【羽無し】と奪還
叔母の部屋に到着するまで、他の使用人の姿を見かけることは無かった。夜が更けるまで、誰かしらが忙しく動き回っている普段を思えば、まずあり得ないことだ。
主達の厳しい監視の目から、思いがけなく抜けだすことができたこの機会を、使用人達は束の間の休息として享受することにしたようだ。……おかげで、私も屋敷内を自由に動くことができる。
叔母の部屋の扉には、彼女の夫や、朱麗の部屋と同じように、特別な呪いが施されている。使用人が掃除以外の要件で部屋に立ち入ることを防ぐ為、鳥人以外の種族が扉をくぐった場合、主の許可無しには自由に身動きができないようになっているのだ。
しかし、翼こそなくても鳥人である私にとっては、意味を成さない呪いだ。問題なく部屋の侵入を果たした私は、豪奢に飾り立てられた部屋の中をぐるりと見渡した。
『奥様の部屋の奥には、幾十にも結界や呪いを施された、それはそれは立派な金庫があるのよ。一体、中には何が入っているのかしらね』
いつか、叔母の部屋の掃除を担当している女中が、他の女中にそんな話をしているのを耳に挟んだことがある。
件の金庫は、その大きさ故にすぐに目に入ったが、目的の品はそこにないと私は確信していた。
金庫に入れれば、使用人はともかく旦那様や朱麗には、その存在が知られてしまうかもしれない。叔母はきっとそれを所有していることを、自身の家族にすら知られたくないはずだ。隠すのならば、もっと分かりにくい場所に隠すだろう。
「………きっと、あれだ」
煌びやかで豪奢な調度品の中で、一つだけ異質なものが、棚の上に置いてあった。
夜店で売られているような、古く安っぽい細工箱。
それなりに美しい彫り物が施されているが、けして芸術的な価値があるものではない。子どもの小遣いでも買えるような代物だ。それに、何十年も昔のものらしく、色褪せて薄汚れている。
棚に近づき、壊さないように慎重に箱を手に取る。蓋の部分がスライドで動くようになっているらしく、花の絵らしきそれを正しい形に揃えれば、箱が開く仕組みのようだ。
終わった後元の状態に戻せるよう、元々の蓋の状態をしっかり記憶に刻み込んでから、絵をスライドさせていく。
花の絵の全貌が明らかになったと同時に、かちりと音を立てて、箱が開いた。
まず、見えたのは、黄ばんで擦り切れた、古い刺繍布だった。手縫いらしい、少し歪な花の刺繍を指でそっとなぞってから、布を破かないように慎重に開いていく。
「………ああ。母様。ようやく、本物の貴女に会えた」
中に包まれていた、翡翠の石を目にした途端、思わず涙がこぼれた。
叔母が保管していた石は、思っていたよりも魔力純度が低く、表面には無数の細かい傷が入っていた。石としての純粋な価値は、私が今まで集めて来たものの方が高いだろう。
だが、これは正真正銘、母が私に遺したもの。生前の母が、いつも大切に持ち歩いていた宝物。ーーそれだけで、私には万金に値する価値があった。
今日拾った石を懐から取り出し、叔母のそれとすり替える。ぴかぴかと光輝くその表面を、何か硬いもので擦って傷をつけるべきか迷ったが、結局そのまま包むことにした。
元のように箱の中に納めて、蓋を閉めようとしたら再びあの刺繍が目に入った。
閉める前にもう一度だけ、その表面をそっと指先でなぞる。
……本音を言えば、石だけでなくこの布もーーさらに言うならば、この細工箱もそっくりそのまま欲しい。だが、これらは、確かに叔母の物だ。
私の物だった石を取り返すだけならともかく、叔母の物を盗めば盗難だ。私は、敢えてその罪を犯そうとは思わないし、そこまでして叔母を苦しませたいとも思わない。後ろ髪を引かれながらも、蓋を閉め、絵柄を動かす前と同じようにばらばらにスライドさせた。
無事奪還が成功すると、私はそれ以上叔母の部屋に長居することなく、足早に自室へと戻った。
行き同様、誰にも遭遇することなく、部屋に戻ることに成功し、ホッと安堵のため息を吐いた。
あとは、明日の昼まで、叔母にばれないことを祈るのみだ。
石を入れた懐の辺りを、服ごしにそっと握りしめる。肌に触れるひんやり冷たいそれは、人肌の温かさを思い出させた。かつて、母が私にくれた、ぬくもり。
しばらく達成感と、その優しい思い出に浸っていると、不意に自室の扉が開いた。
「…………【羽無し】」
開かれた扉の先には……長の屋敷にいて、ここにいるはずがない叔母が立っていた。
何ということだ。まさか、こんなに早くばれるだなんて。
懐に入れた石を守るように両手を胸にあて、後退る。
ようやく取り戻したのだ。……また、奪われたくない。
ぎりと歯を噛み締めて、叔母を睨みつけた途端、冷え切った目をした叔母から何か赤いものを投げつけられ、慌ててそれを掴む。
「………朱麗の、古い余所行き用の服?」
古いとは言っても、刺繍が気に食わないと、ほとんど着ないままに新しい物を着ていた為、新品とさして変わらない。
様々な装飾が施された、豪奢で美しい衣装だ。
何故、叔母がこんなものを、私に投げつけたのだろう。
「……それを着て、一緒に長の家に来なさい」
全く状況が分かっていない私を、忌々しげに見据えながら、叔母は言葉を続けた。
「お客様が……お前をご指名よ」




