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西の魔女は眠る  作者: 蓮葉
隣人は西の魔女
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 正直な話、ハンスの余裕はハッタリだ。

 魔法の糸は物理的には強いが、実は魔法を使用すれば切ることは可能だ。本来は、隙をついて相手の姿勢を崩すために使うものである。この図書館は魔法の使用が禁止されているため、魔法が使われることはないだろうが、もし何らかの方法で魔法が使用されたら、簡単に形勢は逆転する。

 もちろん、ハンスは別の手も持っているが、本気で彼らがハンスと衝突することを選ぶのであれば……もう、この街にはいられないだろう。王子と衝突して、それでもこの街にいられるほどのコネは、ハンスにはない。

 いや、そもそも王子の勧誘を断った時点で、彼の立場が難しくなったのは事実だが……。

 ふと、脳裏に王女の顔が浮かんだが、それを振り払う。もし王女を頼ったならば、それは王子に囲われる代わりに王女に囲われるということになるだけだからだ。

 ハンスはぐるりと図書館を見渡す。その課程で、アルブレヒトと目を合わせた。

 

 そう。こうなった以上、アルブレヒトの行動に期待をかけるしかない。


 ハンスがお尋ね者になってしまえば、『高名な賢者と知り合いである』というアルブレヒトの切り札の一つが無になる。

 一方、この状況をうまく収め、ハンスの評価を『反逆者』ではなく『高名な賢者』に留めたままでいることがアルブレヒトにとってもうまみがある――と、そう思ってくれればいいのだが――。

 すべては、ハンスに利用価値があるとアルブレヒトに思ってもらえていたかが重要である。

 こつ、とハンスの後ろで足音がした。アルブレヒトだ。

 そのままハンスの横を通り過ぎ・・・・、王子をかばうように立つと、アルブレヒトはハンスに相対あいたいする。


 「王子、私からお願い申しあげます。グリードリスの賢者様は自由を愛するお方です。その代わり、どなたにも肩入れしないと明言されました。我々の敵にならないと同義のお言葉です」


 王子に代わり、朗々と言葉を張り上げたのは、アルブレヒトだった。

 「先輩、先ほどのお言葉、そのような理解でよろしいでしょうか」

 「そうだな。俺は、政治に興味はない。王家の誰かに肩入れする気もない。それは、お前たちの敵になる気はないという意味でもある」

 その言葉と共に、ふうっと光の糸が消える。戦意を押さえたように見えるだろう。実際に、押さえきれない安堵の声をあげながら、騎士たちが腕を、足をおそるおそる動かす。解放されたのだと思ったのだろう。

 もちろん、ヨハンは、現在自分の唯一の反撃方法であり、大げさに言わなくとも生命線である魔法をその言葉だけで消すほどのお人好しではない。ただ単に糸の色を消しただけだ。そしてそのくらいは、アルブレヒトにはわかっているだろう。

 王子が口を開けた瞬間、その言葉を遮るように、アルブレヒトが大仰な仕草で深々と頭を垂れた。

 「王子、私からのお願いです。グリードリスの賢者様は、在野にあることを望む研究肌です。何より、私の兄弟子で、旧知の仲である方であり、そのお言葉には信頼がおけます。私たちの敵にはならないという心強い・・・のお言葉もいただきました。今回は、このアルブレヒトの顔を立てて、お許し願えませぬか」

 凛とした声が、不遜なまでの自信を纏い、王子に投げかけられる。アルブレヒトの表情は真剣でありながら余裕がある。

 普段、ハンスの前ではくだけた様子でくだらないことばかり言っている男ではあるが、こうして見ると、魑魅魍魎ばかりの王宮で政治を生き抜いてきた重鎮に相応しい凄みが感じてとれる。

