6 手紙
<第3階層第2都市 知識の国ケントニセス>
彼女はその日その時空を見ていた。
特別嫌なことがあったから、というわけでもない。なぜなら、常日頃から彼女の周りは彼女に嫌なことをするからだ。
ただ理由があるとすれば、今日は第2階層移動の日。それだけだ。
第3階層第2都市 知識の国ケントニセス。
現在は『外弁』の北東に駐在しており、空は第2階層第5都市 探求者の国トーレズーハの大地に完全に覆われている。
だが彼女が見ているのはそれではない。
19時。
国中の大時計や自身の懐中時計が指すのはこの時刻。
第一都市が北に到着してから約520000秒。
毎年この時期には必ず上空の第2階層が移動を始めるはずなのだ。
それが今日。
日常の現象は今日に限って起こらなかった。
だから彼女、アルデリアは窓から『内円』を見据えていた。
身を乗り出すようにするその身体は小柄でよく中等部と間違えられる童顔だが、その目は現在真剣そのもの。
「御柱が・・・動いていない・・・?」
御柱は『内円』にある、直径が「寝転がった人間100人分」はあろうかという柱だ。
第2層と第3層を繋ぐその柱は、第3層『内心』から第2層北西都市(現在は第5都市トーレズーハ)へと繋がっている―――ようだ。
アルデリアは御柱を間近で見たという人間にも、御柱を通ったという人間にも出会ったことがない。もちろん彼女自身も経験はない。
しかし外の世界への興味で伝記や伝説を読み漁った情報によると、それを通って上下の移動が可能なのだという。
御柱はこの世界の上下を繋ぐ重要な役割を持つ。
『下の大地から生えた柱が、上の大地を持ち上げる構造』
小等部に入る以前から知っている世界の構造。
『そんな不安定な世界を第7層より下で支えるのが我らが唯一神、調律の神』
だから感謝の印は下に切る。神は下にいるのだから。
そのため先程のアルデリアの言葉は正確ではない。
この世界は御柱を支柱に世界が回っているので、御柱は本来動かない物だ。先の台詞を家庭教師にでも聞かれていたら鞭がとんでくるかも知れない。
だが、その程度のこと勉学は中の中であるアルデリアでも理解している。それでも上空の鉄の大地が大きすぎるがゆえに、柱の方が動いて見える。それに、彼女には柱が動いている方が幻想的で素敵に思えたのだ。
もちろん第3階層から第4階層への御柱も存在する。
毎年北西の時期になると国の真ん中の大円と第4階層『内円』にパイプが通る。
国の掟で誰一人降りたことは無いそうだが・・・
(お父さん・・・)
アルデリアは『内円』の御柱を見るとどうしても父を思い出す。
大好きだった。力があった。頼りがいがあった。
その彼は
ケントニセスが北西へ辿り着いたとき、掟を破って下層へと赴いた。家族をおいて。
そこでアルデリアはぶんぶんと頭を振る。
今はそんな過去に思いを馳せている場合ではない。
「私の勘違い・・・では、なさそう、ですね」
遠く広がる街に光が増えている。
異常を感じた国民が様子を見に、家から出てきたのだろう。魔術で照らす光の概念魔術が行ったり来たり、ちらちらと揺れている。
たくさんの山を持つこの国は、『内円』から離れるような形で険しい地形となる。
統治するは一人の女王。山の頂に女王は城を建てている。
高い位置にある家は身分が高い証拠。女王に仕える特権的な位置。アルデリアの住まう家はここにある。それは彼女のではなく彼女の義父による功績によってであるが。
そこにひれ伏すように広がる街。
山脈の中でも暮らしやすい盆地にのみ住宅が密集しているので、昼間はごった返している。
もっとよく現状を把握しようと目を凝らす。
「アルデリア様。旦那様がお呼びです」
見計らったかのように部屋の外から手伝いの声がした。
「は、はい。分かりました」
「お急ぎ下さい」
手でスカートの誇りを払い、カーテンを閉める。
空を見るため暗くしていた部屋。
広さの割には家具が小さく、がらんどうとしている。
衣装ケースの上の白ウサギの人形。
くたびれてぼろぼろになっているそれを悲しみの色を滲ませた笑顔で見つめてから、アルデリアは部屋を後にした。
<第3階層第3都市 勇敢の国ムート>
明け方になっても騒ぎは収まらなかった。むしろ大きくなったと言えるだろう。
世界の回転が止まった。
この世界にとって『外弁』の移動が無くなることは、水を失うに等しい。
即刻何かに影響するようなことはない。
しかし日の翳りや乾燥、湿度に応じて農作物を育てるこの国は、移動する先の気候に応じて種を蒔き、収穫する。鉄の大地によって太陽を遮られた土地は徐々に腐り、人々が住める場所も限られてくる。
そのことに皆気づき始めたのだろう。
小さな集会所で会議を始める男集。
王に謁見を求める街の領主。
今後の食糧難を即座に関知した者は、早々に保存食の買い占めに走っている。
そんな中、ヴェーク達学生は学校から待機を命じられていた。
騒がず、学校側からの連絡が行くまで自室で待つよう通達があったが、寮の中は騒々しさで溢れかえっている。一階ラウンジはもう30人弱の学生で埋め尽くされている。
「このままだと食いモン無くなっちまうんじゃねえか?」
噂の元は誰だろうか。懸念される危機を語る者がいる。
「第2層の回転が止まっただけで、3層は動くんじゃないのか・・・?」
希望的観測。証拠はない。動かないという証拠もないが。
何はともあれ
「動かなくなったという事実が何よりもまずいね」
窓際から忙しなく道を行く人々を眺めてながら、アムルトが口を開く。
「そう・・・なのか?また、動き出せばそれで・・・」
自信なくヴェークは述べる。
ただの故障で一日経てば第1階層の「管理者」達が直してくれるのではないか。
「ヴェーク。例えばほんの数秒世界から酸素が消えたとしよう。数秒経てば元に戻るが、それで君は安心することが出来る?」
「・・・いや」
「だろうね。これはね、時間的な問題ではなくてもっと根本的な信念の問題だよ」
空気は途切れずあるもの。
これは裏切られてはならないのだ。この信念がどこかで一瞬でも裏切られたら、「空気は常にある」という信念を真理から外さなくてはいけなくなる。
「つまり、今まで演繹的な推論から導かれていた結果がただの帰納的結論に過ぎなくなってしまったんだよ」
「・・・」
普段以上に語彙の選択が荒々しいが、それだけアムルトも焦燥感に駆られているのかも知れない。目つきが厳しい。
だが、言いたいことは分かる。
この世界の当たり前が、実は疑わしいものであると証明されてしまったのだ。
会話が途切れたその時、誰かが声を上げる。
「おい、なんだあれ」
指さす方向は窓の外。
止まった大地のある上空だ。
白銀の鳥が飛んでいた。
一羽二羽どころではない。
数百数千の群れが、狭い空を舞っている。
その嘴には紅い何か。
鳥たちは一斉にそれを離したのだろう。
ひらひらと、散った花弁のようにゆっくり舞い降りてくる。
気がつけば全員外へ走り出していた。
異常事態に異様な光景。
もう中に閉じこもっていることなど出来なかった。
ヴェークも押されるように外へ出る。
偶然。
頭の上に紅いそれが降ってきた。
手に取るそれは
「手紙・・・?」




