第三十八話 地獄の果て
「…なるほどな、暗殺者とは…スパイとは、お前のことだったか。ハーン」
「…」
そこにはワルサーを頭部に向けたハーン曹長が背後に立っていた。
彼女の顔は無表情だ。
「…お前がスパイだとわかると、だんだんとわかってきた。資料でお前の記載が少ないこと、病院にやってきた工作員を尋問したとき、お前の暗殺者像を尋ねるときに聞いた『喋り方』という問い、ずっと引っかかっていた。
あれは味方を欺けているか試していたんだな。敵を欺くにはまず味方からともに言う。
オイラーが背後から撃たれたと聞いた時は誤射かと思ったがあれもお前か?」
「…自分、これぐらいしかできないんスよ、シュヴァルツが霧雨作戦で成功を収めてから危険視され始めて自分が派遣されてきたんっス。これ以上、シュヴァルツを生かしておくわけにはいかない、と」
「お前が俺に語ってくれた夢も嘘というわけか、家族の話も設定だったんだな」
「…ッ!それは…」
しばらくは全く動かない二人。会話で相手の内面の探り合いが続く。
「抵抗しないんスか」
「お前の腕を折りたくはない、それに今は何もしたくない。お前に裏切られるとは俺も迂闊だったな」
「……」
夜空に一発の銃声が響き渡った。
大尉はその衝撃に目を閉じて死の覚悟を決めた。
…しかし、その覚悟は背後で誰かが倒れた音で消え失せた。
「ハーンッ!?」
そこには胸に風穴を開けて倒れているハーンがいた。
赤い鮮血が青い芝の上にじわじわと広がっていく。大尉はすぐにハーンの身体を起こした。
「なぜだ!なぜ自分を撃った…!」
「シュヴァルツ…大尉…自分は…平凡に生きられないんスよ………自分は物心ついた頃から工作員として……ッ…ずっと…ずっと国の為国の為、モルモットとして……」
「馬鹿がッ…ならお前が俺を撃てば…お前は自由に…」
「大尉にはバウムガルトナーがいる」
「…ッ!?」
口を動かすたびに月明かりを受け反射して光る血が飛び散る。それは大尉の腕にも温かい液体として伝わった。
「自分には……ガッ…ァ……ハッ…!何も…ないんスよ……
学も…友達も…家族も…将来も自由も…何も…何も…
大尉を殺すなんて無理っス…自分には……絶対に……!!がハァッ…!ゲホッ!ゲホ!」
「喋るな!今衛生兵を……」
「大尉…ハーンを…そっとしておいてください…こうして死なせてください。部下からの最後のお願いっスよ」
「うるせぇよ……お前なんか…お前なんかもう部下ではない…!敵は…俺が…殺さなきゃ…いけないんだ…!俺が心の臓を!撃ち抜いてならねば…!!」
ハーンのその言葉を聞くとニッコリと笑った。
「そうっスよね…自分、裏切り者なんスから。その言葉、すごく大尉らしいっス。
来世では、ちゃんと勉強して、ちゃんと友達を作って遊んで、仕事して……大尉みたいな人と結婚するんスよ」
「黙れ黙れ黙れッ…!それ以上喋ると殺すぞ!」
大尉の嗚咽の混ざった怒号はハーンの胸を苦しめた。
そんな大尉へ向けハーンは静かに言葉を放った。
「最後に…本当の名前で呼んでもらえないっスか?
自分の本当の名はソフィア・ボグダノヴナ・ヴァイマンっ言うんスよ…」
「…最後の最期までわがままだな…お前は…。いいさ…呼んでやる…これが最後のわがままなんだから聞いてやるさ」
大尉はソフィアの弱く鼓動を刻む胸に銃口を押し当てた。
「さようなら、ソーニャ・ヴァイマン」
引き金を引くと2発目の銃声が鳴り響いた。
衝撃で身体が一瞬跳ね、その後はぐったりと力の抜けたソーニャが大尉の腕の中にあるだけになった。
「うっ…うぅっ…馬鹿が…大馬鹿野郎がっ……!俺のことばっかり考えやがって……!」
大尉は地面には手をついて、鳴き声を噛み殺したような声を上げ続ける。
涙で視界がぐちゃぐちゃになっていることさえ気にすることさえできなくなるほどに。
夜が明けた。
部下を集めて朝礼をしている最中、バウムガルトナーやアーデルハイドたちの前にシュヴァルツは現れた。
「大尉!おはようございます!」
「シュヴァルツ!遅いぞ!私よりあとに来るとはどういうことだ?」
アーデルハイドの質問に頭を下げて「すいませんでした」と謝罪すると「シュヴァルツ…お前敬語が使えるのか…」と困惑された。
「昨日からハーン曹長の姿が見えませんが、どこにいるんでしょうかね?朝礼にもいなさそうですし…」
「昨日戦死した」
「え」
大尉は背を向けながらそう語った。表情を伺い知ることはできない。
一気にその場の雰囲気はしんみりと感傷的になった。
「…そうなんですね、では弔いの儀を…」
「必要ない、昨日一発の弔銃を撃った。もう終わったんだ」
「大尉……」