 王子の喉仏が上下し、ぐっと眉間に皺が寄る。アルブレヒトが小さく、しかし確かに頷く。

 王子は、表情を和らげ、ふう、と息を吐いた。

 見事なまでの笑顔を再度作り上げる。


 「アルブレヒトが言うならば安心だな。それならば私としても賢者様にお会いした甲斐があったというものだ」


 意味のない言葉だ。

 実際には、別に何か会ったからといってこれで得るものなどなかったのは一目瞭然だが、それは認めてはならない。何らかの得るものがあったのだと、たとえ嘘でも宣言しなければ、彼に今日ついてきている下の者に対しても示しがつかないということだろうか。

 ハンスは小さく笑い。腕を下げた。

 早く事態を収集したいのはハンスとて同じ。顔を立ててやるのも大人としての処世術だろう。

 「おわかりいただけたならばありがたい。これからもこの私は、この国の政治になど関わる気はありませんので、ご安心ください」

 こちらは不遜さを隠さず、何の礼もとらずに言い放った言葉に、ただ頬をひくりとさせただけで言い換えさなかったのだけは、さすがは一国の王子の自制心であると認めてやろうとハンスは思った。

 視界の端に、大きく肩を落とし、安堵の息を吐くアルブレヒトが写った。




 「やっぱりこうなってたのか」

 ハンスの屋敷には、何重もの侵入者用の罠がはられている。それは物理的な罠もあるが、ほとんどは魔術的な罠だ。

 「これをはりなおすのにどれだけの時間がかかると思ってんだまったく……」

 約10人ほどの美々しい鎧を纏った騎士が、無残な姿をさらしている。

 庭の隅では大の大人が一人、小さく丸まって震えている。おそらく、自分の最も恐ろしいもの――トラウマをえぐるような幻影を見る魔法が発動したのだろう。単純だが威力はエグい。その横では気絶した騎士が数人転がっている。精神的な罠はハンスの得意とするところだった。

 一方、物理的な罠も大漁だ。見えない魔法のネストに宙吊りにされている数人の騎士を見て、ハンスはいまいましげに吐き捨てた。

 「なんて不愉快なオブジェだ。何より、罠だってタダじゃないんだぞ?!」

 二度使える種類の罠ではない。むしろ金銭的被害の方が甚大である。それこそがハンスへの精神的攻撃ともいえるほどだ。

 意外と金には細かい賢者様であった。


 ――それにしても、これはどうするべきか。


 主の許可なく屋敷に進入しようとしたのだから、結果として罠で蹂躙してしまったところで、それはハンスの非ではない、はずだ。

 だが、王子の近衛――にもっと言えば、この国の騎士に攻撃してしまったのも事実なわけで、何のフォローもしないというのも後々まずいだろう。さっき手打ちをしており、おそらくこの罠の発動は、その手打ちの前なのだから、こっちとしても文句まで言う気はないが、逆手に取られてはこっちの身が再度危なくなる。

 少なくとも、王子とは手打ちをしたと告げて、この騎士たちは家に帰してやらねばなるまい。

 「アルブレヒトめ、この貸しは高くつくぞ」

 貸しなのか借りなのかは判断が難しいところだが、こういうものは言い切ったもの勝ちである。ハンスとしてはもう絶対この路線で押し通すつもりだった。


 「ね、ねえ、なんなの、それ……」

 後ろから、震え声がしたのはその時だった。

 呆然と立っていたのは、赤毛の少女、ジルと孤児院の子供達だ。

 全員が洗濯物袋を抱えて、立ちすくんでいる。小さい子供の中には、あからさまに恐怖の色を顔に浮かべてしゃがみこんでいる子もいた。

 大の大人が白目を向いたり唸り声をあげたりしてぶらさがっているのだ。別にハンスの好みではまったくないが、子供のトラウマにあるには十分なほどの悪趣味なオブジェには違いなかった。

