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江戸川乱歩は好きです、いやまあ、嫌いな作家っていないのですが、興味があるかないかで言えば、大体の作家さんには興味があります。
戦前戦中戦後で活躍した作家さんは、これはまあ、社会の変化に対応しなければならなかったのでかなり大変であったのであろうなぁと。
先の戦争という話でありまして、これは応仁の乱ではありません、京都人ではないのでね。
第二次世界大戦の話です、太平洋戦争といった方が正しいのでしょうかね?あれは良くないものでした、という認識で良いのですよね?
稀によく価値観が世間一般?大多数の人からずれていると指摘されているので、自分の思い描いたことに自信がもてなくなっていくことがあるのよね。
基本戦争状態の日本ではあまり深刻に考えられていなかったらしいですね、こう、イケイケドンドンとか、景気の良い話で持ちきりで、ちょっとした英雄思考というか、戦勝国に所属している高揚感とか肯定感とかが凄まじかったような、当時の様相が記録されているようでして。
まあ、負けたわけですが。
敗戦国家になったあたりで、反省というか逆風というか、価値観の逆転が生まれたわけであり、ああ、こう反省しているというよりは、後悔したという方が正しい表現ではあるのではないかな?
やらなければよかった、国を信じなければよかった、もしくは、負けなかったら良かったかあたりでしょうか?
次は勝てると確信が持てるまでは戦わないぞとういう強い心ができてきたとも言えるのではないかな?と。
戦争に勝てるなら、被害が少なくて利益が大きいならば、やりたいという気持ちはやはり結構あるんじゃないかな?
それが正義という名のものとにできるなら、おそらくは戦争という言葉を使わないで、やるんじゃないかなぁという、未来予想はできてしまう、気がする?
自国に被害がなければ、知り合いが酷い目に遭わないのであるなら、遠くの国のことであるならば、あまり気にしないという精神があるんだろうなあと。
ただこれは遠すぎてあまりにもどうしようもない、何もできることがない、わずかしかないのに、思い悩みすぎても、逆に、平和に対しての貢献が疎かになるので、正しい心の働きではあるのではないかな?とは思うんだよね。
遺憾の意は表明して、できることはやるけれども、自分の生活や周囲の安全安定を守ることも大事。というか、できるだけ、自分のことは自分でやるようにして、自国やら行政やらのリソースを遠くの国の平穏に当て易くしてもらうようにするということが大事なんじゃないかな?
回り回って平和に貢献しているんじゃないか、とは思うんだよ。
今日はここまで。




