姫は泡となる
チュッ…
そんな小さく柔らかな音が静かな部屋に響いた。
奏は唇を離すと、結奈の頬をそっと撫でる。
「……やっぱり可愛い」
奏の蕩けるような瞳は結奈だけを見ていた。
「結奈ちゃんはどの世界でも一番可愛い」
結奈は少しだけ目を伏せ、小さく笑う。
「……ありがとう」
結奈の言葉に奏は目を丸くした。
「えへへ……」
奏は思わず頬が緩む。
「結奈ちゃんがありがとうって言ってくれた……」
嬉しそうに何度も呟く姿に、結奈は思わず吹き出した。
「そんなに嬉しいの?」
「嬉しいよ!」
奏は迷いなく答える。
「結奈ちゃんがアタシを見てくれてる証拠だもん!」
奏のその言葉は良くも悪くも真っ直ぐだった。
裏表なんてどこにもない。
(……まさか…こんなにも愛されるなんて)
前の世界で私を愛してくれてたってだけでも信じられないのに…
「結奈ちゃん」
奏は結奈をそう呼んだ。
この世界に来てからはほとんど聖女様としか呼ばれなかった結奈は、自身の本当の名前を呼ばれるたびにどこか満たされるような感覚に陥った。
「……嬉しい」
結奈はぽつりと漏らす。
「こんなに大事にされたこと、初めてかもしれない…」
結奈の言葉に奏は優しく手を握った。
「これからも毎日大事にするよ、毎日、毎日、誰よりも」
結奈はその温もりを握り返した。
しかし、その度に結奈の胸がズキズキと痛む。
優しさを受け取るたびに思い出してしまう。
リリーナとルイゼンのことを。
本当の結奈を知らないとはいえ、大切に思ってくれた人たち。
(……私がいなければ、二人はもっと生きられた…それなのに…私、こんなに愛され、幸せで…)
そんな考えが結奈の頭によぎる。
そして、結奈はゆっくりと口を開いた。
「……奏ちゃん」
「なぁに?」
「私ね」
結奈は笑っていた。正しくは、笑いながら泣いていた。
「今、幸せなの。でもね……私のせいで不幸になった人もいっぱいいる」
結奈はぽろぽろと涙を溢す。
「それなのに、私だけが幸せでいいのかなって…うんん、駄目だよ、私は幸せになっちゃいけないんだよ……それに、どうせこの幸せもいつか崩れる…」
奏は静かに話を聞いていた。
「……ねぇ、奏ちゃん」
「なぁに?結奈ちゃん」
「……わがままなのは分かってる、でも私………今、このまま……幸せなまま……
……死にたいな」
その結奈の言葉に奏はゆっくりと結奈の肩へと寄り添う。
「…誰にも迷惑かけないように…幸せなまま死んで…それで、私のせいで不幸になった人達に謝りに逝きたい…」
「うんうん」
奏は静かに笑い、結奈の額へと自分の額を軽く寄せる。
「いいよ…結奈ちゃん…でも、アタシも連れてって欲しいなぁ?……ねぇ、結奈ちゃん、一緒に…死の?」
「……いいの?」
「うん!むしろ連れてって?」
普通ならば、奏のその言葉はとても恐怖を感じるもの、しかし、結奈にはそれが何よりも優しく聞こえた。
「……ありがとう」
「ふふ!」
奏は嬉しそうに笑う。
「じゃあ、この森の奥に行こっか!」
「奥?」
「うん!奥にねすごく綺麗な湖があるの。それに、今の時間だと湖に星が映るんだよ。きっと結奈ちゃんも気に入ってくれる」
結奈は少しだけ考えてから、小さく頷いた。
「……行ってみたい」
「本当?」
「うん」
奏は立ち上がると、満面の笑みで結奈に手を差し出した。
「じゃあ二人で逝こ?」
「…うん」
結奈は照れくさそうにその手を取る。
どれだけ考えようと、どれだけ覚悟を決めようと、結奈の胸の痛みは消えない、罪悪感もなくならない。
自分勝手だって、わがままだってのは結奈が一番分かってる。分かった上で、結奈にはこれしか思い浮かばなかった。
………
「…綺麗」
「でしょー!」
奏は自慢げに胸を張る。
実際、湖はガラスのように綺麗で、奏の言うとおり、空に浮かぶ無数の星が反射して写っていた。
「後悔はないね?」
「…うん」
結奈の心臓がバクバクと鼓動する。
今、結奈の目の前にあるのは美しい湖ではなく【死】なのだ。
自身が望んだ死、これで謝りに逝ける…
しかしそんな気持ちとは裏腹に結奈の足は竦んだ。
「…じゃ、逝こっか…愛してるよ結奈ちゃん。 来世でも結ばれようね」
そう言うと、奏は結奈の腕を引っ張り、夜の冷たい湖へと飛び込んだ。
ザバァーン!と激しく音を立て、湖の中ではコポコポと泡が潰れる音がする。
「ゴポッ…ゴフッ…」
二人はどんどん湖の底へと沈んでゆく。
水を十分に含んだドレスは重たくなり、苦しみの抵抗を妨げる。
結奈の意識が少しずつ掠れていく中、奏は結奈の頭を掴み自身の顔付近へと近づけ、愛のこもった甘い口づけをした。
「…本当に愛してる」
その言葉は泡となり消えていった。
………
「ヴィリデルーネ様、ようやく我が愛しのフメル王国へと帰ることが出来ましたね、この時をどれ程待ち望んだこ―」
「そういうのはいりません」
「も、申し訳ございません!」
リデルはようやく仕事が一段落したため、数年ぶりにフメル王国へと帰ってきた。
「……はぁ」
リデルのため息に秘書は酷く肩を揺らした。
「ねぇ」
「は、はい!」
「城に戻る前に、神聖の森に寄っていって下さい」
「え?で、ですが、あそこは数年前に漂う魔力が暴走したせい入れなくなって―」
「あぁ、もう大丈夫ですよ」
「へ?」
秘書は首を傾げる。
「あそこは本当に厄介でしたよ。変に立ち寄ると気分は害す、しかもあの森全体を覗き込むことが出来なくなっていた…まさかアレが人工的だったとは…どうりで見つからない訳だ …とりあえず、もう大丈夫なんで寄っていって下さい」
「…分かりました」
従わなければ首を跳ねらねられてしまうため、秘書はイエスとしか言えなかった。
「……追跡魔法かけててよかった。 お陰で死体ががどこにあるかすぐ分かる… …それにしても、どこのどいつか知らないですが、本当に厄介なのが中に入っていましたね…」
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