 「これ、穏やかじゃないよね?」

 ジルも真っ青な顔色をしながら、しかし気丈にも表情を変えず、踏みとどまっていた。

 ……ジルのこういう、強情でしっかりしたところは、ハンスとしても嫌いではない。

 「そうわかってるなら、これ以上詮索するな」

 そう答えたハンスは、しかし、ふと考え込んだ。この数の大の大人を一人で始末をつけるのは難しい。人手が必要である。

 「おいジル」

 「なによ」

 「臨時の仕事をやる気はないか?」

 ジルは子供たちの顔を見回した。その『仕事』の内容を察した男の子たちが何人か頷くのを見て、息を整え、しっかりした声で言う。

 「やる」

 「よしきた」


 最初は、出会い頭にいきなり『教育的指導』を受けたことからハンスに対して毛を逆立てた猫のように警戒していたジルだったが、今ではすっかり慣れて……いや、馴れ馴れしくなっており、時折ハンスとしては面食らうときすらあった。

 それは、ジルに連れられた子供たちも同様であり、もはやハンスのことを怖がる節すらない。


 「この人たちを助けるのに人手が必要なんでしょ? 人手ならあるよ。この子たちも手伝うし、手が足りなければ院の大きい組の子たちに手伝ってもらえればいい」

 さすがに、箱入りとは違い、この年齢でも肝が座っている。詮索することなく、いや、むしろ何が楽しいのか、ジル生き生きとは瞳をきらめかせ始めた。

 「仕事ってことは、報酬があるんだよね? いくら?」

  ……ちゃっかりしてやがる、とハンスは思いながら、銀貨30枚と答える。

 街で働くとすれば、数人で1週間働いてやっと得られるほどの金額だ。

男の子たちは歓声を上げ、恐怖にしゃがみ込んでいた子たちも思わず期待の面もちでハンスを見上げる。

 「……大盤振る舞いだね」

 「全員の口止めも含んでる。お前らだけでなくて、孤児院全員の収入にしろよ」

 「うん! わかった! じゃあ、エル、ローリーとジャンとアリューシオを呼んで来て!」

 きびきびと、ジルがしゃがみ込んでいた女の子に指示を出す。女の子は恐怖を忘れたかのように立ち上がり、弾丸のように駆けだして行った。

 


 こうして、罠から救い出され、孤児院で介抱だれた騎士たちは大人しく帰った。

 もしかして、プライドの高い連中だから、一悶着あるかもしれないとひそかにハンスは身構えていたのだが、逆にプライドの高い騎士様だからこそ、孤児院の子供たちの前でこれ以上の恥をさらす気にはならなかったらしい。

 非常に紳士的に帰って行った。


 となれば、間違いなくこうなることはわかっていたが……。


 「たいっへん、もうしわけありませんでしたっ!」

 その次の日に、ハンスの家の庭で、見事なまでの土下座芸をかますアルブレヒトがいた。ハンスは窓からそれを見下ろして顔をしかめた。

 ちなみに、庭で洗濯物を干しているジルたちがビビリまくったあげく、洗濯物を抱えたまま潅木の茂みに隠れている。汚れるぞ。

 ハンスは窓を開けた。風の魔法で声を増幅する。

 「みっともない真似はよせ。だいたいお前どうやってうちの庭に入った」

 「ジルちゃんにくっついて入りました」

 しゃしゃあと答えるアルブレヒト。ハンスの視線を受けて、ジルは必死に涙目で首を横に振っている。おそらく、事情を知らないジルは、気軽に裏口から訪れているアルブレヒトに対して、最早警戒を持たなくなってしまっていたに違いない。

 まあ、今回ばかりは事情を知らないジルに文句を言う気はなかった。

 「卑怯な手段をとるものだなアルブレヒト。俺が今回、お前のそういうところに腹を立てているのをわかってそういう行動をしてるんだろうな?」

 「この私がそういう人間であることは、先輩も重々ご存知のはず。そうであっても、先輩にまずは謝ることが重要と思い、このような手段をとらせていただいたまでです」」

 「帰れ!」

 「帰りません!先輩が謝罪を受け入れてくれるまで、また来ます!」

 「いいから帰れっ!」

 雷のようなハンスの吼え声に、ジルと孤児院の子供たちが地面に伏せてぶるぶる震えるのが見えた。洗濯に来たというのに、あの服は洗い直しだな、とハンスはぼんやりと思った。


