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書痴日記  作者: 茶屋ノ壽
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009_20230906

 誰かを褒め称える文章を書くならばそれは心が安らかになるのであろうか?つまり写経のようなものであるのかとか。どうせなら普段褒められていないような性格とか人格とか立場の人を褒めてみるのはどうであろうかなどと考えてみるに、意外と自分で自分を褒めることはないのかななどという考えにたどり着き、一つやってみるかと思いたつも、よく考えなくともそれはナルシスであるかなという有名な事例に辿り着いてしまって萎えてしまうわけであります。


 まあ、自分を褒めてこなかったならば、一度くらいはやってみても良いのではなかろうかとは思うわけではありますが、自己肯定はある程度自然にやっていることではないのかなとかも思ったりするわけであります、得意なことを誇るとかなんとかでありますね。

 

 ネット社会になってからこちら、簡単に自分よりすごい人がたくさんいることがわかってしまって、肯定感がなくなっていくというのはまあ、あるそうで、いやまあそれはそうなのではあるけれども、今こここに自分よりすごい人がいないのであるならば、それは誇っていいのではないか、とも思うわけであり。


 手がいている、すぐに動ける、近場にいる中で、そこそこ、いやまあ、もしかすると一番それが得意な人が自分ではないかと、思い至り、誇らしげに思うことはそれほど変なことではなく、なんらかの、問題を解決できるとっかかりにはなったり、そもそも最後まどうにかできたりもするのでありますから。


 それはそうだよね、世界で一番それができる人がどこかにいたとしても、今必要なのか、今ここでそれができる人なわけで、探して連れてくる時間がないのであるならば、世界一ではないということは、特に関係ないわけであり、むしろ、この瞬間では対処できる中では、あなたが世界一であるということに他ならないわけではありますから、卑屈になる必要はない、のではないかな?というような論調でいけば、結構簡単に自己肯定感を満足させられるような気がするのでありますが、いかがか?


 それで調子に乗ってしまって、増長してしまうことが困るという場面もありそうではあるけれども、必要な時に必要な仕事を、作業を、行動を、してくれないデメリットがあるよりは良いのかもしれず、いやまあ、余計なお世話であった場合もまたあるので、一概には言えないのか?


 成長の過程で、積極的にならなければならない、場面があるならば、やはりこの理屈で、今ここにある才能を褒め称えることが大切になるのではないかなとも思うわけではあるけれども、ある程度権力を持ってしまった、影響力の大きくなってしまった方々に対しては、持重してもらう方がいいのであろうかな?ちょうど良い塩梅を見極める必要があるのだろうな。


 誰が見極めるのであるかが、問題にはなりそうではあるか?


 今日はここまで。

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