさかっ…わたくしが背を向けたあの一瞬で銃剣を…ッ!」
リーブフントはその隙を逃さず一気に肉弾戦を畳み掛ける。
オッティリアも負けじと応戦するが徐々に押されていく。
「くそぉッ!!この犬畜生めぇええ!!!」
そして決闘の末にオッティリアの腹部へ足蹴りの一撃が入り吹き飛ばされてしまう。
血が混ざった唾液を吐き捨てるが腰が上がらない。そんな彼女にゆっくりと近寄るリーブフント。
「あなたは何者ですのッ!?なぜ喋らないッ!!」
大声で問いただすと意外な人物がその声を遮った。
「静かに、シュヴァルツが起きてしまう」
その声はバウムガルトナーだった。どうやらこの戦闘の騒音で目が覚めてしまったらしい。
「夜襲とはご苦労だね、私の番犬が吠えてるってことはあなたは敵みたいだ」
彼女は窓から入り込む月明かりで身体がほのかに光っていた。不気味にギラつく目と笑顔がオッティリアに向けられる。
「この子は新兵の頃敵軍に兵站線を絶たれてね、まだ制空権も確保できなかったから空輸の支援も望めない。だから彼女の部隊はすぐに飢餓地獄に落とされた。だけど三ヶ月後、隊員の殆どが全滅した中で一人だけ生き残った人物がいた。
それがリーブフント准尉だよ。彼女は死んだ戦友の死体を食べて生き残っていた」
「ッ!?食人…!?ばっ、化け物めッ!」
オッティリアの表情は徐々に得体のしれない異形を見るような目つきに変わる。
「それ以降も人の味が忘れられないみたいでね、時々食人衝動に駆られるんだって。だからいつも唇に力を入れてその衝動を必死に抑えているらしいけど新鮮な肉を見るとつい服を剥いでかぶりつきたくなるらしい。喋らないんじゃない、口を開きたくないんだ」
リーブフントはゆっくりと腰の抜けたオッティリアに歩み寄る。
「やっ…やめろ…っ!来るなっ…!!」
「私が引き取ったんだよ。シュヴァルツ大尉の部隊に行けば自軍の死体が少ないから衝動に駆られなくていいんじゃないってね、まぁ敵兵の死体が増えて結局あんまり意味なくなったけど」
口を開くと鋭い犬歯がずらりと並んだ獣の口が唾液で光る。小動物を狩る肉食獣のように迫ってくる。
「食べていいよ。久しぶりの若い女の肉だ、糞に変えてしまえ」
リーブフントは口を大きく開きオッティリアの喉仏に噛みつくとそのまま推し倒し喰らいつく。
必死に抵抗する彼女だったがお構いなしに肉を食いちぎる猛犬の勢いは止められなかった。
広がる血溜まりにうずくまるリーブフント、餌をやることができたバウムガルトナーは満足げに微笑んでいた。
翌朝、眩しい陽の光ではなく兵士たちの足音で目が覚めたシュヴァルツは大きく背伸びをして身体を起こした。
「大変だ…!死体だってよ、小隊長が殺されたらしい」
「まじかよ、護衛の歩哨は何してたんだ」
慌ただしく廊下を行き交う兵士たちを大尉は寝ぼけ眼で見る。
「朝っぱらからなんだァ〜…あいつら静かにできないのか…」
ゆっくりと立ち上がると制帽を被る。すると部屋の異変に気づく。
「あれ?なんかこの部屋変な匂いがするな、鉄?の匂いが、なぁバウムガルトナー、するよな?」
「…さぁ、わからないですね。大尉はまだ戦場での疲れが抜けきっていないように思える」
「あはは、そうかもな。…もう少し寝かせていただく、なんか昨晩気持ちよく寝られなかった気がして寝不足なんだよなぁ〜……」
ある意味敵より恐ろしいかもしれないバウムガルトナーとその配下。シュヴァルツを殺しに来たオッティリアは大尉の知らぬ間に返り討ちにあいリーブフントの糞に変えられてしまった。
「…あなたが派手に食い散らかすから寝られなかったじゃない、お行儀よく食べることを覚えないと後片付けが大変なんだから」
「…」
「きっと一人だけじゃないわ、もっと来る。だから私達が大尉を守るのよ。大尉には戦闘に専念してほしいから、敵将との戦いに狂信してほしいから。党の卑怯で狡い戦闘なんかに身を投じてほしくない、私が黒い怪物の御姿を拝見したいから。わかった?」
コクリとうなずいたリーブフントの頭を撫でるとすやすやと寝息を立てて横になった大尉を見下ろした。
「この戦争…勝てる…この生まれ変わった大尉と一緒なら」
淡い期待を抱く少尉。黒逸と北ナ連、そして結束党の三つどもえに入り交じる戦いにシュヴァルツたちは巻き込まれていく…。
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【補足】
この物語は史実である第二次世界大戦時の独ソ戦(1941〜1945)辺りの時代背景を下敷きの異世界でドイツ国とソ連がモチーフの国との戦争を生き抜く物語です。
登場する兵器や軍服などは名前が出ているものは実際に大戦で使われた物であり、調べていただきながらお読みいただくとより一層楽しめるかと思います୧( ˵ ° ~ ° ˵ )୨