 まあもちろん、ハンスとしてもアルブレヒトを許さないという選択肢は結局ない。もう一度謝罪に来たら、受け入れざるを得ない。彼とは持ちつ持たれつ、この街にいる限り有用過ぎるコネだ。

 アルブレヒトがあんなパフォーマンスをしてきたということは、まだ彼にとって、『グリードリスの賢者』は利用価値があるということだろう。

 実は、ハンスとしてもほっとしているのが実状だった。


 「ごめんなさいっ!」

アルブレヒトが退散した後、揃って頭を下げたのは、ジルと孤児院の子たちだった。

 「今度からは、例え見たことのある人間であっても、誰かが入ろうとしたならば、俺に知らせろよ」

 「わかりました!」

 おかしな『親切心』のせいでの自分の敷地におかしな人間に入り込まれてはたまらない。言うべきことは言うつもりだった。

 「この庭は、お前たちに開放した時点で、俺の屋敷のセキュリティの範囲からは外れているが、だからといって俺の敷地には変わらない。おかしな人間に入り込まれてはかなわん。誰かが一緒に入ろうとした場合に、『玄関』のベルを鳴らして名乗れ」

 「わかった。みんなにも伝えておく」

 「そうしてくれ」

 ふうっと肩の力を抜いたジルは、少年たちに合図をする、彼らは洗濯物の準備をするためにの準備を始める。

 すっかり泥だらけになった洗濯物をそのまま干そうとする子供たちに、何かツッコミを入れるべきかと思ったが、やめた。


 「ねえ、あの人と、喧嘩とか、したの?」

 「まあそんなもんだ」

 少しためらいながら問うジルに、ハンスは適当に答えた。

 「……よくわかんないけど、早く仲直りした方がいいよ」

 「子供の喧嘩と一緒にするな」

 そう言っても、ジルの表情は晴れないようだ。おせっかいというより、子供らしいまっすぐさで心配しているのだろう。そう思い当たったハンスは、なんとなくしょっぱいものを食べたような気分になり、頭を乱雑に掻いた。

 裏のない純粋な言葉への対応は、魑魅魍魎どもの政治的かまかけよりも、時に答えにくい。

 「喧嘩というわけじゃないな。お互いの立場と面子の問題だ。大人の事情なんだよ」

 「そっか。難しいんだね」

“喧嘩ではない”ということがわかれば安心したのか、ジルの表情が穏やかなものになった。

 別に子供と仲良く交流する気もないが、ハンス自身も、別に噛み付かれなければ喧嘩をする気もない。慣れたのは、ハンスもまた、同じなのかもしれなかった。

 いつもならばそのまま屋敷へと引っ込むところだが、いつになくぼんやりと子供たちををハンスは見つめていた。

 「おいジル、そういえば、テオは最近来ないんだな」

 毎日見ていれば、洗濯に来る面子も名前もなんとなく覚えてしまうものだった。テオは、ぶっきらぼうなハンスにもめげない元気で調子のいい少年だったので、よく覚えている。

 「テオなら、鍛冶屋に弟子入りするんだって出て行った。あたしと同じ歳だったし、そろそろ院をでていかなきゃいけない時期だから」

 「……独り立ちの年齢? そういえば、お前もテオも年齢はいくつなんだ?」

 「13歳」

 「えっ」

 ハンスは驚愕した。

 ジルの背丈はすっかり大人のそれであり、実は、彼女を16・7歳だと思っていたからだった。

 なんとなく既に成人しているが、何か事情があって孤児院の手伝いを続けているのだろうと思いこんでいたのだ。


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