5 狂った日
バシィっ
乾いた木で何か人間の肉的な、もっと言うと人間の頬の筋肉的な質感のものを殴った音が響き渡る。
まあ、乾いた木の剣でヴェークの頬がぶたれたのであるが。
「うぐぅ」
痛みで転がる。運動用の服が土に塗れるのにも気にする余裕がない。
腫れた頬に手を添えるとひんやりとして、カッと広がった熱が一時的に誤魔化される。
追撃はない。
あったとしてもどうにもならない。ヴェークは殴られた瞬間剣を手放し、完全に丸腰でのたうち回っている。
「なんでお前なんかとあったっちまったんだよつまんねえ」
その台詞に対して、くじ引きだったろ。とは言い返すことも出来ずヴェークは涙目でダスクを見返す。
威圧的な体格。身長は2メートル近く。それなりに高いヴェークでも平時から見上げてしまうほどだ。加えて上腕は太く、胸板も厚い。
ブロンドの髪は短く刈られ、隙間から覗く耳には二つのリング。
目つきは鋭く、野獣のそれだ。
全身から野性的な雰囲気を発するダスクは、肩に担ぎ上げていた両刃の大きな木の剣を地面へとたたきつける。
見据える先にはアムルト。
練習試合とはいえ手は抜かず、おそらくものの十秒ほどで決着がついていたのだろう。アムルトは少し心配そうな目つきで兄を見ていた。
「・・・ごめん。相手にならなくて」
強者は強者と戦ってこそ磨き上げられる。
ダイヤの原石が、たかが固めただけの土を砕いたからとて何だというのか。
「ちっ」
舌打ちをすると、ダスクは校舎の方へ戻ってゆく。
今の一試合で実技の授業は終了。とどまる意味も理由もないのだろう。
周囲の嘲笑と会話が、残されたヴェークにまとわりつく。
「剣で頬ぶたれるって、くく・・・どんな構えしたらそうなるよ」
「まあダスクの一撃は重いからな。振り回されるのもわかるが・・・」
「それ午前のはどう説明すんよ?女子にも剣の腹で頬打たれてたぜ」
「そりゃあ、その女の好みじゃ無かったんだろ」
「ちがいねえ」
慣れていると言えばそうだが、気分は良くない。
だが、言い返すだけの気概も実力もない。
「女子だったから手を抜いた・・・なんて言い訳できたら、まだマシなんだけどな」
口の中の砂を吐き出しながら独り言ちる。
ダスクに負けるのは分かる。身の丈も、筋力も、剣技も向こうが上だ。
だが、男子だけでなく女子にもさらりと負けてしまう。
残念ながら、午前中の実技でも本気で女子も相手にした。結果は既知の通りだが。
「女にも負けるか・・・」
筋力や体力で負けることは無い。
しかし剣の才が、驚くほどに無いのだろう。
脇腹、脳天、鳩尾、下腹部、喉・・・もろもろの急所が誰にでも取られてしまう。
「うげっ。まだじゃりじゃりするなあ」
舌と喉の辺りに砂の感触。指を突っ込み掻きだしていると
「ヴェーク!!貴様またあんな醜態さらしよってからに!」
「うわっ」
禿頭の老人が、見た目にそぐわぬ速度で走ってくる。
「何故切り返しを受けようとする!何故腰を落とさぬ!何故柄を短く持つ!」
何故!と続けざまに疑問を投げかけられる。
(そんなに一片に言われたってわかんないって・・・)
だが、よく聞いた喝ばかりだ。
だからこそ自分の至らない部分はよく分かっているつもりだ。
食事当番以外の日は、帰る前に練習している。
休みの日だってアムルトに相手をしてもらう日もある。優しくだが。
「そ、その・・・練習はしているんです」
「そこが問題なのじゃ!」
「へ?」
間抜けな声が舌を転がり出る。
「貴様が努力しておることは知っておるし、素振りや足運びの練習じゃてよく出来ておる。じゃが!何故!人を前にするとそれができん!相手がおると途端に肩に力が入る!腰が浮く!前を見ぬ!」
「そ、それは」
ヴェークが聞きたいくらいだった。
「ともかくじゃ・・・!」