登りゆく朝日は荒涼とした戦地の町並みを黄金に照らす。シュヴァルツはその光を全身に浴びながら振り返った。
「俺たちは今、朝日を見ている、ハーンが見られなかった朝日をだ。
行くぞ、敵地へ進む。この悪夢を終わらせるんだ」
その頃、総司令官のベッケンバウアーとヘルダーリン総統は首相官邸の私室で対談を行っていた。
「すでに街は敵の焦土作戦と味方の奮闘により都市機能を失っています。あんな復興不可能な街のために砲弾100万発、戦車200車輌、戦友2万人を失いました。さしずめ辛勝といった具合です」
「いつにもまして饒舌じゃないか、私を下に見ることのできる動機ができて嬉しいな、総司令官」
「別にそんなつもりは…」
総統は片手でコーヒーの入ったカップをつまみ口元に近づけてすする。
「とりあえず領土は取り返した、調子がいい。記念として党大会を開こうと思う。来賓に誰か呼ぼう」
「では…党、政府、軍部の幕僚や参謀、大臣…」
「あとシュヴァルツ大尉も呼ぼう」
「えっ…奴はひねくれ者ですよ、呼ぶ必要はありません」
「嫌なやつで癪に触るのもわかる。だが奴は最近、巷で名将と言われている。彼女を結束党の一員にすれば党の権力も増すだろう」
「なるほど、勧誘ですね」
「そういうことだ」
何やらきな臭い空気が流れ始めた。シュヴァルツに潜み始めた不穏な影、果たして大尉がそれに飲まれることはあるのだろうか。
二人のトップはその企みの成功を確信して静かに笑いあった。
「シュヴァルツ、何してる」
悪巧みの裏でシュヴァルツは戦地で一箇所に集めて座らせた紅旗軍捕虜たちに目線を合わせるようかがんでいる。
アーデルハイドが近づいてくると大尉は弁明した。
「何ってこの捕虜がタバコが欲しいって言うから嗜好品を渡そうかと思って」
「捕虜に対して好みに合わせた嗜好品を配布することは禁止だ
ちょっと前に粗末な品を供する虐待と言いがかりつけられて捕虜虐待の罪で北ナ連から指名手配された将校がいた、お前もなりたいんなら別だが」
「頭が硬いぜ、ルール遵守なところ、そういうところは本当に軍人らしい」
「そうかもな、だが規律は規律だ。
…コホン、まぁ私の所有している倉庫のタバコぐらいなら与えてもいいかもな」
「そういうところ好きだぜ」
大尉は再び顔を捕虜たちの方へと向けた。
「ホント、馴れ馴れしいですね少佐、敬語も使わないなんてどういう人生なんでしょう」
「あいつは私が認めた特例だ、私には軽口使いたいならシュヴァルツみたくなればいい」
「無茶ですよ」
仲間の部下が不服そうに少佐に言うが彼女自身が認めているのだから仕方がない。
異質な存在の大尉はひときわ目立つ存在となっていた。
すると一人の兵士が大尉と少佐の元に息を切らしながら駆け込んできた。
「なんだどうした?」
「少佐!野戦郵便局からお手紙です…!」
一枚の封筒、蝋封を切り中に畳まれた手紙を開く。
「…ふむふむ、なるほど。戦勝祝賀会へのお誘いか、準備が早いな。私と……シュヴァルツ、君の名前もある」
「え?俺?」
「党大会と総統主催の宴席への出席者として私と君が呼ばれた。今回の作戦を成功させた私達への祝福というわけだ」
「いや別に…前線を離れるなんて俺には……」
「君はわかってないな、総統の命令に逆らえる兵士などいないぞ。呼ばれたら死んでも行くんだ。
車を持って来たまえ、帝都へ戻る」
部下に命じた少佐、大尉は不安そうにバウムガルトナー少尉の顔を見つめる。
「大丈夫ですよ!シュヴァルツ大尉はのんびり祝賀会楽しんで来てください」
「…ありがとう、俺がいなくても平気だな」
「見くびらないでください!私は強いですから!」
笑顔の彼女を名残惜しそうに見つめると少佐から車が用意されたと呼ばれる。
「じゃあな」
その場から立ち去ると用意された軍用車両キューベルワーゲンの後席に少佐とともに乗り込んだ。
後ろには同じように同種の車が待機していた。
「護衛もつけた、安全に帝都まで行けるぞ」
「じゃあ行こうか、久々の帝都へ」
土埃を上げて廃墟の街を駆け抜ける車列、帝都に向かって疾走すると車列は地平の彼方に沈んでいった。
第三章 完。
評価、ブクマ、感想などいただけると大変励みになります…!ぜひ…!╰(⸝⸝⸝´꒳`⸝⸝⸝)╯
【補足】
この物語は史実である第二次世界大戦時の独ソ戦(1941〜1945)辺りの時代背景を下敷きの異世界でドイツ国とソ連がモチーフの国との戦争を生き抜く物語です。
登場する兵器や軍服などは名前が出ているものは実際に大戦で使われた物であり、調べていただきながらお読みいただくとより一層楽しめるかと思います୧( ˵ ° ~ ° ˵ )୨