と言ったところで、17時の鐘が鳴り、授業の終了を告げる。
周りがぞろぞろと老人の周りへと集まってくる。そこで禿頭の彼も教師としての義務を思い出したのか、のし掛からんばかりだった勢いを殺し、周囲を見渡す。
「それでは授業を終了としておこう。明日の昼には全員分の講評をつけておくでな、目を通して午後の授業に望めい」
「「はーい」」
「ああ、後今夜から明日にかけて第2層が移動をしおる。神に感謝を捧げておくようにの」
「「はーい」」
再度間延びした返事が校庭に広がったところで解散。
夕日が鉄の壁にさしかかり、空はすっかり紫陽花色だ。
教師は振り返って言う。
「ともかく・・・貴様に関しての講評も厳しく出しておいちゃる。しっかり目を通しておけい」
「はい・・・」
帰り道はいつもながら憂鬱だ。
「あそこまで大勢の前で怒鳴らなくてもいいじゃないか・・・」
恥ずかしいから。と愚痴を漏らしてしまう。
着替えをして帰る頃にはすっかり日は暮れ、辺りには魔術を応用した電灯が灯る。そう大きくない光だが、夜道を照らす大切な役割をこなしている。
ただ、今この道を使っているのは二人。
寮へ向かう影は少なく、路地を進むのはヴェークとアムルトだけだ。
「そういえば、ほっぺた大丈夫?結構嫌な音してたけど」
「ああ。後で冷えたタオルくれた奴のおかげでな」
「どういたしまして。でも青痣ぐらい出来ちゃってるんじゃない?」
「ん?ああいや大丈夫だ。魔術で強化してたから」
衝撃は骨には届いてないはず。と笑顔を作る。
だが、アムルトは少し驚いて返す。
「魔術?あの攻撃を凌ぎながら」
「?そうだが」
特段珍しい事じゃないだろう。魔術使うなんて。
高々耐久性を上げるだけの魔術を剣が迫る前に張っていただけのことだ。そうでもしないと痛すぎて泣けるだろう。
「いや、魔術張っても泣けたけど・・・」
寮が見えてくる。ぽつぽつと窓から光が零れている。
今にも底が抜けそうな階段を登り、奥から三番目の部屋に帰り着くとアムルトは腕まくりをする。
「じゃあ今日の食事は僕が作るね。リクエストは?」
「ああ。そうだなあ・・・」
今日は2層目が動く日。
父と語ったあの日。
「いも・・・かな」
「雑なリクエストだけど尽力するよ」
「あ、ああ。ごめん。・・・あと、お前が良いなら食事はゆっくりでかまわないよ。少し屋根にいるから」
「・・・うん。わかった。出来たら呼ぶよ」
「助かる」
ヴェークは、荷物だけベッドの上に投げ置いて部屋を出る。
今日は夕日が綺麗だったから、空も晴れ渡っていると信じたい。
5才の頃、父と見たあの景色。
移動する大地の間から覗いた星空。
学舎の屋根上。本日二回目の避難所。
やはりこの時期は少し冷える。身を抱きながらのろのろと定位置に移動する。
上着を置いてきたことを後悔しながら寝そべる。
視界に広がるのは黒い空。鋼鉄の塊。
時刻は19時1分前。
大地の隙間を拝むには早すぎる時間帯ではあったが、それでも見ていたかった。
30秒前。
何千年と行われてきたこの世界の習性。
20秒前。
恵みと実りを与える行動。
10秒前。
慣れ親しんだ光景。
3秒
世界は軋み
2
鳴動をはじめ
1
19時の鐘の音と共に
動き出す――――――
はずだった。
「?」
ごおおおおん。19時を知らせる鐘の音が街中に響き渡る。
おかしい。とヴェークは思う。
本日19時になれば第2層は動き出すはずだ。それがこの世界の摂理でこの大地の真理だ。
それが
「うご・・・かない」
周囲にも違和感が広がったようで、閉じた玄関から幾人もの住人が出てくる。
それで更に現実味が増す。
5分10分とたてど上空の鉄の大地は動かない。
独特の軋みも重い音も無い。
数千年途切れることの無かったはずの秩序が
この日
完全に狂ってしまった。